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「介護booksセレクト」⑰『ケアとは何か』 村上靖彦
いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
おかげで、こうして書き続けることができています。
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/ 公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
「介護books セレクト」
当初は、いろいろな環境や、様々な状況にいらっしゃる方々に向けて、「介護books」として、毎回、書籍を複数冊、紹介させていただいていました。
その後、自分の能力や情報力の不足を感じ、毎回、複数冊の書籍の紹介ができないと思い、いったんは終了しました。
それでも、広く紹介したいと思える本を読んだりすることもあり、今後は、一冊でも紹介したい本がある時は、お伝えしようと思い、このシリーズを「介護booksセレクト」として、復活し、継続することにしました。
今回は、介護だけではなく、「ケア」というもう少し広い視点から、重要なことを書いてくれている本だと思いましたので、紹介することにしました。
よろしければ、手に取っていただければ、ありがたく思います。
ケアという言葉
最初に「ケア」という言葉を聞いた時には、かなりの違和感がありました。
これも、以前に書いたかもしれませんが、介護保険が始まった時に、重要な役割を担う人が「ケアマネージャー」という資格でした。その頃の高齢者、(今もかもしれませんが)介護保険の利用者になる方々にとっては、英語としてもなじみがない単語でもありますし、同時に「ケア」は、発音しにくい言葉でもあるので、どうして、「介護」という単語を効果的に使わないのだろうという思いは、今でもあります。
ただ、介護保険が始まってから20年以上が経つことで、少なくとも「ケアマネージャー」という資格は、「ケアマネ」と略されて、生活の中では「ケアマネさん」と呼ばれるようになったので、それは「コンビニエンスストア」が「コンビニ」になったことで、すっかり定着したように、言葉としては自然になってきたように思います。
それでも、介護と言わずに、「ケア」と表現することには、抵抗感すらあったのですが、最近になって、少しずつ気持ちが変わってきました。
それは、「ケア」という言葉を使うことで、「介護」には縁がなくても、より多くの人に考えてもらえるような感触を得られるようになったせいだと思います。
今回、紹介したいと思った本も、「ケア」という言葉を使うことに、必然性があるように感じました。
『ケアとは何か』 村上靖彦
この本は、主にプロの介護者----「ケアラー」についての話になっていると思います。
「ケアラー」に関しても、最近は、「エビデンス」といった言葉と共に、客観的であったり、科学的であったり、ということが重視される流れは確かにあるのですが、当たり前ですけど、人を支援する、とう場所では、それだけでは把握できない要素が多いとも、私も支援職の1人として思うこともあります。
さらには、高齢者介護や、子どもの養育といった「ケア」という行為は、人類にとって、とても重要で不可欠で、さらには繊細さが必要な難しい行為だとも、年齢を重ねるほど、支援に関わるたびに思います。
ただ、現代の社会では、下手をすれば「誰にでもできる」といった粗い扱いをされていること自体に、何とも言えない悲しさを感じることもあったのですが、こうしたことに関して、まずは、著者は、きちんと断言しています。
ケアは人間の本質そのものである。そもそも、人間は自力では生存することができない未熟な状態で生まれてくる。つまり、ある意味で新生児は障害者や病人と同じ条件下に置かれる。さらに付け加えるなら、弱い存在であること、誰かに依存しなくては生きていけないということ、支援を必要とするということは人間の出発点であり、すべての人に共通する基本的な性質である。誰の助けも必要とせずに生きることができることができる人は存在しない。人間社会では、いつも誰かが誰かをサポートしている。ならば、「独りでは生存することができない仲間を助ける生物」として、人間を定義することもできるのではないか。弱さを他の人が支えること。これが人間の条件であり、可能性でもあるといえないだろうか。
こうしたことを「現象学」というアカデミックな専門家が指摘することによって、もしかしたら、介護の現場だけではなく、さらに広い場所に届く可能性も感じました。
対人援助職のケア
この本では、通常では援助困難とされるような人たちへ、実際の対人援助職のプロたちが、どのような考えと感覚で、ケアしようとしているかが、書かれています。
意識が薄れている人、身体が動かない人もまた何かを伝えようとする。指のかすかな動きかもしれないし、瞬きかもしれないが、キャッチする人がいればそれはサインとなり、キャッチすること自体がケアとなる。
病や逆境は二重の孤独をもたらす。単に人との関わりが断たれるだけでなく、その孤独を表明することすらできなくなるという切断である。援助職は、そのような困難にある人とつながろうとする努力をする人でもある。
