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5月は願って待ってみる(めぐみ)

言わなきゃとか、言いたいと思って心に決めていたのだが、言わなくてもいい時や事もたくさんあるのだとわかった。
言わずに思ってたことが、相手に伝わっていたりする。

それから、バラバラと散らばっていたものもそのうち整うから大丈夫だということもわかった。
とても集大成的だ。
よーく願って待ってみよう。

5/2 


5/31☁️☀️

🙆‍♂️人に話すことが、話す時点ではもう自分の中では終わっており、それを口から出しているっていうのは、おい私! いったいどういう意図なのだ?

という、ややこしいことを考えた。

報告なの?
教えるつもりで?

ただ自分の思考をなぞるだけのおしゃべり👄なんて、なんの意味があるんだろう。

🙆6月の課題図書がうまくまとまらずに苦戦している。
昨日はこれでいいと思ったのにな。

🙆‍♂️仕事関係の、ある相手とうまくコミュニケーション(やり取り)ができず、すれ違っている。
向こうからはいくつもの手段で投げかけられてくるのだが、私は何度も空振っていて、とにかく下手くそって感じだ。大人やねんからしっかりして、とか、フォローも気遣いもしてあげて、と自分に対して思う。
しかし、それに気付くのはいつも、せっかくやって来た相手が去った後のこと。

一応、適切な距離と内容と方法を精査してるんだ!
あんまり急に近くなるのはよくない気がした。
脳が誤解する🧠

その結果として、何も返さなかったり、奮わない回答を素っ気なく返して終了ということになる。

しばらくしてから、傷付けたかなとか、もっと掛けられる言葉があっただろうにと思って後悔するが、よい応対が思い付くわけでもない。

このタイミングのズレや私のぼんやりは、きっと何か意味があるんだろう。と思いたい。

関係を整えたいと思っているのかもしれない。
言いたいことがあるのかな?
そうかもしれない。
まだそれがまとまってないのかもしれないな。お互いにね。

…とごちゃごちゃ書いているのは、今読んでいる『本心』(平野啓一郎)が辛い展開になりそうになってきて、もう読み進める勇気がないからです。
あーつーらー。
でもたぶん大丈夫。

6月の課題図書どうしよ。🥺

5/30🌧️

まくらを買った。
寝具を変えたくなっていて、ネットを見ていたら
よさそうなのを見つけたのだった。

まくらが届くのを家で待たなくてはいけなかったから、何もできず、ただソファーで本を読むしかなかった。平野啓一郎『本心』。おおおもしろい…っ。

主人公の青年は私に似てるような気もしたし、同僚の男の人に似ているとも思った。
読み終わったらそのことを本人に言いに行きたいと思った。(たぶん良い終わり方になると信じている。)

これまで、やらなきゃ…と優先してきた仕事や生活や家事や楽しみや必要なことのあれこれのために、本が読めていなかったが、何かをただ待つという、これぐらい無為の時間があると、やっと真剣に読むことができる。半強制。それも必要。

ふあーーっまくらふわふわっ💨💨💨


5/30☁️


フワちゃんがラジオで、「たいていの人はみんな(自分よりも)いい人」と言っていて、なるほどな~と思った。
フワちゃんが自分のことを他人よりも「いい人じゃない」と言うのは、穿(うが)ったものの見方をする性格とか、目の前の光景を素直に受け取らずにその裏を見てしまうところとかのことかな~と思ったけど、べつにそれは絶対的に「よくない」っていうような部分じゃないとも思う。フワちゃんがフワちゃんの基準で見た自分の「よくなさ」なのだろう。
そしてそれは、「賢さ」とか「観察眼」とか「考えが深い」とか、別の言い方ができそうなものでもある。

🌈

私もどちらかというとフワちゃん的なところがあるから、他の人々の真面目さやまっとうさに直面すると、「みんないい人だな~」とか、「常識的だな~」とか「責任感があるんだな~」と、たびたび圧倒される。
それと比べると自分はずるいなとか、小賢しいなとか、怠け者だなとか、逃げ足が速いな…とかいうことになるわけだが、どちらが正しいのだろうと考えるとわからなくなる。
ただ、そうは言っても私は私でしかいられないのだから、たとえ「いい人」達の行動に直面しても、自分も同じことを強いられているとは誤解せず、「でも私はできないよ!」と怒ることもしないで、スッと自分の道を行けばいいのだろう~~
と思って今日は帰ってきました。

🍃🌀🍃🌀


5/29🌞🌬️

真夏日と聞いていたが本当だった。夕方の風が気持ちいい。

🌬️🌬️

いらなくなった本を売りに行った。合計48冊。

私がここに住んでいるということを証明できないせいで、引き取り訪問サービスのある業者を利用することができず、そのまま日々を送っていた。

ミスドからの帰り道、6月の課題図書について考えていて近所の本屋に寄った。
5月の課題図書🎏『オールドレンズの神のもとで』を見つけた本屋だった。
駅前に古くからある系の個人店で、ほとんど入ったことがなかった。
普段、お薬を買いに行く的に、週に一度は街の大きな書店に行ってるからなー、と思っていたし今も思っている。

ぶらっと入店し、ぶらっと歩いていたら近所の人らしき年配の女性が「買い取り、いい?」と言いながらやって来た。え! 買い取りしてくれるの?
店員さんとのやり取りを近くで観察し、お客さんが去った後に質問して、ここに持ってくることに決めた。

📚️

集めてあった本にさらに本棚から数冊追加してカバンに入れて、腕がもげそうになりながら日傘を差して真夏日の道を歩く。
5分強の道のりは、取りに来てくれるサービスがある業者とどっちが得なんだろうか…といちいち考える。

今回の場合、漫画と雑誌は✕で、「古書センター」に送ってもらって査定結果を待ち、納得すれば振り込みされる仕組み。
漫画と雑誌もOKな業者を探すべきなのか?
または、いったいどこに依頼したらいちばん高く買い取ってもらえるのか精査したほうがよかったのだろうか?

