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潤んだ透明、そして青の狭間

イタリアを訪れている旧友に会いに、一月の終わり、ベネチア行きを決めた。折しもカーニバルで混雑している中でホテルを同上させてもらえたのは感謝しかない。

パステルカラーと赤いレンガの家がムラーノ島の玄関を飾っていた。横手に、等間隔にうぐいす色の海から波止場の杭が並んでいた。九時を過ぎていてもなお頭上には薄曇りの空が広がっている。人も疎らに、少々肌寒い。三軒に一つ、ガラス細工を取り扱った土産物屋がショーウィンドウを金魚鉢を模した置物などできらめかせていた。
ベネチアグラスの名声を確立したというムラーノ島は、本島から船で30分ほど北に移動した先にあった。港町と言われて想像できる内の最も小さな島といえば説明になるだろうか。隣島との間隔はほど狭く、橋を渡した向こう岸の看板も容易に読めるほどであった。

午前中の目玉にしていたガラス博物館が開くまで時間があったので暫く島を探索する。歩きやすい灰色の道に褪せた色のレンガの対比が可笑しい。建物は大抵漆喰造りの二階建てで、本島や都市部よりも道幅は狭いのに妙に開放的だった。一つ路地に入ればささくれだった緑の鎧戸に洗濯糸が引っかかっているのが見える。Tシャツが三つほどぶらさがっている。
開けっぴろげなのは観光客の目を気にしない特性からだろうか。細い水路を中央に渡した公園の中を、花の供えられた白い墓地の横を、黄ばんだ雑貨を所狭しと置く商店の前を通りながら私は訝った。とにもかくにも田舎だ。
土産物屋はどこも準備中だったが、一つだけ開いていた工房を覗くと陳列された商品の奥に釜と焚かれた火が見えた。映像でした見たことのなかった鍛冶屋の火、職人の火だ。
ガラス製品は不思議だ。現代に最も普及した宝石だとすら思う。古代に置いては玻璃という七宝の一つが、技術の革新を何度も経て庶民の手に届くものとなった。透明なその性質だけでは意味を持たない。明度と彩度を変え、膨らみ、引き伸ばされ、端正になるように、あるいは歪みを残したままで製品とされていく。その途中で彫られることも色紙を付けられることもあるだろう。職人が熱をもってして細工へと変えたものを、私達は手に取り、光に透かし、水を入れ、屈折と潤みを味わう。
美術品と言えるには数が多いかもしれないが、ガラスはまさしく広義でのアート、人の技なのだ。
一巡りして入った博物館で、古代の出土品から現代アートまでを順列になぞっていきながら、私はプラハで見たボヘミアングラスの棚やロンドンでステンドグラスの群れを思い返した。私はちょうど歴史の流れと逆行しているようだ。ならば、次は起源となるエジプトにいかねばなるまい。ムラーノ名物、モザイク模様のガラスビーズに心打たれながら私は静かに決意した。クリムトが使いそうな形の金色の上に、僅か数ミリの、ターコイズブルーの花々が咲き誇っていた。

昼を迎え、店が開き、土産物の輝かしさに目が奪われている内に待ち合わせの時間が来てしまっていた。名残惜しさはあるものの旧友が来ているであろう本島に戻らなければならない。
私は行きにも使った水上バスを探した。ベネチアに行き慣れている旧友と事前に情報交換した時には水陸両用車を思い浮かべて妙な気分になったものだが、なんてことはない、モーターボートであった。船は今でもベネチアに住む人々の足となっているらしい。水が生活圏内を隔てるものとしてではなく交通手段として機能しているのは古今東西聞く話でもある。私の知識は日本とフランスに偏っているので古今東西と断言するのもおこがましいが、少なくとも歴史を通して交渉役であった対馬宗氏からセーヌ川を有するパリの街まではそうだったろう。

どうにか船着場を見つけ、私は船に乗り込んだ。内部で座って旧友と連絡を取り合うか迷ったが、朝よりも気温が上がっていたため甲板に居残ることにする。
係員が入口のバーを下ろし船が動き出す。途端、固い短髪と白いジャケットの襟を海風が乱してくる。髪を切っていてよかった。今更気恥しさもないが、半年ぶりに会うなら張れる見栄は張ってもいいだろう。
モーター音が大きくなるにつれ島の背の低い建物達が遠ざかっていく。正午の光は眩しい。行きの薄ら寒い曇天が信じられないほどの青空だった。
そうやって上を仰いでいると船の中にいては気づかなかったことを見つけた。
空が広い。
海の上に建築はなく、従ってこちらにせり出してくるような壁もない。船のへりにしがみつけば視界のほぼ全てが青かった。
天井の頂点は濃い縹色、それがドームの端にいくにつれて薄くもやのグラデーションがかかり白が混じっている。
足元に目を移せば水は萌黄であった。遠くなればなるほど海はエメラルドグリーンになり、波が空の青を反射してよりいっそう濃くしている。その縁に、遠い半島の森の緑が、あるいは島の家のレンガ色が素朴なレースのように引かれていた。
世界が単純に、抽象になっていくようであった。空があり、海があり、陸があり、それら全てとは別に私がいる。
柔らかい磯の香りと強い海風に包まれて私は船に掴まる手を強めた。そうでもなければ景色に我を忘れて、抽象化された世界に放り出されそうだった。
これがお前が来たがっていた場所だよ、と誰かが囁いた。美しいだろう? と。

その後、旧友と再会するため、カーニバルにごった返す人の波をかき分け怒鳴りあうように電話したのは、また、別の話だ。



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