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【追悼・三木卓】非モテの私を救った一編のエッセー

作家の三木卓さんが、先月亡くなっていたことを、各紙が伝えた。88歳、老衰だった。


「裸足と貝殻」で読売文学賞(小説賞)を受けた詩人、作家で日本芸術院会員の三木卓(みき・たく、本名・冨田三樹=とみた・みき)さんが11月18日、老衰で死去した。88歳だった。
 1973年に「 鶸(ひわ) 」で芥川賞を受賞した。
(読売新聞 12月1日)


三木卓は、詩人としてH氏賞をとり、小説家として芥川賞をとり、童話作家として野間児童文芸賞をとった。ロシア文学の翻訳者でもあった。

1970年代から80年代にかけて、文学の万能選手に思えた。

1980年に映画化された「震える舌」も大いに話題になった。

その後も寡作ながら作品を発表するが、病気がちで、あまり表に出てこなくなった。私も結局、一度もお会いする機会がなかった。

小谷野敦が、


まあ三木卓さんは50代で心筋梗塞やってるからよくここまで生きたという感じだよなあ


とポストしていたが、それが私の正直な実感でもある。若い人には、彼を知らない人が多いかもしれない。

しかし、私にとっては、忘れがたい作家である。


三木卓は1935年生まれで、少年時代に戦争を体験した世代だ。

1960年代生まれの私は、若いころ、この世代の作家を読むことが多かった。大江健三郎、柴田翔、畑山博らが同じ1935年生まれ。

野坂昭如(1930年生まれ)や五木寛之(1932年生まれ)のちょっと下。その微妙なちがいを言うのは難しいが、野坂・五木より内省的で繊細な感じかな。

私が物心ついた1970年代に、三木らは30代から40代で、親の世代より少し若い、「アニキ」的存在だった。私は、三木が若者向けに書いたエッセーに影響を受けた。


とくに愛読したのは、1976(昭和51)年に出版された『青春の休み時間』というエッセー集だ。そこに収められたエッセーの多くは、当時創刊されたばかりの雑誌「GORO」(小学館)に連載されていた。

「GORO」・・懐かしい。

しかし、私の人生を救ってくれた「劣等感はすばらしい」という一篇の初出は、1974年の「婦人公論」だった。

それを『青春の休み時間』で読んだき、私は高校生だった。



私は当時、中学時代から思い焦がれていた初恋の相手に、てひどくふられていた。

それだけではなかった。

私は子供だったから、それまでテレビや映画で見てきた「美男と美女の恋愛」みたいなことが、自分にも起こるのではないかと思っていた。

しかし、失恋体験をつうじて、自分は、そんな世界の住人ではないことを思い知った。

世界が崩れていくような思いを味わった。

死のうかと思ったくらいだ。


そんなときに、三木卓のエッセーに出会った。

私が付箋をつけて何度も読み返した箇所を引用する。



劣等なもの、劣弱なものは、生殖の領域において、生の正当性の上には立てない。拒否されてもしかたがない。だから、程度の差こそいろいろあれ、容貌や体形に自信がないものが、恋愛しようとしてひるむ気持ちになるのは根拠のないことではない。性愛をうちにはらんだ恋愛の背後には、個人の意志や思想を越えた冷徹な法則が走っていて、もし人が恋愛するならば、必ずその法則を受ける。深く傷つくことがあるかもしれない。

ひどく救いのないような話になってしまったが、わたし自身は、いったいそういうなかでどうやって生きてきたのだったろうか。わたしは青春期にあって、自分が肉体的に劣っていることのために、自分が求愛する資格がないと信じていた。にもかかわらず、わたしは恋をせざるを得ず、恋をすれば相手の身体と心と両方を所有したくなった。(中略)

結局、そういうことのような気がする。自分がいかなる者であろうと、その自分をどう思っていようと、人は求愛しなければ生きられない、と思えばそうする。たとえうまく行こうと行くまいと、そんなことは問題ではないのだ。しなければならなければ、他者の眼にどう映じようとするのだ。もし、劣等感が障害になったり、なりふりのほうが問題だとしたら、それでもその人は生きられるということであり、それはそれでいいのである。(中略)

最初の出会いで電撃に打たれたように結ばれてしまう一対の美男美女の幸福は、そういう人にはおとずれてこないかもしれない。わたしは、そういう<性>そのもので絆を直接に結びあう、生物的な結びつきに、正直いって相当な嫉妬をおぼえるが、しかし、そういうものにはない、別種の世界がそこに存在していることは確かなのである。

そして正にそここそ、人間の世界なのである、と思う。

(「劣等感はすばらしい」『青春の休み時間』集英社、1976)



三木のエッセーは、嘘のない、直球の言葉で、私の苦悩を言い当てて、私のその後の人生を暗示してもいた。

「結局、そういうことのような気がする」の段落がとくに好きだ。「それでもその人は生きられる」という一節に、どれだけ励まされたことか。

涙を流しながら読んでいた記憶がある。


あれからおよそ50年が過ぎた。

私の恋愛はその後も成就せず、やっぱり「深く傷つくこと」ばかりだったが、ともかくも生きているのは、大げさに言えば、このエッセーのおかげである。「それでもその人は生きられる」という言葉どおりだ。

三木卓には、そういう大恩がある。心からご冥福をお祈りしたい。



<参考>


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