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無意識の楽園には戻れずとも

私が知る宇多田ヒカルの曲は彼女の声をしていない。ぬるい甘さのかぼちゃを一つつまんで私はその事実を発見した。

   雨ばかりを夕飯の共にするのに飽きて音楽アプリのセットリストを選択する。聞き馴染みのないエレクトロニクスなピアノが混じっているのは、有り体に言えば恋人の趣味だ。さらに言えば、相手の考えを一つ残らず理解したがった頃の自分の仕業だ。その努力の結果は今の所確認できていない。見えていたら、おそらく喧嘩もしていないだろう。

 煮つけた野菜さえおいしいとは言えない出来栄えで、傾いた心がさらに角度をつけた。一人暮らしの利点はその味を誰かに文句言われないことにある。彼ならばきっと器用にこなしている。 冷めた緑茶で喉を潤す。飾り気のない白壁を見つめた。

 この頃、恋人と比べて未熟な自分を自覚することが多い。その誕生日を晴れやかな旅で祝おうと、喜び勇んで向かった先は雨風ばかりで、花に溢れてホスピタリティも抜群だと聞いていた宿の主人とは連絡が取れず、薔薇色の街並みに心を震わす前に寒さに身が凍えてしまった。電車も、見学のツアーも、ぎりぎりに駆け込んでは先に待たせていた恋人をずいぶんとじらした。帰りの電車で見送る私に彼は言う。

 「のんびり屋なのはわかった。焦るとパニックになることも知ってる。おっちょこちょいで余計な怪我を増やしているのもわかってる。だから、冷静に、考えて行動しようか」

 ぐうの音もでない。

 聖母のよう仏のようと、私を含め友人が揃って考えていたような、人間離れした像は恋人の真実ではない。けれど目の前にあることを一つ一つ積み重ねてきた労力はやはり実を結んでいて、私には眩しい。今の生活に至るまでの勉強不足を、習慣を、目的意識のなさを、まざまざと正されているようだ。この人のようでありたい、この人のそばにいたい、そう思うからこそ惚れて、そう思うからこそ息が苦しい。改善を促されれば、まぁ、反省せざるを得ないだろう。

 最後のおかずを口に運び、みりんと醤油の薄いつゆを啜る。曲はサビに入る。滑らかで透明な歌声にふと違和感を覚え、スマートフォンに視線を落とした。

画面の中央、かわいらしい物で飾られた部屋で歌手は踊り始めている。歌詞とメロディーは切なさで溢れているというのにそのダンスと表情は愉快げだ。なお謎が解けずに、一度、二度、と巻き戻してから気が付いた。

 私はこの歌を知っている。最初にわからなかったのはハイトーンが澄み切っているためだ。恋人が口ずさむ歌はほんの少しずれていたらしい。納得して再生ボタンを押したが、予測していた音の流れと異なっているのがどうにも気になって仕方ない。 巻き戻す。けれども違う。 巻き戻す。やはり違う。

 goodbye happiness の言い方が違う、私にはもう彼の言い方でインプットされている、そう思えば途端に寂しさが襲ってきた。こんな些細な、たったの一つの高音で切なさが炙りだされるのは、悔しいが抗えない。

 付き合う前は指先がかすめたことでさえも腕の中に静電気が走り抜けていた。背中を追いかけて枯葉を踏みしめると苦さがこみ上げた。ほほ笑みと目が合えばドロリと身の内側が溶けていく気がした。恋をしないことの平穏を知った。次第に、手をつなぐことに抵抗がなくなり、腕を組むことに葛藤がなくなり、抱きしめられて、呼吸を忘れることもなくなった。体温に慣れ、感触に慣れ、私の中で自然と彼の居場所が作られていった。

 並びたてますように、と掲げていた曖昧な祈りのような目標のようなものはいまだ果たされる気配がない。それよりも今まであった環境を失って、比較して、自らの姿に気づかされるばっかりだ。恋人が会いに来てくれてからは尚更だ。 あまりにも自然に生活圏内に入り込んできた彼の気配が落差を伝えてくる。寮までの帰り道は並んで歩く、私の使う駅で待ち合わせをする。一人で満たされていた時の幸福を忘れて、私は今彼の形に欠けている。

 私は固い椅子から立ち上がった。 指を伸ばして音楽を止め、空になった食器を一つ一つ流しへ置く。蛇口をひねればシンクに水音が反射する。冷たい生活の音だ。その味気ない冷たさにとりあえず指を浸す。 もう少しだけ待てば向こうは朝を迎える。冷静に動けというのなら、彼の声が届くまでの間に洗い物を済ませておこうか。

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