見出し画像

「必勝しゃもじ」が開く新たな日本像 三島由紀夫・大江健三郎・岸田文雄

「必勝しゃもじ」と日本人の戦争観


岸田首相のウクライナへの土産品「必勝しゃもじ」と、それに対する野党議員の反応には、やはりいろいろ考えさせられるものがありました。

私もまた、戦争に負けた国の首相が行って、ウクライナから「縁起が悪い」と思われないだろうか、とちょっと思ったからね。

そしたら、土産が、日清・日露のときに使われた「必勝しゃもじ」と聞いて、「ああ、戦争に勝ったこともあった。しかもロシアに勝った」と改めて思い出した。

戦争と聞くと「負ける」「不正な戦争だと世界から怒られる」「縁起が悪い」と連想が働く野党議員は、戦後の申し子ですね。

やっぱり「2度と戦争する気にならないように」とGHQに洗脳された結果でしょう。

戦争と聞くと「勝つ」「勝って世界から感心される」「縁起がいい」と連想が働いた時代もあったわけで。

昨日は「広島大本営」のことを書きました。


その「広島大本営」での勝利の記憶が、原爆による悲惨な記憶によって「上書き」されたように、戦争に関するよい記憶や連想は、日本人の心から消去されている。


忘れさせられた記憶


日露戦争の史跡なんかは、日本中にまだ、たくさん残っていると思いますけどね。

たとえばウチの近所の川崎市中原区には、日露戦争の戦勝記念で、砲弾を抱えて建っている狛犬なんかがある(大戸神社狛犬)。


多摩区の生田には「明治三十七八年戦没紀念碑」と「日露戦没陣亡軍人忠魂碑」がある。麻生区の柿生にも似たものがあった。

麻生区役所柿生分庁舎にある明治三十七八年役記念碑、乃木希典書


もちろん原宿には東郷神社があり、江ノ島には児玉神社(児玉源太郎を祀った神社)がある。

そういうのを見ると、昔の人は、戦争の勝利の喜びを思い出し、軍人英雄や戦没者の貢献に感謝し、日本の輝かしさを誇りに思ったり、国家に対する厳粛な思いに打たれたり、したわけでしょう。

戦後は、とにかく「日本が戦争に勝った」記憶を封じる中で、そういう感情も基本的には禁じられた。

戦争の史跡を見ると、ひたすら「負ける」「悲惨」「世界中から怒られる」「戦争反対」と連想が起こり、「戦争」と見ると反射的に「平和祈念」と反応するようになっている。


「三島の日本」と「大江の日本」


戦争は2度とごめんだから、それでいい、という人も多いんでしょうけどね。

戦争はごめんだ、には同意ながら、自分の国のイメージの基本を、「戦争に勝った国」とするか、「戦争に負けた国」にするかで、随分違うとは思うんですよ。

私が「必勝しゃもじ」で思い出したのは、「広島大本営」もそうだけど、三島由紀夫の「豊饒の海」ですね。

あの三島の遺作となった長編連作の第1作「春の雪」は、日露戦争の勝利を主人公が語り合うところから始まる。それを、思い出したんですね。


 学校で日露戦役の話が出たとき、松枝清顕は、もっとも親しい友だちの本多繁邦に、そのときのことをよくおぼえているかときいてみたが・・


というのが冒頭の一文です。

日露戦争のことを覚えているか? という、三島の、戦後の日本人への問いかけのように感じます。

日露戦争の勝利の記憶から物語を始めるところに、三島の日本観が出ています。

対照的なのは、最近亡くなった大江健三郎ですね。

日本観の原点として、三島が「日露戦争での勝利」を置いたとしたら、大江は、「太平洋戦争での敗北」を置きました。

敗北から始まる「戦後民主主義」の中で、核戦争の脅威におびえる人間像を描いたのが大江ですね。

三島(1925年生まれ)と大江(1935年生まれ)は、10年しか年が違わなかったけれど、まさに対照的でした。

その三島と大江の「間」で、日本人の歴史が「窯変」しているわけです。


岸田文雄首相への期待


その三島にしても、もちろん日清日露を同時代に体験しているわけではない。

しかし、親や祖父母からその話を聞ける環境ではあったでしょう。

「春の雪」の主人公の松枝と本多は、日露戦争が終わったとき(1905年)、11歳だったという設定です。ということは、1894年ごろの生まれ。

今回、調べてみて面白かったのは、岸田首相の祖父、3代続く国会議員の初代の岸田正記が1895年生まれで、「春の雪」の主人公とほぼ同年なんですね。

岸田正記は、子供時代に日露戦争の勝利を経験し、政治家として海軍に近く、昭和の戦争では海軍政務次官や翼賛政治会国防委員長を務めました(戦後は一時公職追放)。

岸田文雄氏が生まれてすぐ亡くなるので、岸田首相に祖父の記憶はないかもしれませんが、日露戦争や、その前の日清戦争での「広島大本営」の話は、文雄氏も家族の記憶として聞いていたと思います。

だから、岸田首相の「必勝しゃもじ」には、戦後の感覚だけではない、戦前からの日本の戦争の記憶が込められていると思います。

岸田首相の「広島」は、戦後の「平和祈念」の「広島」だけではない。その下の層の「広島大本営」や、日露戦争勝利の記憶も折りたたまれているのではないか、と。

だから、岸田首相の「必勝しゃもじ」で、私は岸田首相を見直したし、岸田首相に新たな期待が生まれました。

日本の戦前と戦後、いわば「三島由紀夫の日本」と「大江健三郎の日本」を融和させるような、そういう象徴的政治をしてほしい。

それによって、これからの新たな日本像を示してくれる、ちょうどいい人物なのかもしれない、と。







この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?