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「アレクサンドリア図書館」神話の嘘

本好きなら「アレクサンドリアの大図書館」の話を知っているだろう。

本好きの胸を熱くする話だ。私も心をゆさぶられた。


アレクサンドリアの位置(google mapより)


アレキサンダー大王が征服したエジプトの港湾都市、アレクサンドリアに、紀元前300年ごろにできた、古代最大の図書館。

アレキサンダー大王と、エジプトを継承したプトレマイオス1世は、ともにアリストテレスの教えを受けている。図書館を建てたプトレマイオス2世も、アリストテレスの「万学を究める」理想を追求したのだろう。カネに糸目をつけず貴重な本を集めたという。

図書館はヘレニズム時代の文化の中心となり、古代の著名な学者がここに集った。

アレクサンドリアには、古代世界7不思議の1つ、「アレクサンドリアの大灯台」もあったから、この図書館は「知識の灯台」とも呼ばれる。


アレクサンドリア図書館内部の想像図。Wikipedia「アレクサンドリア図書館」より


しかし、紀元前48年、共和政ローマのユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)がアレクサンドリアを攻め、図書館も炎上。蔵書の一部が失われた。

その後、紀元391年、キリスト教徒が図書館を襲撃して、異教の本を焼いた。

最終的には641年、イスラムの軍団がアレクサンドリアに攻め込み、図書館と蔵書を完全に破壊した。

こうして、古代最大の知恵の宝庫、かけがえのない人類の知的遺産は、暴虐と狂信の徒によって、永久に失われたのだった・・。


ああ、なんと悲しい話なのか。本好きには、史上最大の悲劇だ。


ウンベルト・エーコ(1月5日は彼の誕生日)原作の映画「薔薇の名前」の、図書館が燃える最後のシーンで、アレクサンドリア図書館の炎上を連想した人は多いだろう。

「薔薇の名前」は、アリストテレス「詩学」の失われたページをめぐる話だった。「詩学」完全版も、アレクサンドリア図書館にあったにちがいない。

4世紀に実在した女性天文学者ヒュパティアをレイチェル・ワイズが演じた映画「アレクサンドリア」でも、この大図書館が舞台になった。

新プラトン主義の教育者でもあった彼女は、キリスト教徒が図書館を襲撃したさい、惨殺されたとされる。

映画「アレクサンドリア」(2009)


本好き、図書館好きの心をとらえて離さない、この「アレクサンドリア図書館」の話は、しかし、ほとんどウソだという。


私が正月に見た動画で、歴史系人気YouTuber、Premodernistが説明している。


「アレクサンドリア図書館のつまらぬ真実 The boring truth about the Library of Alexandria」(英語)


この動画の話をまとめると、以下のようなことだ。

・アレクサンドリア図書館についての証言は、ほとんど数百年あとの噂話のたぐいで、思想的偏向もあり、信用できない。

・紀元前200年ごろ、ユークリッドなど著名な学者が居住し、有名な図書館だったのはたしからしい。だが、栄光は短く、すぐに落ちぶれた。その後は、同時代にいくつかあった図書館の1つにすぎない。

・シーザーの攻撃で、図書館の一部が燃えたのはたしからしいが、当時はすでに凡庸な図書館なので、そんなに惜しい話ではない。実際、この図書館は4世紀ごろまでには完全に姿を消すが、だれも惜しんだ記録がない。

・それ以後に伝わるアレクサンドリア図書館の話は、アレクサンドリアにあった別の図書館「セラぺウム」の話だ。つまり、2つのちがう図書館の話が意図的に混同されている。(セラぺウムとは、プトレマイオス朝エジプトの国家神セラピスを祀った神殿。図書館はその付属施設)

・その後のセラぺウムへのキリスト教徒による襲撃、またイスラム教徒による襲撃も、同時代のたしかな記録がなく、後世の政治的プロパガンダくさい。アレクサンドリアが襲撃されたとしても、図書館をとくに標的にしたものではないだろう。

・2つの図書館は、そうしたドラマチックな迫害で滅びたわけではなく、しだいに重要性を失い、ほかの建物・施設と同じように、ひっそりと姿を消したと考えたほうがよい。

・そもそもアレクサンドリア図書館に貴重な文献が秘蔵されていた具体的な証拠がない。ここにだけあった人類の知的遺産が失われた、というような話は、誇張であり、幻想である。


で、これは、このYouTuberが言ってるだけではなく、歴史家の通説らしい。私が調べた範囲では、どうもそのようなのだ。

むしろ興味深いのは、歴史家がいくら否定しても、「アレクサンドリア図書館」の神話が生き延びていることだ、とPremodernistは言う。

この話は、古代にあこがれをもつ人の心を惹きつけるだけではない。

古代の自由で開明的な知性が、中世の頑迷で狂信的な宗教によって滅ぼされた、という話は、現代人の、とくにリベラルな人たちの心にアピールするのだ。

だから、これは世界的に広がっている都市伝説のようなもので、日本の一部の人にとっての「源義経=ジンギスカン説」のように、いくら否定されても生き延びるのである。


私にとっても、「アレクサンドリア図書館」の伝説は、手放しがたい。

それが、書物と図書館の大切さを教える、歴史的教訓のようにもなっているから、なおさらだ。

「歴史のロマン」として、生き延びらせてもいいように感じる。


しかし、この伝説に害がないわけではない。

アレクサンドリア図書館の伝説は、反イスラム主義の差別と偏見を広めている、と告発する動画も見た。

Did Caliph Umar ibn al-Khattab Burn the Library of Alexandria(ウマル・イブン・ハッターブはアレクサンドリア図書館を焼いたのか)(英語)


たしかに、「イスラムなら図書館を焼きかねない」と思っているところに、イスラム教徒への偏見があると言われれば、そのとおりかもしれない。



アレクサンドリアは、私の長年のあこがれの場所だった。

アレクサンドリア図書館についての本も、いくつも読んだ。

noteでも、アレクサンドリアについて、いくつか記事を書いている。


ご承知のとおり、現在のアレクサンドリアには、古代の大図書館を現代風に復活させたという触れ込みの、新図書館が建造されている。

私はエジプトに行ったことがない。エジプトなら、ピラミッドよりも、このアレクサンドリアの図書館を見に行きたかった。

実際、コロナ明けに行きたい、第一の旅行先だった。

だが、もうあんまり行きたくなくなった・・。

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