😶

など、あれこれ脳内で渦巻くが、この行為の価値をお金(価格)で判断しなくてもいいような気がした。
私はとにかく家にずっと積み上がってた本を排出したいだけ。重すぎて遠くにもっていけないからどん詰まりになっていただけ。

記入するようにと渡された書類には、提示した免許証と同じ住所を書いた。

帰り道のカバンはただの布で、あまりの軽さに飛び跳ねたくなった。

🤸🤸🤸🏡

すると、今度は、本を入れていた段ボールを猛烈に空にしてしまいたくなり、残りの雑誌をごみの日に出すことにして準備した。決意して行動したらみるみるうちに物は減り、ついに、玄関横に長らく鎮座していた段ボールが1箱消滅した。
やった!めちゃくちゃすっきり!
私にもできた!!!

ついでに電気ストーブを掃除し(ドライバーで蓋を外して中の埃をとった!)、袋に入れて箱にしまい、押し入れにin。

ひゃーん。すっきりーん。風が気持ちいいよ~🦒

残りの段ボールも本当に捨てるぞ。

去年作った梅ジュースと昨日掃除した扇風機

5/28🌞🌬️

お礼参りに行った⛩️
街中にある神社だからか、有名な神社だからか、人がたくさん来ていた。
みんな、本殿だけでなくそのずいぶん手前の鳥居の前で一旦立ち止まり、一礼している。私もまねする。
お礼と次の願い事を言った。
帰りも、鳥居のところでくるっと振り返って本殿に頭を下げた。これもまね。
観光地ではあるが近所の人も多そうだった。
そんな気軽さと身近さと日常って感じに見えた。
私もと思って、心の中で「また来るね」と言った。
そうしたらそれはエツコ(祖母)に対していつも思っていることと同じだと思った。会いに行った時の別れ際言うこと。いつも思っていること。

こんなふうに、ばあちゃんに会いに来るみたいに神様に会いに来たらいいし、祈ったらいいんだろうなとわかった。

そういえば名古屋に遊びに行った友達に、おすすめの場所として熱田神宮を挙げたら、2人とも(時期は違うけど)行ってたな~!ってことを今思い出した。

森にある、しかし街にも近い、いい神社なのよ。
きよめ餅もおいしい。きしめんも食べられるよ。
行きたくなってきたなー!

紫陽花の季節かあ

5/27🌞

誰かに話しかけたり、人を誘ったりすることについて考えるのは、きっととても創造的な時間なんだと思う。

仕事で消耗したので街に出てさまよう。
そうして家に帰っても、いったい何がうまくいかなかったのかについて考え続けるか、布団に倒れ込んで閉じ籠るもんだと思っていた。
休憩必要。あまり食べていなかったし。
帰ってシャワーをしたら思いのほか洗い流された気がした。
消耗の原因と自分を切り離すことはほとんど成功しそう。

🧚‍♀️

まだ閉じ籠ることへの興味は失われていないのだが、衝動というほどのものではなくなってきた気がする。
じゃあ明日じゃなくていま、創造的な時間にしてみようかなと思えてきた。
とりあえず洗濯をした。🌀👕🧺


5/26🌧️

友達に誘われて街へウィンドウショッピングとお茶をしに行った。よく急に思い立って誘ってくれる。ありがたいと思う。

お茶の時間。
友達にあることを質問され、答えを考えている時に、自分が笑っていることに気付いた。苦笑い。話そうとしてみると、どうやらそれは、私にとって笑えることのようだった。一人じゃ気付きませんでした!
自分では、ため息をつく話・略してタメバナ~かと思っていたが、実は、苦笑いする話・略してニガバナ~だったらしい。サイコロトークのお昼の番組『ごきげんよう🦁』的に言うとね🎲いや古い。

友達とのトークで、いいイメージがするっと降ってきた。素直に流れに乗って行こうと思う。

5/25🌞

2連休。とても疲れたので京都に行こうと思ったけど、行き先が思い付かないまま電車に乗った。

森、木、寺、返信できる場所、みたらし団子…。

全部かなえるのって無理なのかな?

途中、ふいに思い付いて電車を降り、山荘の美術館に行った。
クレーの絵が見られそうだったから。

森の中にあるいい美術館だった。
個人(会社)の運営している美術館は、贅沢に空間を使うことができて思い付くまま自由な発想を実現させており、お金がありそうなところがいいな~。
と最近だんだんわかってきた。
センスに歯止めがいらない感じ。
余裕がある。

当主が建てた見晴台。羊たちも作品

クレーとルオー爺さんの絵がよかった。


ルオーは道化師とキリストを生涯描き続けた


実は漱石も来訪したことがあるらしいと知り大興奮する。当主に山荘の名付けを依頼された漱石は、帰京後、2通も手紙を出していた。手紙魔…似てる。
私も漱石と同じ道をたどってお寺に行った。
道を間違えて山を途中まで登りかけ、山中であまりにも一人すぎることにものすごく怖くなった。慌てて引き返した。

昨日、人(生徒)の穢れた魂に触れてしまい、余裕のないままそれを人(大人)前で口走ってしまった。
そのことを懺悔したくて、私はお寺にいきたかったのだった。
お堂の扉を開けたら、えん魔様とその関係の人たちがいてめちゃくちゃ怖かった。
これは私がやましいからなのか、そうでなくともそう思うのかはわからなかったがとにかく相対するのに気合がいる迫力。
脇には、えん魔様直行便専用の郵便ポストがおいてあった。緑色だった。

別の考えたいことがあり、本堂さんの仏様の前で考えたが、自分がどうしたいのかはよくわからなかった。

えん魔様に祈っていたら、外にこどもいっぱい来てた

電車に乗ってある駅で降り、台湾ご飯を食べてから返信した。
商店街があり、我慢できず派手なかわいいシャツを買った。
この商店街の夕方の光景のなかに私は入ることができないことはわかっていたから、自分が一人だということを突き付けられるようで寂しくなった。

