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田中英道と立花隆 東大仏文同期で右と左に別れた2人

今日(5月28日)は、立花隆の誕生日だ。

少し前の動画だが、2021年の立花隆の死にさいし、田中英道氏が「東大仏文同期」立花隆の人生と思想を論じている。


私はマスコミに長くいたが、右翼の大物の美術史家・田中英道氏と、ジャーナリストで「知の巨人」の立花隆が、東大仏文科で同期だったという認識はなかった。

改めて年譜を確認すると、以下のようになる。

(なお、地の文では原則、生者には敬称をつけ、死者にはつけない)


田中英道と立花隆の略年譜


田中英道

1942年 2月20日、東京都生まれ

1960年 都立日比谷高校卒、東京大学入学

1964年 東京大学文学部仏文科卒

1966年 同美術史学科卒、東京大学大学院入学、仏ストラスブール大学に留学

1968年 留学先のフランスで「パリ五月革命」を体験

1992年 東北大学文学部教授(美学・西洋美術史)

1996年 東北大学文学博士号

2001年 新しい歴史教科書をつくる会会長

現在81歳、東北大学名誉教授、日本国史学会代表理事として活動中


立花隆(本名・橘隆志)

1940年 5月28日、長崎市生まれ。

1959年 都立上野高校卒、東京大学入学

1964年 東京大学文学部仏文科卒、文藝春秋に入社

1967年 文藝春秋退社、東京大学文学部哲学科に学士入学

1968年 東大紛争で大学休学、ルポライターデビュー

1974年 文藝春秋で「田中角栄研究〜その金脈と人脈」発表

1975年 「中革VS革マル」出版

1978年 「日本共産党研究」出版

2005年 東京大学特任教授 「天皇と東大」出版

2021年 4月30日、急性冠症候群で死去 享年80


右と左


田中英道氏は仏文から美術史に転じたし、立花隆は哲学科に再入学してノンフィクションのライターとなる。だから、どちらも「仏文」のイメージがなく、東大で同期だったことは見逃されがちではなかろうか。

また、立花隆に「左翼」という印象はないかもしれないが、上記動画での田中英道氏によれば、立花は「フランクフルト学派」であり、いかなる権威・権力にも反発するという意味での左翼だった。だから、田中角栄も叩けば、左翼の権威である共産党も叩く。

私が知っているのは、マスコミ界には「小・立花隆」みたいなのが非常に多かったことだ。いかなる権威・権力も批判する、という形で、結局、左翼の味方をしていた。(そして、いまジャニー喜多川で問題になっているように、業界の権力は決して批判しなかった)

立花隆が田中角栄を廃人に追い込んだ手法は「ジャーナリズムの王道」として「権威」となり、安倍晋三を暗殺されるまで追い込んだアベガーの手法にもつながっているだろう。


田中氏と立花は、ともに東大入学早々1960年の安保闘争を経験している。同期の立花と「袂を分かった」みたいな言い方をしているが、東大時代は仲がよかったのだろうか。そのころの話も聞きたかった。

立花隆は「知の巨人」の名声をほしいままにしたが、その後に「知の巨人」は何人も出てきて、晩年はやや忘れられていた(武満徹についての本などは重要だと思うがあまり評判にならなかった)。いまの若い人には、旧NHK党のYouTuber、立花孝志氏のほうがはるかに有名だろう。

立花隆は80歳で亡くなったが、田中氏は81歳でまだまだ元気だ。立花の生前には名声で負けていたが、これから逆転するかもしれないから、やはり長生きはすべきだと思う。


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