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【JVCスタッフが解説】 3つのキーワードから知る、パレスチナの歴史といま


こんにちは🕊
2019年度パレスチナ事業インターンの みのりん と申します。

JVCのインターンは毎年、団体や活動地のことを学ぶためにオリエンテーションを受けます。
各事業地の担当者から代表理事まで(!)、10回以上に渡り、毎回スタッフが1人ずつじっくり事業や仕事内容を説明します。

こちらのオリエンテーション、短時間でたくさんのことを学ぶことができます。
そこで今回は、パレスチナ事業の回の内容を一部ご紹介👏🏻
インターンとオリエンテーションを受けるような感覚で、一緒に学ぶ機会にしていただければと思います☺️

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教えてくれたのはJVCパレスチナ事業担当、渡辺真帆さんです。


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パレスチナってどんなところ?

そもそもパレスチナってどこ? という人もいらっしゃると思います。
そこで、まずはその位置から。

中東の地中海東岸、イスラエルの辺りにある、少し太い点線で囲まれた「ヨルダン川西岸地区 (WEST BANK)」と「ガザ地区 (GAZA STRIP)」と書かれた部分が現在のパレスチナです。

人口は500万人ほどで、福岡県よりやや少ないくらい。
面積は6,220 km²ほどで、茨城県よりも少し大きいくらいです。

ですがこの地図を見ると「パレスチナ」という文字はなく、境界も点線になっています。どうしてなのでしょうか。


パレスチナを知るための「3つのキーワード」

パレスチナの現状について知るためには、「3つのキーワード」から見ていく必要があると渡辺さんは説明します。
難民」、「占領」、「封鎖」です。

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画像のクリックやタップで拡大してご覧いただけます。

それでは、1つずつ見ていきましょう。


1. 難民

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イスラエルが建国を宣言したのは1948年5月のこと。前年に国連で決議された、パレスチナ分割決議案に基づくものでした(図1-②参照)。

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図1: イスラエルとパレスチナの時代ごとの領土を表した地図
(出典: Cole, Juan. "The Map: The Story of Palestinian Nationhood Thwarted After the League of Nations Recognized It." 16th March 2010 に筆者加筆。)

「イスラエル建国前の時点で、この地に誰が住んでいたのかを見ると、パレスチナ人(アラブ人)が約7割、ユダヤ人が約3割です」と渡辺さんは話します(図1-①参照)。

国連分割決議案で、アラブ国家に割り当てられた土地は約4割。パレスチナに古くから住む多数派のアラブ人より、新しく移住してきた少数派のユダヤ人の国家が大きいとして、周りのアラブ諸国は決議案を拒否。
イスラエル建国宣言を受け、第一次中東戦争が始まりました。

この結果、イスラエルがさらに領土を拡大。1949年に停戦ライン(別名「グリーンライン」)が引かれ、イスラエルとパレスチナの領土は、図1-③のように分けられました。

第一次中東戦争でイスラエルのものとなった土地に暮らしていたパレスチナ人は、「図1-③の緑の土地 (西岸とガザ) に逃げ込むか、国外に逃げるかしかなくなり、難民となってしまった」とのこと。当時のパレスチナのアラブ人口の約75%に相当する、70万人以上が故郷を追われました。


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「そもそもなぜ中東の地に、欧州からユダヤ人が移り住んで来ていたのか。背景に欧州のユダヤ人差別と、シオニズムという考えがありました」と渡辺さんは話します。

シオニズムとは、「ユダヤ教徒を民族共同体と捉え、「ユダヤ人」の民族国家を建設する」という考え方。19世紀後半のヨーロッパで生まれました。「国民国家」という概念が広まり、1つの民族が1つの国を作るナショナリズムの運動が高揚した時代です。

ユダヤ人はヨーロッパで長い間、差別を受け迫害されてきた存在。各地で国民国家が形成される過程で、ユダヤ人は「他者」とされ、反ユダヤ主義が高まりました。
しかし彼らには拠りどころとなる国がありません。そこでユダヤ人からも、自分たちの国を作ろうという動きが起こりました。