帰り道、ものすごく疲れてしまい、これは何だろう? と考えて他の人の目を借りて見てみたら、人と一緒に行きたかったんだなーとわかった。とても寂しいと思った。でも、この1日を過ごしている間にはそんなことは思わなかったので、人と比べたり人の目を借りて見ることがいいことなのかはわからなかった。

5/24🌞🌞☀️☀️😵💦

システムに阻害された日。

システムやルールの変更や刷新は別にいいんだけど、言うのが遅い。

言ってすぐに人々に従ってもらえると思いこんでいるのは、組織の尊大さの表れだと思う。
思いやりや気遣いが足りないんだよ。想像力とも言う。
通達だけして、それに準じてくださいって言うだけなのはとても乱暴な態度だ。
こっちは1日5個授業してるからさ、何の余裕もないんだって。誰かに聞いたり相談する暇もないのよ。

ただでさえ余裕のない日程と時程の中で、急な変更の通達に対して、一応、一生懸命従おうとして(と言うよりも、協力してるんです)、ずいぶん無理をすることになった。

システムに合わせるために、比喩でなく、私が不備を引き受けて調整したって感じだ。心身ともに無理をしたよ!
ただし、さすがの私もまだシステムの側にも私の側にも適うような改善策が考案できていないから(色々試したが失敗した)、気もそぞろだったりする。

不備なら不備のまま、今回はやっていけばいいのかもしれないが、失敗は避けられるなら避けたいし、私ならできるとつい思ってしまうのでやり抜きがちだ。
やりますけど。

もう未来なのだから、一人で憤り、スキルを高めては憤慨し、「私だからできたのだよ😤」ってするんじゃなくて、「通達が遅い」ってことについては、上の人に怒らずに伝えてみたいと思った。
頑張りましたが本当はとても困ったよ! ってことは言いたい。

🧚‍♀️

引き続き返信中。
ある子から、
「返信ってうれしいっすね!」と返信が来た。

きゅーーーーん♡

返信くれてありがとう。
返信がうれしいって伝えてくれてありがとーーーー!
もうちょっと頑張ってみる。

この部屋も好きだったな

5/23🌞

テスト前であることと、立て込む曜日のために、口と頭と気持ちをずっと動かしていた。

教室で様子を眺めていると、金曜日と土曜日の午前中(お昼過ぎ)に送った生徒への個々の返信は、少し意味があったようにも感じた。
(返信に対して返信してくる子もいた。)

文章については、びっくりするぐらいすばらしいことを書いている子もいたし、こんなこと考えたんだ~とじんわり思った子もいた。読んだ私がそういうふうに思ったことが伝わればいいと思って返した。
適当に書いている人もいるしそんなのはすぐわかるけど、自分にとってものすごく大事なことを書いている(魂の生死の問題)人もいて、そういうものはできる限り落とさずキャッチしたいと思う。

みんなの前ですばらしい回答例を発表して共有するだけじゃなく、個々に返信してみようかと思ったのは、まったくもってかよちゃんの言葉が大きい。
当時のことについて、返信がうれしかったと言ってくれたから、そうだったんだなーって思った。
本当は知ってたけどね。
聞かなかったら少しさぼってたな~。

言葉で返すのはとても難しく、手書きではない(iPadです)という点も、地味に気を遣う。デジタルの文字は、手書きと比べ、何かが確定してしまうようなニュアンスを孕む気がする。
中には、出会ったばかりの人もいるから、距離も考えなきゃと思う。

そうそう、返信がほしそうな子もいた。それを言ってくれると助かるよ✉️

チャットみたいな雰囲気で返せて、チャットみたいな雰囲気で受け取ってくれたらいいんだけどな~。

🍋

暑かったのと、そういう、何も落とせない(と私が一人で張り詰めている)時間帯から解放され、ハイボールを買って帰った。
今週はしばらくこれが続く。


5/21☁️

家でやるのが嫌なので、返信するための場所を探して電車に乗った。
台湾の朝ごはんが食べられるお店は行列すぎて、少し並んだけどあきらめた。
川の近くのドーナツ屋に行った。

時間を忘れ、夢中で大量返信してへとへとになる。身も心も捧げ尽くしたと思う。
土曜日なのに仕事していることや、心をこめてしまったことによるダメージが大きくて、達成感よりふらふら感。
私は何キャラで返していたのかな? 合ってた?
そして、自分を取り戻すにはいったい何をしたら……?

かわいー絵💄めちゃくちゃ穴場カフェ🍩

川を歩いて帰った。
対岸には満開のバラとたくさんの人であふれていた。

偉大な川と高速道路


5/20☁️

情報が多すぎる。
次から次へと考え続けてしまう。
何も考えないという時間を作って持たなければ。

iPadの導入で便利さや可能性の広がりは感じるが、一方で境界がどんどんどんどんなくなっていきつらいなーーっと思う。

過渡期だから誰も適切な取り扱いかたをわかってないって感じる。モーレツ働きマンの感覚をiPadでもさらに実現しちゃってない?!

提出物をオンラインで回収したから、いつでも返信(添削したものを送信すること)ができる。
ということになっている。

でも、私は勤務時間中にしか返信したくない。
変な夜の時間に届くのは嫌だと思う(第一、私が家で仕事をしたくない)。
受けとる側もそうだと信じている。
が、意外にそうでもないみたいだ。
iPadは学校に置いて帰るから見てないんだって。
それはたしかな処世術かもね。
だって朝夕関係なく、全教科の先生がなんやかんやすぐに用事を書いて送ってくるもんねっ!

