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創業物語

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創業物語Ⅴ~フリーから法人へ~

創業物語Ⅴ~フリーから法人へ~

一人で歩く「学歴や性別、育った環境に関係なく、頑張っている人が輝けるWellbeingな社会を創りたい。」

社会教育施設が当初の予定より2年早く民間委託になり、これからは「自分自身が必要だと思ったことをビジネスにしていこう」と思い創業準備のためフリーランスとい働き方にシフトしました。

法人の在り方に悩む
当時は、Wellbeingという言葉は使っておりませんでした。自分の一番の強みは集団の中で

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創業物語Ⅳ 社会教育施設までの道のり

創業物語Ⅳ 社会教育施設までの道のり

退職小学校という教育現場での任期終了。
私の教員での働き方は、臨採(臨時的任用教員)。教員免許もありますし、通常の教員とまったく同じ勤務体系。給与はいただけるだけありがたいと思っていましたが、同一賃金同一労働とはかけ離れた世界にいました。
通常学級や特別学級の担任はもちろんのこと、学年主任や校務分掌といったものもしっかり受け持ちをし、同じ学校に長くはいられない。学年の途中からも入ることもあり、短期

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創業物語Ⅳ~学校教育での葛藤~

創業物語Ⅳ~学校教育での葛藤~

地域資源と学校教育
東京を後に中小企業の仕事にわくわく感がとまらない日々を過ごしていましたしかし、そろそろ夫の転勤があるころ上の子の進学のことも気になりましたが、考えても仕方がない。新しい土地でも自分の社会的役割をみつければいいだけ。そして東京を離れることに。

条件つきで指名される働き方東京から山口県に転勤。そこでも私は自分の社会的役割を常に意識することにしていました。
中小企業の面白さも忘れら

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創業物語Ⅲ

創業物語Ⅲ

予定とおり日本に帰国することになりました。
渡航するときは、もしかしたら5年くらいは日本に帰国できないのではないかと思っていたのですが。せっかくキャリアについて目覚めた私が帰国してどのような道をたどっていたのか転勤族の家庭の方のヒントになればと思います。帰国篇は3回にわけて掲載いたします。

社会的役割を意識した働き方働く=賃金と考えがちですが、働くことには、家事であったり、育児や介護、ボランティ

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創業物語Ⅱ

創業物語Ⅱ

創業するとは夢にも思っていなかったころ。

私の創業までの道のりについて、お話しいたします。

人生におけるターニングポイント
外資系企業に勤める夫とともにドイツに赴任する暮らしをしていました。1991年のベルリンの壁崩壊の時もドイツ現地のテレビによって歴史が大きくかわる時を国境の街、バイエルン州のBurghausenで迎えました。

お茶会での一言
ドイツの方々は気軽にお茶会をしていて、私も近所

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創業までの物語

創業までの物語

頑張っているお兄さん、お姉さんが幸せそうにみえなかった時代
亡くなった私の父は中学校の教員でした。社会科が専門だったようですが、私の記憶にあるのは、特別支援学級の担任として学校に通う父の姿でした。

その当時、特別支援学級(通常の学校にある特別支援学級)はなかよし学級とよばれていました。父が勤務している学校は田舎の学校で、夏休みこどもたちがいない学校によく連れて行ってもらいました。夏休みですが、学

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