建国の場所に選ばれたのが、パレスチナ。
聖書に登場するエルサレムの「シオンの丘」への帰還が呼びかけられました。

ですがパレスチナには、もともとアラブ系の人びとが住んでいますし、風土や生活文化も異なります。当時の欧州でシオニズムを支持したり、イスラエルの建国に積極的だったユダヤ人は「主流派ではなかった」そうです。

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図2: 当時のシオニストがパレスチナ観光や移住を呼びかけるために作成したポスター。「パレスチナ観光」や「エレツ・イスラエル (イスラエルの地) を見においで」といった言葉が書かれています。
(出典: Kohna, Ayelet and Cohen-Hattab, Kobi. "Tourism posters in the Yishuv era: Between Zionist ideology and commercial language." Journal of Israeli History, 2015, pp. 12.)


一方、第一次世界大戦時のイギリスの中東外交にも問題があったといいます。

イギリスは1915年、敵のオスマン帝国を倒すためにアラブ人に協力を求め、フサイン=マクマホン書簡の中で、アラブ人の独立を支持すると約束しました。

しかし同時に、同国はユダヤ人の資産家からも戦争協力を得たいと考えました。そこで、アラブ人との協定の2年後、バルフォア宣言でパレスチナにユダヤ人の「民族的郷土」を作ることを支持しました。

2つの約束を通して、イギリスはアラブ人とユダヤ人の両方にパレスチナの土地を保障。さらに、フランス・ロシアとの三国間でオスマン帝国領を分割する密約(サイクス・ピコ協定) も結びました。いわゆる「三枚舌外交」です。


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パレスチナ難民の問題は、今も終わっていません。
突然家を追われて土地を失い、故郷に帰ることのできない人びとがたくさんいるからです。

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ベツレヘムにあるアーイダ難民キャンプ。何世代にも渡り難民たちはここに暮らしてきました。そのため「キャンプ」という名前ではありますが、見た目はまるで小さな町のようです。
(2019年8月、筆者撮影。)

国際連合パレスチナ難民救済事業機関UNRWAによると、今日のパレスチナ難民の数は約560万人。1948年の約8倍に増えた格好です。
難民の子孫も故郷に帰れず難民になるので、未だにパレスチナ難民の数は増え続けています」と渡辺さんは話します。

現在、パレスチナ難民の3割程度に当たる約150万人がUNRWA運営の難民キャンプに暮らしています。
ヨルダン川西岸地区には、19箇所のキャンプがあります。ガザ地区のほか、ヨルダンなどの近隣諸国も合わせると、キャンプの数は合計で58箇所にものぼります。これ以外にも、UNRWAが運営していない難民キャンプもあります。

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図3: UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)が運営する難民キャンプの場所を示した地図。 (出典: Palestinian Academic Society for the Study of International Affairs.)

難民キャンプを訪れてみると、一見、パレスチナの他の町と変わらないような印象を受けます。
ですが「人口が増えるにつれて建物を建て増ししているので、密集度が高く、家がひしめき合っている」そうです。

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ナブルスにあるバラータ難民キャンプ。場所によっては、家同士の間隔が人一人やっと通れるほどで、ほとんど日光が入らないところもあります。
(2019年8月、筆者撮影。)

その他にも、パレスチナに帰ることができずにいる人びとは、近隣のアラブ諸国や欧米など、今も世界中に暮らしています。

ここまでのまとめ
✔︎イスラエル建国を巡る戦争で、当時のパレスチナ人の約75%が難民に
✔︎背景にはシオニズムやイギリスの中東外交
✔︎現在も約560万人のパレスチナ難民がおり、その数は増え続けている


2. 占領

2つ目のキーワードは「占領」。
「イスラエルとパレスチナは対等とは程遠い関係にあります。前者は国家ですが、後者は国連に加盟できておらず、主権が制限されています」と渡辺さんは話します。

20200327_イスラエルとパレスチナ国家承認

図4: イスラエルとパレスチナの国家としての承認状況を示した図。
(図に記載された出典などをもとにJVCスタッフ、筆者作成。)


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1948年以降、西岸地区はヨルダン、ガザ地区はエジプトの支配下に置かれます。

しかし1967年の第三次中東戦争でイスラエルがアラブ連合に大勝し、東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区、ガザ地区もイスラエルの軍事占領下に入ります。
この時、さらに100万人のパレスチナ難民が生まれました。