いつでもオンライン状態であるのは本当に疲れることだと感じる。

生活に侵入される気分だ。

🚸

返信をし始めて、さらにわかったことがある。

私は自分の繊細さを誰に対しても当てはめて想像するが、みんなは私ほど繊細ではないらしい。
みんなっていうのは、生徒でもあり、同僚でもあり、誰かであり、ともかくみんな!
(みんなが私とは違う繊細さを持っている場合もある。持っている論理の違いと言えるのかもしれない。)

私は相手に自分と同じ繊細さを求めているわけではないが、無意識に自分と同じ繊細さを想定してそれを尊重するため、結果的に綿密に計算した言動をとることになる。われながらですが、丁寧で配慮し尽くしてるって言えるかもしれない。
別に、私がかけた分量が全部相手に伝われっ! と期待しているわけじゃなくて、不必要かもしれない丁寧さ(でも、性格上せざるを得ない)の労力がほんと果てしない、ということに気付いたら、ほとほと疲れてしまった。

相手のことを読みすぎるし、見すぎるのは疲れることだと思う。

相手が傷付くより自分が傷付いた方がもろもろいいと思っているのもなんか向こう見ずすぎる。

あーとてもつかれた。

🥯

昨日日記に書いた、不必要な事かもしれないことを丁寧にしていた話について、思い出したことがある。

昨日までの不必要だったかもしれない時間に読んだ文章のなかに、「創造力」という言葉が登場した。キーワード。
「創造」と黒板にでっかく書きながら突然、「そういえば、星野源に『創造』って曲あったよね! 今書いてて急に思い出したわ~」と言ってみんなを見た。
時間的に、ちょっと音楽をかける余裕はないな~、と思って曲は流さなかったのだが、曲かけないんかい!🎶って感じだよな~って思いながらそのままニコニコと続きをやった。

授業が終わり、1人の子が私に用があってやってきた。それが済んだ後、黒板を指差しながら、
「てか、『「創造」かけないんかい!🎶』って思った」
と言ったので、
「私も思った!」
と言って一緒にアハハと笑った。

めちゃくちゃいい時間と会話だよな。

やっぱり全然無駄じゃなかったな。

🖼️

朝ラジオで流れてきた曲が気持ちよかった。
フジファブリックの『ポラリス』。
曲の好きな知り方。
今日は授業で流した。

❇️

ドラマ『悪女(わる)』の田中麻里鈴:マリリン(今田美桜)が、いつも元気カジュアルジャケットコーデなのだが、多種多様のネクタイをしていてかわいい。その手があったかーって感じ。
ストーリーは時々変な展開だが、マリリンはピエロっぽい役回りで嫌味がなく、疲れきっている木曜の夜でもぼーっと観ていたくなる。元気で嫌味がなくて純粋でお人好し…そんなやついないだろ! って思うけど、マリリンが「田中、出世したいんです!」とまっすぐ言うのめっちゃ気持ちいい。そっかあー!その手があったかーってここでもまた。
私もそうありたかった人生だったとも言う。
マリリンだって一人じゃ無理で、それじゃあ私も、改革派の江口のりこと向井理と一緒に、女性管理職5割を目指す会社だったら目指せたのかな??

5/19🌞

別にやらなくてもよかった事を仕事だと認識して、相変わらず丁寧にやった。
相手の反応や様子も見ながら押したり引いたり。

つくづく、どんな文章(教材)でも愛をもってやれるようになってきたな~って思う。
言葉への愛かな?
文章?生徒?人?自分?空間?仕事?
何に対してかはわからないが愛。

くたくたになって1日を終えた後、同僚によって、その大量の事は結局やらなくてよかったのだと知らされる。

もっと早く、そのことについて丁寧に知らせてくれよ。
私にはまだその塩梅がわからんのよ。
この数日間かけて馬鹿みたいに真面目すぎたなーとか、このくたくたは無駄だったのかな……とか、代わりにもっと建設的なことができたということ?
とか思うと、帰る足も動かなくなりそうだった。

とりあえずお風呂に入ることにした。
用意を運びながら思い付く。

でも、今日の私はものすごく調子がよかったんじゃないか?
声出てた!
すごくいい出方だった。
よかった!♡

誰かの基準は色々あって、色んな人が色んなことを言うが、私が考えて私が丁寧に、十分に気を遣いながらやったのだからそれがいちばんいいに違いないんだよ。

5、6個の車にひととおり乗っておく

5/18🌞

ヨガで諦めたポーズがあってやだな~と思った。
できたことがないから無理だろうというのと、できたことがないから完成形の際の景色や心地やしんどさがわからず、恐れて、ますます挑戦できなかった。
やろうとするふりだけしてやだな~と思ったし先生に見透かされているのもわかった。

でも先生にはバレてなかったみたいで、終わったあと、頑張ってたねと褒められてしまった。
怖くて最初から諦めちゃっていやだったと言ったら、じゃあ次は手伝いますって言ってくれた。

やらないで諦めるのいやなんだな~と思った。
できるようになるために努力したいらしい。

あと、自分が思ってるようには人は見ていないってこと。

帰る間際に見たら、先生は、ティーチャーズラーニングの講習を受けている人たちに、「この前の演習はちょっと説明が多かったよ。あまり説明しすぎないでシンプルに。できるだけ削ぎ落としてね」というアドバイスをしていた。

🌿

祈りたいことがあり、神社に行った。

着いてから何を言うのか考えてきていなかったことに気付いた。さっきの先生の言葉を思い出して、シンプルに、と自分に言い聞かせて祈った。



緑が深かった


5/16☁️

会うはずのない人がいて動揺した。会ったというより、見た、なんだけど。
先日夢に出てきた。
だからか…とか、『寝ても覚めても』みたいすぎる…とか勝手に思った。
『寝ても覚めても』にするかどうかは私しだいなのか?
ちょっとどう捉えたらいいかわからない。
似てるな~と思った。雰囲気、着てるもの、全体的な色とシルエット👥
顔もみたけど後ろ髪長くて赤っぽい色でもあり、あ違うなと思い通りすぎてしまった。顔はよく似ていた。
話していた相手の人はわたしの顔をじっと見たし何か言いたげにも見えたけど、その人は私には気が付かなかった。とおもう。
帰ってから、断片的な情報から徐々にはっきりとわかった。つまりゲストで来ていたというわけだった。
無くはないことだよな。全然。

いや、でもなんで気付かなかったのだろうとか、(後ろ髪が長かったからだよ)ないないってしてしまってとても残念だとか、もっと言葉になる以前にズーンと思った。
なんで気付かれなかったのだろうとかも。
しかし、気付いたらどうしていたかと思うとそれも怖い。
声かけたらいいんだけどね。
そうね。いいよね。
会ったからまた会うかもしれない。

