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「ジャニーズ」の次は「創価学会」? マスコミのタブーが破れる時

むなしさと感慨


以前から書いているように、私はメディアにいたときから、反ジャニーズだった。

ジャニーズ問題の成り行きを見、メディアの狼狽ぶりを見て、

「そらみたことか。ざまあ見ろ」

と言いたい衝動に駆られる。

これほど長い時間がかかったこと、結局はBBCという外圧によらなければ事態が動かなかったことに、むなしさがあるが、それでも、

「難攻不落に思えた、あれほどのタブーが、破れる時が来た」

ことに、感慨がある。

そして、

「次に破れるのは創価学会タブーか」

と、期待とともに考える。


問題の本質は「性加害」ではない


といって、創価学会に性加害問題があると言いたいわけではない。

はるか昔、池田大作の女性問題が取りざたされ、それを扱った毎日新聞のスター記者(内藤国夫)が社を追放されたが、そういうことを蒸し返したいわけではない。

ジャニーズ問題の大きな一つが、ジャニー喜多川らの性加害であったのは言を俟たないが、問題はそれだけではない。

ジャニーズが芸能界でふるってきた覇権とカルト性、その「カルト」と長年不適切な依存関係にあったメディアの問題は、本来は「性加害」の有無とは無関係だ。

その「不適切な関係」の方が本質である。そのためにメディアはさまざまなジャニーズの問題を見逃してきた。「稲垣メンバー」問題などとともに、目をつぶってきた最大のものが、ジャニー喜多川の性加害問題だった、ということだ。

性加害問題を矮小化したいわけではないが、その問題の責任や補償が明確になり、仮に「解決」したとしても、メディアが「カルト」と長年、不適切な関係を結んできた問題は消えない。その責任はこれから追及されなければならない。

そして、同じような「カルトとの不適切な関係」を、メディアは創価学会といまも結んでいる。

それは、ジャニーズ問題と同様、メディアに長年存在し、

「みんな薄々知っていて、問題だと認識しているが、誰も問題だと言い出せない」

そういうタブーのうちの最大のものである。


「カルト」との不適切な関係


ジャニーズ問題を「カルト問題」と呼んでいたのは、先日のYouTube番組での法哲学者、井上達夫だ。

井上に言わせれば、ジャニーズもAKBもナントカ坂も、本質は「カルト」である。

つまり、少数の熱心な「信者」をつかまえ、その強い忠誠心を燃料に社会を支配していく。

少数といっても、たとえば1万人が1年で10万円使えば、10億円のカネが動く。

そういう信者が10万人いて、100億円もあれば、ヒットチャート1位を「買う」のはたやすいだろう。

ジャニーズや創価学会の「信者」は、10万より、たぶん2ケタ上だ。動くカネも数千億以上だから、芸能界を独占するとともに、メディアを「買収」するにも十分だった。

ジャニーズ事務所は、「信者」を動かすことで、ジャニーズのタレントが出る番組の視聴率を支え、出演する映画をヒットさせ、タレントが表紙に載った雑誌を買わせることができる。

創価学会の場合は、部数が数百万といわれる聖教新聞や公明新聞を、新聞社の系列の印刷所に刷らせることで、莫大な利益を新聞社に供与している。

そして、池田大作の本や、佐藤優や田原総一朗などに書かせた創価学会ちょうちん本を出版させることでも利益を供与する。こうした本は、信者が組織的に10万部以上買うと言われている。

創価学会との関係が最も深いのは毎日新聞で、毎日グループのナンバー2(専務)は創価大出身者だった。創価学会からの支援がなければ、明日にも潰れかねないほどのズブズブだと言われている。


経営トップと骨がらみ


しかし、創価学会は毎日新聞だけでなく、各新聞とまんべんなく関係をもって、メディアを支配している。そのやり方は、ジャニーズと同じである。

こういうことは、メディアの人間ならみんな知っている。創価学会のちょうちん記事を書かされた記者は多いはずだ。ネットを探してもすぐ情報が出てくる。


少しネットで検索して気づいたが、創価学会とメディアの癒着を問題視する記事は、2000年くらいまではまだ出ていたが、それ以降、減少している。

日本共産党も、その癒着を攻撃していたが、最近は聞かない。

こういうところも、ジャニーズ問題と似ている。「不適切な関係」の深さが、時を経て、もう骨がらみの、にっちもさっちもいかない状態になっている。


もちろん創価学会の場合、現実の政治権力を持っている点で、ジャニーズより問題が大きい。

私は、新聞業界が、公明党の力によって消費税の軽減税率を勝ち取ったとき、いわば共犯関係になって、もう後戻りできない状態になったと感じた。

マスコミでは、ジャニーズや秋元康に近い者ほど出世して、批判する者は排除された。

いま、メディアの中で、創価学会との関係を切るべきだと訴える正義の人がいたとしたら、社内で決して出世できないだろう。

不偏不党と社の綱領にあるのだから、自社系列の印刷所で聖教新聞を刷るべきではない、と言う正義の新聞記者がいたら、僻地に飛ばされるだろう。

かつてのジャニーズとの関係と同じ、それは経営のトップレベルに刺さっている「骨」である。

そういう意味で、いまは「難攻不落」に見えるが、ジャニーズ事務所の成り行きを見ていると、わからないと思う。

事態は、ジャニー喜多川が死んでから動いた。池田大作ももうすぐ亡くなる。創価学会の組織力、政治力も陰りがあると言われる。


上述したYouTube番組で、井上達夫は、森進一の例を出して「ジャニーズ支配」脱出の道を示唆していた。

森進一は芸能界で干されていたが、「襟裳岬」の大ヒットで復活する。襟裳岬という楽曲を提供したのは吉田拓郎だ。吉田拓郎は既成芸能界の外側に位置するミュージシャンだったので、しがらみにとらわれることがなかった。

ジャニーズの性加害でも、BBCや週刊文春がここでの「吉田拓郎」のような働きをした。

同じようなことが創価学会問題で起こるだろうか。マスメディアの外から、フリージャーナリストが問題を指摘しつづけてきたが、上述のとおり、今のところ大状況を変えるにはいたっていない。


日本の恥


私の望みは、メディアに特定の組織と癒着せず、特定の方面の情報をタブーにせず、社会のために公正な報道と評論をお願いしたい、というだけだ。

それは、過大な希望なのだろうか。

もしそうなら、私はメディアなんか要らないと思う。メディアの中で働いているときからそう思っていた。

私には小林よしのりのような「少年愛」はなく、ジャニーズのファンではないが、女性アイドルは好きだし、ファンクラブに入ったこともある。

創価学会にも個人的恨みはない。個々の学会員は真面目な善人だろうと思う。

性加害問題がなければ、ジャニーズをつぶせと言いたいわけではないし、創価学会についても同様だ。

問題がメディアの側にあるのは明らかである。

なぜ「カルト」のおこぼれにあずからないと存続できないほど落ちぶれてしまったのか。

それこそ「日本の恥」ではないか。

元メディアの人間として、それがただただ悲しいし、恥ずかしい。そういう思いは、現役の人たちとも共有できるのではないかと思う。

ジャニーズ問題では「外圧」に頼ることになったが、創価学会問題では、そのメディア内の「思い」が事態を変えてほしい。



<参考>


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