パレスチナ人の代表機関として1964年に設立されたパレスチナ解放機構 (PLO)は、第三次中東戦争で周辺アラブ諸国による政治的支援への期待がついえると、国内外でパレスチナ人による解放闘争を始めます。

一方、1980年代後半からは、占領下の生活で様々な権利を制限されるパレスチナ人市民が抗議を始めます。イスラエル軍に対する投石や同国商品の不買運動など、インティファーダと呼ばれる抵抗運動が盛り上がりました。

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ベツレヘムにあるThe Walled Off Hotelに併設された博物館。イギリスのストリートアーティスト、バンクシーがプロデュースし、2017年にオープン。パレスチナの人びとが声を上げてきた歴史を見ることができます。
(2019年8月、筆者撮影。)


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こうした状況を受け、1993年、PLOとイスラエル政府の間で和平合意が結ばれます。オスロ合意です。
両者の間で、パレスチナの自治を目指していくことが確認されました。

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PLOを創設し、オスロ合意を結んだアラファト初代パレスチナ自治政府大統領の霊廟。ラマッラーにて。
(2019年8月、筆者撮影。)

しかし、この合意には限界がありました。
パレスチナとイスラエルの間には、難民国境線水の管理エルサレムの帰属入植地などの大きな課題がありました。ところがこれらは、パレスチナの暫定自治の期間中に話し合っていくということで先送りにされました。

「今は決めない、ということを決めただけ」と渡辺さんは説明します。


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オスロ合意から25年以上が経った現在まで、パレスチナの独立は実現しておらず、イスラエルと対等な関係になることはできていません。
ヨルダン川西岸のうち、パレスチナ政府が管理することができているのは一部の飛び地のみ」です。


オスロ合意後の取り決めで、ヨルダン川西岸はA・B・C、三つの地区に分けられました。
A地区は、行政も警察もパレスチナ側が管理
B地区は、行政はパレスチナ警察はイスラエルの管理下に。
C地区は、行政と警察、共にイスラエル側が管理しています。

ヨルダン川西岸地区の60%以上はC地区。治安や生活に関する多くの事柄が、イスラエル当局により管理されています。

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図5: ヨルダン川西岸地区の地図。赤く塗られているのがC地区です。
(JVCパレスチナ事業スタッフ、筆者作成。)

こうした状況は、パレスチナの人びとの生活にも大きな影響を与えています。


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ベツレヘムにて。壁の高さは8メートルほど。写真中央にいる人と比べてみると、その高さが分かります。
(2019年8月、筆者撮影。)

イスラエルは2002年、ヨルダン川西岸に分離壁の建設を開始します。
これにより、パレスチナとイスラエルの間だけでなく、パレスチナ内の自由な行き来が制限されます。移動するためには、壁沿いに作られた検問所を通らなければいけなくなりました。

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カランディア検問所。見た目は日本の高速道路の料金所のよう。ですが中には銃を持ったイスラエル兵がいます。
(2019年8月、筆者撮影。)

検問所では、パレスチナ側からイスラエルへ向かう場合のみ、荷物検査や身分証のほか、通行証のチェックが行われます。

カランディア検問所を通る様子は、こちらの動画で観ることができます。


壁が作られたことにより、パレスチナの人びとの生活は大きく変わりました。
例えば、それまで自由に行き来していたコミュニティ同士が壁により分断。迂回して検問所を通らなければいけないこともあります。
農地が壁の向こう側となり、自由に耕すことができなくなってしまった農家もいます。

パレスチナからは毎日、分離壁の反対のイスラエル側へ通勤している人もいます。
しかし「検問所は気まぐれ」と渡辺さん。状況により比較的早く通ることができる日もあれば、長く時間がかかってしまう日もあるとのこと。検問所まで行って、通過できないこともあるそうです。
検問所付近は渋滞が多く、通勤にどのくらい時間がかかるのか読めないことも負担です。

中には壁ができたことで、イスラエル側で働くことができなくなってしまった人もいるそう。仕事が足りないことも問題となっています。
こうしたことが「日常の占領のストレス」となり、パレスチナの人びとをむしばんでいるといいます。


