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オーロラが揺れている
留学中、オーロラを見に出かけたことがある。
フランス語に、あるいは勉学そのものに疲れ果てていた私は、学生の本分を忘れヨーロッパ圏内の旅に出かけるようになっていた。同じく留学中の友人を一人、一人と訪ねる中で、帰りの飛行機で隣に座ったのが日本人カメラマンだった。聞けば、北極からキューバまでを写真に収めていて、乗り換えてエジプトに向かう途中なのだという。
「これから行くべきところ、見るべきところってどこ
風刺がいたたまれない
最近、パリの街を歩いていると妙な広告が目につくようになった。十字架に磔にされたイエスの像、その顔が男性器の顔を模しているのである。垂れ下がる瞼、または金的を暖簾のように片手で持ち上げて、イエスは胡乱な表情でこちらを見ている。学校近くの広告塔に張り出されたそれを私は思わず視界から外してしまった。
そして今日、カルチェラタンの付近で見つけた広告塔も同じ図柄を乗せていた。違ったのは、保護のガラスごと顔が
無意識の楽園には戻れずとも
私が知る宇多田ヒカルの曲は彼女の声をしていない。ぬるい甘さのかぼちゃを一つつまんで私はその事実を発見した。
雨ばかりを夕飯の共にするのに飽きて音楽アプリのセットリストを選択する。聞き馴染みのないエレクトロニクスなピアノが混じっているのは、有り体に言えば恋人の趣味だ。さらに言えば、相手の考えを一つ残らず理解したがった頃の自分の仕業だ。その努力の結果は今の所確認できていない。見えていたら、おそら
小説の街、けれど少女であれないこと
風邪の治りきらぬままに二階建ての赤いバスに乗り込む。パリとそう変わらない筈の夜景が殊更新鮮に思えるのは、ただでさえ広い車内を独占している高揚感からだろうか。今となってはもう7歳も離れてしまった物語の主人公が、家出に使ったのもダブルデッカーだった。私もまた、デモに苛まれる都市を離れて一人この街を訪ねている。今まで共に遠出をしてきた友人達はおらず、不安は拭えないが、背景になった会話は馴染みのある発音で
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