#東北
【青森県新郷村】60年目のキリスト祭に行ってきて感じた、胡乱と真摯と伝統の最前線
世の中に奇祭は数あれど、その中には観光客を呼び込むために当初から「奇妙である」ことを目的に作れたものも少なくない。
そういった奇祭は面白みに欠ける、と感じる人もきっと多いだろう。
しかしそれが60年もの間続いているとなればどうだろうか。
当noteでも度々言及している青森県新郷村は「キリストの墓」なるもので村おこしを行っている村だ。
今から90年ほど前に、当時の村の有力者たちが周辺地
【青森県田舎館村】元祖田んぼアートと東北の弥生文化の意外な関係
水田に色の違う複数品種の稲を植えて絵を作り出す田んぼアート。
今でこそ全国各地どころか海外でも行われている田んぼアートだが、その発祥は青森県にある田舎館村とされている。
田舎館村は津軽平野の南部に位置し、弘前市に隣接する小さな村だ。
1993年に村おこしの一環として、村役場の裏の田んぼに3種類の稲を用いて文字やイラストを作ったのが始まりだという。
6月に植えられた稲は10月に収穫され
【青森県横浜町】横浜観光も青森で
青森で横浜といえば世界に誇る神奈川県の県庁所在地、横浜市ではない。
下北半島と本州の中間部に位置する、上北郡に属する小さな町、横浜町だ。
横浜町の人口は約4千人。横浜市の人口376万人と比べるとあまりにも小さな町だ。
というかそもそも青森県の人口は120万人、岩手県の人口は116万人、秋田県の人口は91万人なので、実は横浜市の人口だけで北東北3県の人口を合わせたよりも多い。
とはいえこ
【青森県青森市】なぜ悲劇は起きたのか 「八甲田山雪中行軍遭難資料館」
1904年1月23日、青森歩兵第五連隊の210名が青森連隊駐屯地を出発した。
予定は1泊2日。行軍距離は片道20km。行き先は田代新湯。
後に「八甲田雪中行軍遭難事故」として知られることになるこの行軍は、現代でも悲劇として語り継がれている。
恐らく周辺地域に住んでいる人以外や山に詳しくない人でも、1971年に出版された新田次郎の『八甲田山死の彷徨』 やそれを原作に制作され1977年に公開
【青森県八戸市】ウミネコの街の小さな水族館 水産科学館マリエント
北東北にある水族館といえば、大きいものであれば青森県青森市の浅虫水族館や、記事にもした秋田県男鹿市の男鹿水族館GAO。比較的小さなものであればこちらも以前記事にした岩手県久慈市にあるもぐらんぴあなどがある。
もぐらんぴあの記事でも触れたが、もぐらんぴあとよりも更に小さな水族館が青森県の 八戸市に存在する。
その名も水産科学館マリエント。
ウミネコの繁殖地として有名な蕪島と目と鼻の先にある
【青森県外ヶ浜町】お台場観光も青森で
以前、青森県内に「代官山」があるという記事を公開した。
実は似たようなスポットは他にもある。津軽半島の北端である外ヶ浜町には「お台場」があるのだ。
一般的に「お台場」といえば、東京湾にある人工島だ。当然青森の「お台場」にはフジテレビもアクアシティお台場もない。
とはいえ「代官山」の時と同様に青森県の「お台場」の名の由来も、東京の「お台場」と同じくかつて砲台が設置されていた場所というとこ
【青森県新郷村】青森になぜキリストの墓?「キリストの里公園」
青森県の新郷村 (しんごうむら) には、キリストの墓と呼ばれているものがある。
一応言っておくが、地元の人間も本気にはしていない。本気で信じていたら、キリストっぷなどというふざけたものは作らない。
元々この地域では地元の旧家である沢口家という家があり、彼らのの有する土地に2つの盛り土があった。
ここに1935年に『竹内文書』の著者公表者であり 、この文書を聖典とする「天津教」 の教祖であ
【青森県佐井村】本州の先っちょ「仏ヶ浦」は、多分異世界
仏ヶ浦という場所がある。
青森県の景勝地だ。
仏ヶ浦は下北半島(青森県の北東部の大きな半島)にある奇岩が並ぶ海食崖である。
奇岩と称される岩々の独特の形状は、脆く真っ白い凝灰岩が海に侵食されたことで生じており……
と、長々書いたところで自分の文章力ではまず伝わらない。
とにかく下の写真を見てほしい。
あまりにも圧巻だった。
青森生まれ青森育ちというのに、青森に、というか「日