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イスラエルは分離壁の建設を「自爆テロの多発に伴う治安維持のため」と説明。しかし渡辺さんは、「本当に治安を守るためだけなのかは疑問」と話します。
理由は、分離壁が国際的に境界として定められた「グリーンライン」よりもパレスチナ側に食い込んで建設されているからです。

壁

図6: エルサレム周辺のグリーンラインと分離壁を示した地図。写真左下がイスラエル、右上がパレスチナです。境界線より内側に壁が作られていることがわかります。
(出典: OCHAにJVC加筆。)

国際司法裁判所は2004年、イスラエルに対して分離壁の建設は国際法に違反するとの意見を表明。
ですが現在も、壁の建設は続いています。


イスラエルによるパレスチナの土地への入植も進んでいます。パレスチナ自治区に居住地を建設し、イスラエルの人を住まわせているのです。
占領地への入植も分離壁の建設同様、国際法に違反する行為です。

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ベツレヘム郊外にて。手前のグレーの建物がもともとパレスチナの人たちが住んでいた場所。奥に広がる赤い屋根一帯が入植地です。
(2019年8月、筆者撮影。)

渡辺さんは「パレスチナ人の畑や家を壊してイスラエルの入植地を作ることもあります」と話します。
住民を追い出すため、パレスチナの人びとの家がイスラエル当局により破壊されるということも多発。エルサレムを拠点とするNGO、ベツェレム(B'Tselem)によると、2004年から2020年までの約16年間に、東エルサレムだけで998軒もの家が破壊されています(2020年2月時点)。


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占領に伴う問題はそれだけではありません。

例えば、ヨルダン川西岸の地下にある水資源は現在、イスラエルによって管理されています。
もともと、パレスチナでは農業が盛んでした。ですがパレスチナ人居住区に引かれる水量が減り、耕作ができなくなってしまった地域があるそうです。
渡辺さんによると「夏は都市でも節水が当たり前」とのこと。

ヨルダン川西岸に含まれるはずの東エルサレムも、実質的にイスラエルが併合している状態です。

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エルサレム旧市街。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとっての聖地です。 (2017年9月、筆者撮影。)

占領により、パレスチナでは「人びとの基本的な権利が守られていない状態にあります」と渡辺さんは話します。

ここまでのまとめ
✔︎パレスチナは国連に加盟できておらず、主権が制限されている
✔︎第三次中東戦争で軍事占領、パレスチナ側からは抵抗の動き
✔︎1993年にはオスロ合意が結ばれるが、状況は良くならず
✔︎分離壁や入植地の建設など、占領が日常的に続いている


3. 封鎖

最後のキーワードは「封鎖」。
これまではヨルダン川西岸地区のお話でした。ここからはガザ地区に移ります。

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ガザ地区にて。
(2019年5月、JVCパレスチナ事業スタッフ撮影。)


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人口は200万人程度。若い世代が多いことが特徴です。

ガザ地区では2007年から、イスラエルによる厳しい軍事封鎖の状態が続いています。
イスラエルとの境界は壁やフェンスで囲われ、人びとはその外へ自由に移動することができません。ガザから外に出る許可証は、西岸地区と比べ、発給数が非常に少ないです。

海も海岸から一定の距離までしか行くことができず、制空権もパレスチナ側にはありません。これは、飛行機を自由に飛ばすことができないことを意味します。
これらの状況から、ガザは「天井のない監獄」とも呼ばれています。

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ガザ地区の海岸。
(2016年8月、JVCパレスチナ事業スタッフ撮影。)

なぜ、このようなことが起こったのでしょうか。
きっかけは、2006年に行われたパレスチナ評議会選挙でハマースが勝利したこと。

ハマースは1987年に創設。イスラーム主義の思想を持ち、イスラエルに対しては強硬姿勢を取っています。
そのためハマースがガザ地区の実効支配を始めると、イスラエルは「テロリストからの自衛」と称して、同地区の入植地を撤退。完全封鎖を行うようになりました。

パレスチナの指導部にも分断があります。
現在は、ヨルダン川西岸地区をファタハ(PLOの主流派組織)、ガザ地区をハマースが支配。両組織は対立状態にあり、さらなる混乱につながっています。


