かすぶち

こんなところ、もう誰も見ていないでしょう?

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最近の記事

快復

依存症からの回復プログラムは宗教に似ている。というよりも古来から宗教の本来の役割がそういった、社会性を持てない人々に市井に溶け込めるような形を与えるものだったのかもしれない。当然縁を切られるべきだった放蕩息子。 今日、初めてそのプログラムに参加した。参加者について書くことはプログラムのルール上許されていない。診療所が接している大通り上の車のエンジン音が、近づいては去り、近づいては去り、潮騒のようだと思ったことは覚えている。私の知る横浜の、故郷の音だ。ドヤ街の一角に診療所は居

    • オーロラが揺れている

      留学中、オーロラを見に出かけたことがある。 フランス語に、あるいは勉学そのものに疲れ果てていた私は、学生の本分を忘れヨーロッパ圏内の旅に出かけるようになっていた。同じく留学中の友人を一人、一人と訪ねる中で、帰りの飛行機で隣に座ったのが日本人カメラマンだった。聞けば、北極からキューバまでを写真に収めていて、乗り換えてエジプトに向かう途中なのだという。 「これから行くべきところ、見るべきところってどこでしょうか」 そう訊くと、全部だよと言って笑われた。 「世界全部だよ、だから行き

      • 梅雨に憂鬱

        盗んだあじさいを片手に乗せた。ひしゃげたボールのような花は案外重いのだと知った。 質量ある湿気のただ中を、明かりの疎らな帰路に沿ってゆらゆらと彼女は歩いていく。当然月はない。濡れたコンクリートの坂を下るにはヒールはどうも危なげで、 ずっしりとしたビジネスバッグとちゃちいビニール傘のアンバランスのせいで今にも足を踏み外しそうだった。 花泥棒に罪はなしという言葉は昔の話だ。誰かが端正込めて育てたものを無残に奪うのだから相応の罰があって然るべきだよな、と彼女は自嘲する。桜を手折り

        • 風刺がいたたまれない

          最近、パリの街を歩いていると妙な広告が目につくようになった。十字架に磔にされたイエスの像、その顔が男性器の顔を模しているのである。垂れ下がる瞼、または金的を暖簾のように片手で持ち上げて、イエスは胡乱な表情でこちらを見ている。学校近くの広告塔に張り出されたそれを私は思わず視界から外してしまった。 そして今日、カルチェラタンの付近で見つけた広告塔も同じ図柄を乗せていた。違ったのは、保護のガラスごと顔が黒スプレーで塗りたくられていたところである。下に同じ色で罵倒の言葉が書き連ねてあ

          潤んだ透明、そして青の狭間

          イタリアを訪れている旧友に会いに、一月の終わり、ベネチア行きを決めた。折しもカーニバルで混雑している中でホテルを同上させてもらえたのは感謝しかない。 パステルカラーと赤いレンガの家がムラーノ島の玄関を飾っていた。横手に、等間隔にうぐいす色の海から波止場の杭が並んでいた。九時を過ぎていてもなお頭上には薄曇りの空が広がっている。人も疎らに、少々肌寒い。三軒に一つ、ガラス細工を取り扱った土産物屋がショーウィンドウを金魚鉢を模した置物などできらめかせていた。 ベネチアグラスの名声を

          潤んだ透明、そして青の狭間

          朝の、金色の、

          時刻は六時を少し回った頃、私は足元の鞄に手を伸ばして携帯のアラームを止めた。 上体を起こしたまま覚醒しない意識で周囲を見回す。窓の外は、早い時間特有の清潔さはあっても未だ薄闇にけぶっていた。 つわものどもが夢の跡、と、祭りの残骸がそこらに落ちている。大学の友人カップルが眠るソファーベッドと客人用の布団がL字型に敷かれ、辺には食べかけのチップスの袋やらビールの空き瓶やらがごろごろと散乱していた。三時頃、他の客陣と共に眠気に負けたのが最後の記憶である。アルコールを介せば外国語は自

          朝の、金色の、

          無意識の楽園には戻れずとも

          私が知る宇多田ヒカルの曲は彼女の声をしていない。ぬるい甘さのかぼちゃを一つつまんで私はその事実を発見した。 雨ばかりを夕飯の共にするのに飽きて音楽アプリのセットリストを選択する。聞き馴染みのないエレクトロニクスなピアノが混じっているのは、有り体に言えば恋人の趣味だ。さらに言えば、相手の考えを一つ残らず理解したがった頃の自分の仕業だ。その努力の結果は今の所確認できていない。見えていたら、おそらく喧嘩もしていないだろう。 煮つけた野菜さえおいしいとは言えない出来栄えで、

          無意識の楽園には戻れずとも

          フランスの水辺1

          冬のフランスは灰色の空を好むらしい。 こちらで初めて出来た友人が嘆いていたように、この時期は暗く、冷たく、空気の滞ったまま陽が上がっては落ちていく。そんな効力の弱い日光でも、なければ心身に悪影響を及ぼすのだから、人というのは難儀な形で作られている。 太陽の登る前からバスに揺られて数時間、パリより西方、ブルターニュ地方に足を伸ばした私は、曇り空を背に立ちそびえる影を見つけた。 城ではない。教会だ。 昼食後、再びバスに乗り込もうとして、淡い期待は満員を二台見送って潰えた。巡礼の旅

          フランスの水辺1

          小説の街、けれど少女であれないこと

          風邪の治りきらぬままに二階建ての赤いバスに乗り込む。パリとそう変わらない筈の夜景が殊更新鮮に思えるのは、ただでさえ広い車内を独占している高揚感からだろうか。今となってはもう7歳も離れてしまった物語の主人公が、家出に使ったのもダブルデッカーだった。私もまた、デモに苛まれる都市を離れて一人この街を訪ねている。今まで共に遠出をしてきた友人達はおらず、不安は拭えないが、背景になった会話は馴染みのある発音で、言語が比較的通じる空間に来たのだとほんのり安堵した。何より、叔母を風船のごとく

          小説の街、けれど少女であれないこと