見出し画像

快復

依存症からの回復プログラムは宗教に似ている。というよりも古来から宗教の本来の役割がそういった、社会性を持てない人々に市井に溶け込めるような形を与えるものだったのかもしれない。当然縁を切られるべきだった放蕩息子。

今日、初めてそのプログラムに参加した。参加者について書くことはプログラムのルール上許されていない。診療所が接している大通り上の車のエンジン音が、近づいては去り、近づいては去り、潮騒のようだと思ったことは覚えている。私の知る横浜の、故郷の音だ。ドヤ街の一角に診療所は居を構えており、雑居ビルの外観も医師と患者のいる部屋も中高時代に通った学習塾を思い起こさせる。遊びに出かける観光地も会社のある田舎道も風景がローラーで均されすぎている。私にとって居心地のいい空間は、これくらい雑然としているところで、感じる自然といえばたまの休みに階段から青空を眺めるくらいでちょうどいい。
窓を背にして座ったものだから、午後の柔らかな日が私の背中と隣の椅子を焼いていた。

マインドフルネスの時間は中高の宗教-あるいは総合の授業のようだ、というのが私の感想だ。私立としての授業料は取るが、弱者に寄り添えと母校は謳った。……違う、我々は弱者であると、誘惑に駆られる愚かな生き物だと自覚しろと説いてくる。それは今回も同じだ。ヨガや瞑目の形式を借りて私たちの等身大の姿を認識させようとする。
けれどまぁ、等身大とは一体なんだ? と問い始めれば時間が足りない。肥大した自己認識の何が悪いのか? 社会性のなさを話題にする前に、どうしてその社会こそが歪んでいると批判をし得ない? 
「健康で社会的な人間」はこんな問いも立てないのだろう。立てずとも生きていくことができるのだろう。私はつま先にこんな引っ掛かりを覚えるのだから、それこそが私を病人に、障がい者にたらしめている証拠となるだろうか。
私は病人である。子供のように人の体温と褒め言葉がないと耐えられないなんて、20代も半ばを過ぎた大人としては、健全な発達ができているはずもない……らしい。ほかの人間はそんなものに頼らずとも生活ができているのだと医者は言った。あれば嬉しいけれどなくても困らない。他人と親密な関係を結ばず、心の柔いところまで差し出さないのが社会人であると。
今のところ、実感は湧かない。

けれど病とは「この社会にそぐわないもの」全てを規定したものである。この社会で制度に則って生きていくことを決めたからには、病は、障害は、治した方が生きやすい。私がこれから一生を共にする伴侶はどうやら社会性がある方の人間らしいので。
同時にこれは私の25年生きてきた術を、知恵を制限するということでもある。「どうか私を見て! 私を褒めて!」この感情ばかりに頼って努力をしてきた私は人生をやり過ごす他の方法を知らない。だから失い難い。だから自分の在り方を正当化しようとして、私を取り巻く環境にケチをつけざるを得ない。おそらく、これからの期間はこの葛藤の繰り返しにでもなるんだろう。

今、こうして書き散らしているこの文章を、自分を癒すものとして位置付けることはできない。強いて言うのであれば、他の手段よりは多少ましな逃避手段とでもいえば良いだろうか。できればあの人がこの文章を見つけてくれますように、そう願って私はこれを書いてしまっている。仮初の快楽と承認を与えて悪循環に突き落とした張本人に、縁を切られた友人に、私はそれでもなお私を受け入れてほしいと願ってしまっている。
私は、私の声を誰かに聞いてほしい。私の言葉を誰かに読んでほしい。できればフィクションの姿を模して、私の考えを、痛みを、愚かさを認めてほしい。修辞で、技巧で、発露で誰かの胸を打ちたい。
どうか私を見て!
プログラムを終える頃には、あるいはあの人のアカウントを視界に入れずに生活ができる頃には、こんな渇望も潰えてしまえているといい。あるいは、もう少し綺麗な表現で私の病を語れているといい。そんな儚い望みを抱きながら、今日の分の日記を終える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?