5/14☁️→🌞

5月の課題図書🎏
『寝ても覚めても』(柴崎友香)

入り込むのに時間がかかり、最初の20~30ページを何日も繰り返していた。
主人公朝子の「カメラ・アイ」(とは柴崎さんの作品の特徴らしい)による街や通りすがりの人々の描写が多く、慣れるのに少し時間が必要だった。
難波のビル(百貨店かな?←よくわかってない)の上とか、森ビルの高層階とか、高い場所からの描写が面白い。
主人公が大阪から東京に移り、物語も移っていくのもいい。

友達がいっぱい出てくるな~と思った。私の友達。よく似ている。朝子も。私にも似てるかな。
たとえば、会社と自分をいつまでも一体化させることができなくて挙動不審だったり、自分にしか伝わらない言葉を発してしまうところ。
すごく転職するところ。
一人では家でご飯を作らないところ。
部屋が散らかっているところ。

朝子の一人暮らし由来? の異常性に、読みながら気付いてからは(割りと序盤から現れている)ハッとして目が離せなくなり、だから信用できると思った。
一人暮らしって異常性が鋭くなっていくからな。
朝子の異常性は、何にでもカビをはやしてしまうことで、使っている湯呑みを洗わないで他のを使ったりしてカビを発生させていた。家でも会社でも。怠惰ってわけじゃない。別のが飲みたくなって淹れるから、前のがそのままになるだけ。
私の家での異常性は、読んだり書いたり観たりすることが最優先だから本当は別に食べたくないこと。仕方ないから買ってきたものを食べているが全部片手で寝転びながら食べたいし掃除したくないから欠片もこぼれない特性のものがいいと思っている。

最後30ページ怒涛の展開だったー!
ほぼホラー!
朝子のことわかるとはとても思えないけど朝子ならそーするだろーなーって思った。
男の子たちの性格とか、何をしてくれたかとかで朝子は決めないし、別に言える理由なんてないって感じなのがよかった。

柴崎さん、全然ガーリーじゃない!
どっか大幅にぶっ壊れてるー!
異常性♡

行きも帰りも電車で読み続けて降り忘れそうになり、降りてからもホームのベンチに座って読んだ。

食べて飲みながら読むの🍶


5/13夜☔️

身体も精神もものすごく寝たいのに起きていたいから何をしても集中できず、本を開いた。ら、いけた。

伊藤詩織『Black Box』。

ジャーナリストとして書くことに徹しようという意志が貫かれていてすごいと思った。
客観的に事実を記している。
自分を傷付けた人物のことも終始「○○氏」(○の中は実際の名字。私は書きたくないから○○にする)と表記。フラッシュバックやトラウマで何度も倒れたり調子を崩したりするのだが、感情的な「怒り」が書かれることはない。
諦めず裁判を起こし、顔を出して記者会見をした。
本を書くことを通して、レイプドラックの存在や、被害者に落ち度などないこと、そのような目に遭った際に駆け込める場所とシステムの整備を訴えていた。
病院(婦人科)よりも先にそのまま警察に行く方がいいらしい。警察にも多くの遅れはあるけど。
でも私たちはそういうことを何も知らない。何も教育されていない。
被害者は自分を責めたり、他の人から「落ち度」を指摘されてなだめられたりする現状。
しかし、当たり前だが普通の人は相手の飲み物に薬を入れたりしない。どう考えても悪いのはそいつだ。

解説では、武田砂鉄が冷静にめちゃくちゃキレていた。犯人に。警察の不可解な決定に(犯人が総理や官房長官など政権中枢と懇意にしている記者だったため、忖度されたのではないかという疑惑)。男性中心社会に。自分もその中にいるということに。
そこがよかった。

5/13☔️

怖い夢を3つ見た。
一つは、妹に赤ちゃんを受け渡す際、床に落としてしまう夢。いつも恐れていること。でもしばらく忘れてたこと。
二つ目は、マスクを取れ~~って誰かに追いかけられる夢。
普段は発言について何とも思わないが、この前落合陽一がnews zeroで、マスクを外す時期や呼び掛けの是非について、「僕はファッションでマスクを着け続けると思う」と言っていて初めてホッとした。もし自由がやってくるなら、どこで着けて外すのか、自分でそのつど選んで決めていけばいいよな。
三つ目は、妹と子どもたちと一緒にホテル(リゾートっぽい)に泊まっていると、好きな人がやってきて、フロントでチェックインする。凝視していると笑って手を振ってくる。
なんてこった…なんなんだ…って目が覚めてからうなされた。


5/12🌧️

しんどかったな。
息ができないような。
夜いびきかいてる翌朝の喉の痛み。
息がうまく吸えない。

隣の席に座った理科の先生に「低気圧のせいですね」ってやさしく言ってもらってほっとした。
昨日の晩気付いたら、息つく間もなく動いていた。
寝ることや、眠りに至る布団の上に横になる行動も含め、準備や何かのために常に身体を動かしている。
翌日は5個授業。
5個授業があるから前日からずっと動いてるのだよ。


5/11☂️→⛅️

四国にある美術館に行った。
友達とそれぞれバスで現地集合。
少し時間はかかるけど安かったので、JR高速バスじゃないバスにした。(ピンクのでもないよ。)

乗ったバスの運転手さんのことが忘れられない。
乗り口で待っていてくれるのは普通のことだけどとても丁寧だった。ロングヘアーの女性かと思ったら男性で、あらっ、このバス会社自由度がたかくていいね!と思った。
乗り込んで見回し、ガラガラだとわかってほっとひと安心。自分で席を選び予約したのだが席を見たら移動したくなり(そういう習性)、外に立っている運転手さんに聞きに行くと、すぐに、「どこにします? 5Aとか行っときます?」
前後ともに空席の場所。サイコー。
気軽~い。話はや~い。

