フランスの水辺1

冬のフランスは灰色の空を好むらしい。
こちらで初めて出来た友人が嘆いていたように、この時期は暗く、冷たく、空気の滞ったまま陽が上がっては落ちていく。そんな効力の弱い日光でも、なければ心身に悪影響を及ぼすのだから、人というのは難儀な形で作られている。
太陽の登る前からバスに揺られて数時間、パリより西方、ブルターニュ地方に足を伸ばした私は、曇り空を背に立ちそびえる影を見つけた。
城ではない。教会だ。
昼食後、再びバスに乗り込もうとして、淡い期待は満員を二台見送って潰えた。巡礼の旅になぞらえるなら少しでも自分の足で進んだ方がそれらしいかもしれない、と笑って、小雨の中、白いフードを目深に被り直す。腰が痛い母は顔をしかめていた。

まばらに敷かれた枯草の脇に沿って歩く。板張りになった橋から、途中、道から外れて川に手を浸している人を横目にする。随分冷たそうだ。十二月も末のことである。靴も綺麗に揃えて置かれているため、ぬかるんだ浅瀬に足を取られて、その分を清めているのかもしれない。禊のようなものかもしれない。違うかもしれない。あてる気もない推測を姉妹で並べているうちに、視界から緑は過ぎ去り、黄がかった砂地と薄縹の海が現れ、モンサンミッシェルの麓へと辿り着いた。
不揃いな色で敷き詰められた地面の上、所狭しと立ち並んだ土産物屋やレストランの絵看板の下、混雑に苦労て進んでいく。巡礼地、つまりは歴史の長い観光地であるがゆえか、修復工事が更に道を狭めていて入りにくい。露天商の売るクレープの香りに誘われるも、後ろから押されてまた歩き出す。坂道を行く。

渦を巻く石階段の途中にマリア像が、その先に漸く修道院が鮮明に映えてくる。時を経たものの運命か、壁の一部は粒が揃わず崩れてさえいるようだ。
「あと、もう、一息です!」
イヤホン越しにガイドが叫ぶ。団体旅行では足を止め、感傷に浸り、カメラを構える暇はないという。

城の中の説明を抜け、屋上へと飛び出る。息を呑む。雨脚はわずかに弱まっていた。
「地平線が見えるね」
静かに落とされた姉の言葉で、その単語が相応しい状況なのだと知った。
薄く光を孕みながら広がる曇天、セメント色の干潟と枯草に覆われた地面がどこまでも伸びていく。通り過ぎてきたはずの家々は余りに遠く、小さい。中央のゆるく蛇行する川を境に、左をノルマンディー、右をブルターニュとわけているとガイドは言っていた。
このフランスをモーパッサンは好んで描いていた。「女の一生」で主人公ジャンヌが育ち、結婚後も故郷として切望していた場所だ。禁制的で世間知らず、夢見がちな彼女はあまりにここのイメージに近い。単調だが自然豊かな心象風景も、明け暮れた涙のような小雨と川も、心の安寧を求める信仰のような渇望も、この地があればこそ織られてきたものなのだろう。
水が想起させるものは回帰だ。安全で完全なる庇護者の下へ、自身がどんな恐怖にも居心地の悪さにも脅かされない空間へ、帰りたい帰りたいと彼女は嘆いていた。そして願わくば幸せで自由な夢を、けして満たされることのない日常の代わりに。
海の香りだけは開放的に、心地よくたゆたっている。風に乗って、カモメが一羽、石の教会から飛んでいく。小さな影は消えていった。

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