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岸田首相の「しゃもじ」の深い意味 「広島大本営」の歴史

岸田首相がウクライナに贈った「必勝しゃもじ」について、

「地元選挙区の土産品を使うなんて」

という声があるわけですが、

広島は、日清戦争で「大本営」だった、

という事実をみんな忘れていると思うんですね。

明治天皇は、近代日本最初の対外戦争で、「前線」である広島に移って、戦争を指導しました。(そして、勝ちました)


徳富蘇峰は、

「明治天皇は広島まで来て戦争を指導したのに、昭和天皇は皇居を動かなかった」

という意味のことを言って、昭和天皇が戦争に不熱心だったことを非難しました。


しゃもじは、「飯(めし)とる」というダジャレで、日清日露から戦勝祈念の品となったそうですが、それが今も広島(宮島)土産となっている経緯を私も正確には知りません。知りませんが、多分このことが関係しているのでは。


岸田家は、広島出身の3代にわたって国会議員を出したエリートであり、広島県知事を生んだ家系でもある。

当然、広島大本営の歴史や因縁を知っているはず。

広島大本営の史跡は、原爆で跡形もなくなりました。

戦後、広島は、原爆の被害者として「平和」の象徴となりましたが、それ以前は、(現在のキーウと同じく)戦争遂行の本部であり、「戦争」と「勝利」の象徴だった時期もあったのです。

その「ダブルミーニング」を使ったとしたら、岸田首相はけっこう「深い」。



<参考>



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