発車後も丁寧な挨拶と説明、「あいにくのお天気ではございますが、途中通ります明石海峡大橋から見える景観もぜひ楽しんでください」とのご案内。
楽しみです~♡ てかやっぱただの移動手段じゃないんだよな、名勝(って初めて使ったわ)や観光都市を経由して行くバスなわけだからそういうことも言うよね、言いたいよね、言うのがいいよね!私がこのバスを運転してたら言いたいよ!っていうことなのだった。

その界隈を通る際の主要ルート(高速道路)ではなく、海側の湾岸道路や工場地帯を通って行くのも私にはとても珍しく思え、すごく面白くて終始目が離せなかった。
大橋を通り、島に渡ってサービスエリアで休憩。あれ、運転手さん、やっぱり女性かな?
声がやさしい。でも、男性が女性のようにしゃべるとそうなるという声の出し方にも聞こえる。うーん。運転手さん専用休憩所から出てくる時にトイレに行くかもしれないから見ていたらわかるかも……ってとこまで考えてハッ!
やめてよ。どっちでもいいんだよ。
じっと見ているなんて怖い。男とか女とかどうでもいいじゃん。真ん中の人かもしれないし、そんなことは私には全く関係のないことだ。運転手さんとしてすでに申し分なく、乗り心地よく堪能しているのだから十分だ。ゲスな勘繰りはやめよう。

というわけで考えるのをやめてサカナクションを聴きまくることに専念した。

美術館に到着。雨あがった。
友達と無事に出会う。
ゴッホの6枚のひまわりを見て、友達は「なんでこんなにひまわり描いたんやろ。ですよさん(芸人の)みたいに、100点が出るまでやり続けたのかな」と、オードリーのラジオネタをぶっ込んでくる笑。
かわいいし、自由な発想すぎてやっぱり最高に面白い人。
正解は、さっき偶然びじゅチューンで観たんだけど、たくさんのひまわりを飾って、同居予定のゴーギャンを迎えたかったからだって!
かわい~~🌻🌻🌻🌻🌻🌻


ゴーギャンの描くゴッホかわいい
ゴーギャンの描くキリストかわいい~



友達からはいわさきちひろの話も聞き、そういえばなんかちひろの描く女の子と友達は似てるー! (今も!)と実感して(友達は否定)、しみじみ・ニマニマしてしまった。リアルちひろだったか~。ほんとにかわいいよな~~🌤️

夕方。別のバスに乗る友達を見送って、私も予約したバスへ。
なんと、同じ運転手さんだった。
iPadを確認しながら、「お帰りなさいませ、○○さま。」ってにっこり笑って言ってくれる。覚えててくれてる~。
なんとなく、帰りも同じ人だったりして…って予感をしてみたけどまさかですよ。
ツアーや観光バスでもないし、他の時間も運行している。でも会うときは会っちゃう。

🚌
車内放送。
「どなたさまもおつかれさまでした。そしてお帰りなさいのお客さまもいらっしゃいますね」から始まるやさしいスピーチ。「左手には瀬戸内海に浮かぶ小豆島が見えるお天気になりました」だって!は~んあれが小豆島か~。たんのう♡


好きなことをしてる人の仕事の仕方なんだよな。
場所も案内も運転も、お客さんに接するのも好きなんだろう。お客さんの人数とか、求められているかどうかとかは関係ない。相手も自分も気持ちがいいことをする。
これが仕事だよな~と思う。
愛の存在を感じたし、しかと受け取った。
そして私も、自分の場所で、と思う。

🌞

個人的なこと、性別のことは、もはやなんでもよくなっていた……いや、でも真ん中だから惹かれるのかも好きになっちゃうのかも…と思い、勤務時間(拘束時間)って一体どうなってんだろ、とか、翌日ちゃんと休みかな? とかが気になって、ほんとに好きになっちゃったのかもしれない。

🌻

降り際に挨拶したら、長い髪は一つにくくられていた。

雲の下に小豆島
太陽が沈む


5/10🌤️

サカナクションのオンラインライブを観る。
スタジオセッションの2日目(全3日)。
少し前からサカナクションの中毒みたいになっていて、昔の『kikUUiki(汽空域)』というアルバムを繰り返し聴いていた。
心地よい、恍惚、エクスタシー? に近いものがあり、癖のように流した。
テクノっぽい電子音が気持ちいいのかもしれない。
もっとエモーショナルな歌が好きだと思ってたのに。
歌詞はほとんど聴いていなかった。
曲より歌詞が大事だと思っていたはずなのに。
最近のキャッチーな曲も好きだが、やっぱりこの頃の『kikUUiki(汽空域)』や『ドキュメンタリー』(…約12年前!)が心を掻きむしってくる。

ライブに行きたくなって調べたら、6月に来ると判明。初めて一人でライブに行ってみようか。
迷いの中、GW末のオンラインライブのチケットを買うことにしたのは、2日目が『ドキュメンタリー』と『kikUUiki(汽空域)』が中心だよと知ったから。1日券は2000円。アーカイブあり。

🐟️

とてもよかった~。
ライブに行った時、『壁』という曲のイントロが流れてきてぞわ~ってなったって学校のサカナクション友達(生徒)が言っていたけど、どの曲もイントロでぞわ~じゃんっ!と一人で家で観ながら思った。カッコいい~~。しびれる。泣く。これだけで泣く。

しゃべると山口一郎はよくも悪くも(悪くはない!)その年代の男子って感じで、すぐ突っ走って行きすぎてしまいそうになるところをメンバーがギリギリでキャッチする…って関係性がうかがえてよかった。女性2人いるのすてき。カッコいいイントロとか知ってる面白い音がこの人達からこうやって生まれてるのか…って間近で見る感動。

歌詞が画面に出るのもよかったー
歌詞よかったー!