「私はあなたのことを理解している」という思い込みは、当事者への暴力になる危険と常に背中合わせである。それでも、理解しようと最大限の努力をはらわなければならないというジレンマのなかで、考え続けるのがケアラー特有の倫理観といえるだろう。
そして、具体的に、どんなことをしているのか。
それが、気休めや、気の持ちよう、といった精神論ではなく、その現場にいる人間にしか分からないようなプロとして感覚を元に、もっと冷静な行為として語られているように思います。
かすかなサインを受け取る感受性は、ケアラーの力だ。その感受性は相手の〈からだ〉と生命を感じ取る働きを基盤にしている。
たとえば、客観的には「意識がない」とされている患者を相手にしても、話をする状況によって、その意味合いが違うことについて、こう語る↓援助職がいる事実に、素直に凄さを感じます。
「他の人がいる前でやるのは話じゃなくて声かけ」
この言葉↑は、医師が、「私が同席している時に、患者に話をしてくれ」という指示に対して、ごく自然にこう返答をしています。
植物状態の患者に限らず、どんな患者とのあいだでも、同様に〈出会いの場〉を開こうとケアラーは努力しているのだ。たとえば幻聴と妄想の世界のなかにいる重度の精神障害の患者へと声をかけ、対話を開こうとする精神科の看護師もまた、〈出会いの場〉を開こうとしているといえる。
そうした「エビデンス」という視点から見たら、もしかしたら無意味と判断されそうで、だけど、おそらくはとても大事で困難な努力を続けている援助職がいることに、無責任な言い方になるかもしれませんが、やはり勇気を持つことができました。
認知症と診断された高齢者の意向はないがしろにされやすい。ここでも、相手の位置に立ってみることが非常に重要である。そのためには、まずは当事者に直接訊いてみることだ。もしかするとうまくいかないかもしれないが、意思疎通を図ろうとする努力そのものがケアとなる。当事者の話に耳を傾ける行為が、相手が何を感じ、何を考えているのかを理解し、相手の位置に立つというふるまいである。
孤立と孤独
孤独というものが、心だけではなく、体にまでもっとも悪影響を与えるものではないか、といったことは、少しずつ常識になっているようです。
それは、個人的には、これまでの実感や体感としては肯けるものでもあったので、いかに孤立させないかが、科学的にも、本当に重要であることが浸透してくるのは、意味があると思います。
痛みに気づいてもらえないとき、患者は、単に身体的苦痛が放置されていると感じるだけでなく、無視されて孤立してしまっているという心理的な苦痛を覚える。
具体的に苦痛を取り除けなかったり、意思の疎通が取れているか分からない時でも、ケアの現場にいる専門家の多くは、さらには、家族介護者も、それでも、何か語りかけようとすると思います。
コミュニケーションを取ろうとすること自体が本質的にケアの営為であり、患者の存在を支える力になりうる。
こうした断言は、寄りかかってはいけないと思いますが、とても力強く、ありがたい言葉にも感じます。そして、さらに、さまざまな視点を提示してくれています。
声かけは、それによって今まで存在しなかった〈出会いの場〉を開く。それを開くことは、当事者を取り巻く世界が一新されることに等しい。
SOSを出せずに追い込まれている人には、こちらから「心配しています」と声をかけるしかない。
児童虐待への対応としてもっとも大事なことは、事件が起きたあとの児童相談所による介入ではない。虐待が深刻化する前に、あるいは始まる前に、家族の生活や子育てにサポートがなされることだ。これは介護の疲労による家族の虐待や殺害のような場面でも、同じことがいえる。
「エビデンス」だけでは届かないこと
何の根拠もなく、ただ経験だけでケアを行なうことの危険性は確かにありますし、だから、現在では「エビデンス」という言葉をよく聞くようになり、それは、進歩なのは事実ですが、「エビデンス」があることだけに偏るのも、また危険ではないかと思うことがあります。
特に、ケアの現場では、人間を相手にしていて、しかも、困難な状況にある人を支援しようとしているのですから、介護の専門家だけではなく、家族介護者の方にとっても、「エビデンス」だけでは届かないことが多いのも、容易に想像できるのではないでしょうか。
全体を通して読むと、「生を肯定する」「出会いの場をつくる」「小さな願いごとを大切に」「落ち着ける場所を持つ」「仲間をつくる」といった、シンプルな主題をめぐる変奏曲となっていることがわかるだろう。
本書は、「私が出会ってきた敬愛すべき対人援助職の人たちは、こんなことを大事にしながらケアをしていた」という学びをまとめた本である。
それは残さないと、消えていってしまいそうなことでもあるように思いますので、こうして形にしてもらえたことは、とてもありがたいことのようにも感じています。
(こちら↓は、電子書籍版です)。
(他にも、介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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