青い目とウロコで うろうろする 僕はシーラカンス
どこかへ走り出しそう さようならする深い夜から

曖昧な若さを無理に丸め込みゴミだとした
どうか 僕が僕のままあり続けられますように
どうか どうか

シーラカンスと僕 


気付いたら全曲熱唱していた。
熱唱したかったんだね。


5/9☁️

昨夜思っていたほど、悲観しなくてすんだ日。

けれども、朝は寂しさと心細さでやる気がなくなり、テレビとラジオをつけた。
テレビでキムタクが、やる気のない日はありますよと話していて、でも負けず嫌いだからと言っていた。私も。

ちょっと距離を置かれているかもしれない(そのうち時が来るだろう)と思っていた子が、話しかけてきた。こっちを向いている。ヤッター! 内容もタイミングもよくてサイコー。
授業終わり、別の子が来て「先生、サカナクションのライブ観ましたか?」
週末にあったオンラインライブのこと。
「まだなのよー! よかった?」
「はい。セトリ見ます?」
「見たい!」
……われわれはサカナクション友達。

帰ろうとしたら部屋の外にガールズ達がいて、
「未来のこと教えてください」
「うーん、もうすぐ雨が降ります」
「それは私にもわかります!」
笑笑笑

ハルカスの印象派展にママと行ったんだって~。ママのお姉ちゃんがそれを見るために来たんだって~。気が合いそうだね。それで、その子も私と同じガチャガチャをやって同じ絵のバッジをゲットしたと!なんと!🥺

生徒に話しかけてもらうのがいちばん嬉しいな。
春が終わり、いろいろな緊張が取れてきたんだね。遅刻が増えるとかも聞くけど、ゴールデンウィーク明けの馴染み方いいな。


5/7🌞

夜寝つけなかったのは、赤ちゃんが何度も起きて(4回ぐらい)どこかに行こうとするので、それを止めたり抱き上げられてあやされるのを見守ったりしていたからだった。
昨日のことを分析してここに書き、書いたことに自分でズーンとダメージを受け、だいぶ開くことができなかった(今は5/9)。
書いても軽くならなかったな。
分析は進み、自分には家族に甘えてもたれかかったり邪険にする性質があるというところまで行った。
だから一人なのかとか。
人と暮らせないんだろうなとか。
…どこまで行ったらいいかわからない。
一つの間違いも許せないとか? 完璧主義だったの?
追い込まれて余裕がなくなるとよくないなとか。
え? 余裕がないと人にやさしくできないの? とか。
もういいかな……。

よく晴れて海がきれいだった。海はいつ見ても感動するな。

島からの帰り道、車で橋を渡っていると、海の向こうに街が見えた。「魔女の宅急便みたい! 『私、この街に住みたい!』」と妹が言ってみんながほんとだ! と言い、サントラをかけて渡った。それはなんかものすごいごきげんで素敵なひとときだった。

ずっと行きたかった山上の遊園地に行った。昭和時代の公園だ。
世界一乗り心地の悪いと評判の乗り物に乗り、出荷される気分を味わった。


出荷される


さらにリフトで山から山へ飛んでいく間に、さっき渡ってきた世界一大きいつり橋が眼下に。何たる絶景!泣きそうになる。

橋が見える!


山上ではサイクルコースターという自転車型の乗り物を漕ぎ、時々振り落とされる錯覚と眼下にさっきのつり橋! 大絶景かな!
妹&抱っこ紐の中の赤ちゃんと一緒に一周してるうちに泣。なんかわからないすごい気持ち。

全部友達が教えてくれた場所だった。




5/6🌞

妹にとてもひどいことを言ってしまって悔やんでいる。
原因をずっと考えているけどよくわからない。
かわいそうなことをしてしまった。
お互いに引きずって、旅行なのに最悪だし本当にかわいそうだと思った。
途中まで自分が悪かったことに気付かず、お互いか、むしろ相手が悪いと思っていたがたぶん私だった。まだ「たぶん」って。
夕食の前に謝り、当時どんな状況と心理状態だったのか説明した。
LINEの行き違いもあり、タイミングも悪かった。
ここがもし地元で土地勘がある場所だったら、われわれのコンビネーションをもってすれば可能なことが全然うまくいかず、そのことに苛立ってしまった。主に私。
言ってはいけないことを言ったと思うし、謝って、説明をしたら、理解と歩み寄りをしてくれたけど、取り返しがつかないのではないかと思ってもいる。
言ったことや相手を傷付けたことって、もう元には戻らないんじゃないかという気がする。
私は普段とてもやさしいし、愛情深く妹に接しているけど、そのことはこういう一点で台無しになるのではないかと思う。継続して、永遠にやさしくなければ意味がないのではないか。急に時々怖かったら、信用なんてされないのではないか。むしろ、いつも妹の側に立つことによって信頼を集めてきた私が急に変な怒りかたをして、妹から見たら、信頼している姉ではなく自分自身を疑ったり自信をなくすようなトラウマみたいになっていたらどうしよう……とか。

私は疲れていたのだろうか。
午前中は3つ授業があった。
ある人に、「できました」と朝見せられた今度の中間テストの問題が微妙で、私が授業している意味がよくわからなくなった
でもそんなことは引きずってないと思って授業した。
早く起きて洗濯もした。
夜は寝つきが悪かった。

子どもがいれば子ども中心のスケジュールになることぐらい十分わかっているはずだった。遅れるのも想定内。
午前中に遊んでいた場所から車で来る妹達と、ある駅で待ち合わせた。しかし、馴染みのないその駅に何も無いのが私には耐えられなかった。
スタバなんてもちろん無い。
隣の駅も、その隣もその隣も。
それで無断で移動を繰り返し、急速に苛立っていった。電車に乗っては降り、改札を出て何も無くて愕然とし、またホームに上って電車を待つ。階段を上り降りる。
一応、妹達の車のだいたいの居場所との距離をマップでそのつど確認した。とは言え、本当に全く土地勘が無いから1ミリも見当がつかないまま動くという無謀。
妹達は私が思っていたより遅れずに動いていたし、電話の声は華やいでいて、友達に教えてもらって午前中に行ってきた場所がとても楽しかったことがうかがえた。

それなのに私はひどかった。
疲れたから少し一人で休憩してからにしたい、ってその時思い付くことができなかった。

しかし、本当に恐ろしいのは、こう反省的に書いてはいるものの、自分がまた次に同じことをしないとは全く思えないということだった。
私はまたするだろう。気に入らない駅で待ち続けることができないし、きっと苛立ちを募らせ、相手を疑い、ぶつける。
よくありたいと常に思っているが、こういうふうにすぐに魔が差す。私にはこういうところがある。


5/5🌞

名古屋から家族が来て、友達の家で待ち合わせのように集まり、こどもの日をした🎏
名古屋からは大人3人、2才の子ども、赤ちゃん👶
こちらからは大人3人、赤ちゃん👶
私はこちら側に入れました😊

久しぶりに顔を合わせる人たちもいるし、初対面の人たち同士もいる。
私はこの中でいちばん全員とよく会っている人、だ。
それもあって、司会っていうか、進行しよっかな~と思って出かけた。
自己紹介?他己紹介?うざいかな?
しゃしゃり出たいってわけじゃなくて、まあそうなんだけど、私はみんなをみんなに紹介したいのだ!
けれども、始まってみたらみんなそれぞれ穏やかに、和やかに、お互いの方へ近寄っていった。

後に聞いた名古屋側の人たちの述懐としては、友達の夫がすぐに初対面の赤ちゃんを抱っこしてくれたのが衝撃&心掴まれポイントだったらしい。それにより、赤ちゃんも子どもも大人も全員の心がほぐれ、やさしい~やわらか~な気持ちになった。その場で、抱っこされている赤ちゃんの言葉を代弁するような声を口々に発しながら、大人の方がより感動し、緊張がほどけていったのだと思う。

2才の子どもはさらに素直だった。
赤ちゃん(自分のきょうだい)が初対面の人に抱っこされている様子を見てまもなく、その家の人々に懐き、後をついてまわったり、その家の赤ちゃんをのぞきこんで歓声をあげたりしていた。
名古屋の人たちはそれを見て本当にびっくりしていた。この子どもが、新しい場所でそんなに早く馴染むなんて。こんなに甘えたり、にこにこと話しかけたりするなんて。
初めて見る姿だったのかもしれない。
子どもには、その家の人たちのやさしさや、自分の方を向いてくれていることがすぐにわかったのだろう。伝わるんだな。

しだいに、私には、大人とか子どもとか赤ちゃんとか、家族とか友達とかが入り混じって、誰がどこの子か、どの場所から来てどこへ帰っていく人なのか、どちら側の誰なのかというのが曖昧、という光景に見えてきた。どっちでもいいじゃん。みんなで子どもを大切にしてかわいがったらいいんダヨ。今こうしているみたいに。そして大人も子どもも関係なく、心配したり助けたりして尊重し合えばいい。それは、私自身が中間で曖昧だから特に感じたことだろうか。そんなことないな。そこにいるみんながそうだったから、私にもそう感じられたんだろう。

みんながみんなに会えてよかった。私はずっとそうしたかったから、夢がかなって安心した。
もちろんみんなのおかげだ。
司会はやっぱしたかったけど(でしゃばり)、いい会だったな。

こどもこどもこども


5/4🌞

洗濯2回してコート類セーター類洗って干した。
友達と電話。終わったあともじーんじんわり。
一度読んだ漫画2周目。2周目の気付きってあるな。
昼寝2回。
毛を剃る。
ご飯炊いて食べる。おにぎりにして冷凍。
カタログギフトを選ぶ。タオルに決めた。
録画した『りゅうちぇる×平野啓一郎』のスイッチインタビュー。りゅうちぇる、『本心』読んだってさ😳

できなかったこともある。
古本屋の買い取り予定を延期した。私がここに住んでいることを証明する書類が無いと気付いたため!
別に誰かに認定とかしてもらわなくても、私はここにいるよ。
……テルマ? 流れてきた。ベイビーボーイ。言いたいことわかるでしょ?
私の家がここだと私が言っているのだからそうだということにすぎないのだけど。
ここが私の家であってあなたの家ではないとどうして言えるのですか?
……って始まっちゃうと、それはもう安部公房の『赤い繭』なのよ🦋


5/1☔️

一緒に行ったお店で、2歳の子どもに「これどうかな? いいかな?」と赤い折り畳み傘を広げて見せたら、マル🙆‍♂️ってした。本当に、マル🙆‍♂️って!

そんなことするの?
本気で?
いったいどうやったらそんなことに…。天使よ…🛐

こうしてたびたび、見たことのない生き物と接している気分になる。
ありがたくて、ちょっとまだ言葉にできないよ🧚

🛸

休暇終わり、家からの長距離バスは感情が人生一薄い。
radikoで大好きな芸人のラジオを流していても心は虚ろだ。面白くなくさえ思える。2回吹き出したけど。
LINEの返信はできず、本も読めない。
約3時間。
何も食べず、お茶を飲むときに少しだけ体を起こし腕を伸ばして取る。あとはただ薄い意識で窓の外に視線をやるのみ。

そのことをいつも忘れて、この3時間で色々できると思って乗り込みがち。でも何もできません。

5/2🌞

私はゴールデンウィーク「中日」を嫌がると思っていたがほとんどそんなことはなく、素直に寝てしっかりと起き、仕事に行った。「前半」の充実だけでなく、「後半」にも楽しみな予定があるためだと思う。
たまには働かなきゃねとか自分に言っている。
あ、午前中で帰れる曜日だったからだ! フー!
授業に行ったら、高校生が「この並びなら、普通有休取るよな」と話しているのを聞いて笑った。普通取るよ。

🌝

夜のヨガが最高だった。
先生大好き。太陽。明るい。みんなを見ている。優しい。丁寧。使う言葉が選ばれている。まんべんない。先生のガイドの声に引き出される。伸ばされて行く。存在の光を浴びているだけで気持ちがいい。そういうことだよなーと思う。良い気を全力で、わかりやすく送ってくれていると感じる。
私もわりとそれに近いものがあると思うんだ❇️

GWにピンクのスワンに乗りに行った人たちも。



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