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ガザは2008年からの6年の間に、3回の大規模な武力侵攻や戦争に直面しました。「ハマースは封鎖解除を求めて、イスラエルに向け無差別にロケットを撃っていますが、その結果、ガザの住民全員が圧倒的な軍事力をもつイスラエル軍の攻撃にさらされます

直近の大きな戦争は2014年夏。約50日間で2,000人以上のパレスチナ人が犠牲となりました
この戦争により、発電所や下水処理施設も破壊されました。ですが、これらの復興も遅れています。「ハマースが武器に転用するかもしれないとして、ガザ地区への資材の輸入をイスラエルが許していない」ことが理由の一つだそうです。

人びとの生活も大きな打撃を受けています。
ガザ地区の2019年の失業率は54%。若年層を見るとその割合はさらに高く、70%にものぼります。「大学を出ても仕事がないことが多いです」と渡辺さん。
「もともとパレスチナ難民が多いこともあり、人口の8割が何らかの支援を受けている状態にあります

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ガザ地区にて。空爆の被害に遭った建物がそのまま残っています。
(2019年5月、JVCパレスチナ事業スタッフ撮影。)

UNRWAは2012年、ガザ地区の状況をまとめた報告書を出しました。現在の状態が改善されない限り、2020年にはガザに人が住めなくなってしまうと警鐘を鳴らしたものでした。
人びとの忍耐は限界に近づいています。

ここまでのまとめ
✔︎ガザ地区では2007年より、軍事封鎖の状態が続いている
✔︎2008年からの6年の間に、3回の大規模な武力侵攻や戦争に直面
✔︎若者の失業率は70%で、人口の8割が支援を受けている状態


支援は入っているけれど…

これまで、「難民」、「占領」、「封鎖」の3つのキーワードから、パレスチナの歴史といまを振り返ってきました。
解決のためには、何が必要なのでしょうか。

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ヘブロンの旧市街。人びとは困難な状況に置かれながら、それでも日常を生きていることが伝わります。
(2019年8月、筆者撮影。)

パレスチナには現在、国際社会からの支援がたくさん入っているそうです。
まだまだニーズの方が大きいものの、渡辺さんは「援助に依存することの弊害も大きい」と指摘します。

「援助によりパレスチナの中での生活は改善しても、大元の占領という構造はなくなっていない」ことを忘れてはいけないとのこと。

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ベツレヘムにあるアーイダ難民キャンプにて。サウジアラビアからの拠出金により、学校と保健センターが建設されていました。
(2019年8月、筆者撮影。)

JVCも、パレスチナの人たちの暮らしを改善するだけの活動になってしまわないよう、注意しているといいます。
根本的な構造を変えることができるよう、意識しているそうです。

「現地で活動するNGOとして、人道支援だけでなく、プレスリリースを出したり、日本政府や国際社会への政策提言を行ったりしています。また日本で多くの人にパレスチナのことを知ってもらう活動も重視しています」

JVCのパレスチナでの活動について知りたい方は、こちらをご覧ください。


渡辺さんは、「パレスチナには、この記事で触れた不条理な状況だけでなく、美しい自然、おいしいご飯、豊かな生活文化など、数え切れない魅力があります」と話します。
複雑な現実の一部として、パレスチナのいろいろな面に関心を持つ人が増えるといいなと思います


今回解説してくれた、渡辺真帆さんのプロフィール
埼玉県生まれ。小学校時代をカタールで過ごした体験から、大学でアラビア語と中東政治を専攻する。2013年夏から一年間パレスチナに留学。豊かな自然と生活文化、占領下でしなやかに生きる人々の姿に魅せられるとともに、悪意も善意も、故意も無関心も、すべてが絡まり合って構造的な不正が続く現実を目の当たりにする。人が出会い変化が生まれる場に立ち会うべく、卒業後は中東・アジア各地に赴きながら通訳者・翻訳者として芸術やジャーナリズムなど様々な分野で活動。JVCでは2015年度イラク事業インターン、2018年春スーダン事務所駐在を経て、2018年11月より現職。人間の強さと温かさを教えてくれたパレスチナの人々と共に、地に足を着けて歩みたい。 


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最後までお読みいただき、ありがとうございました😌

インターンとして渡辺さんのオリエンテーションを受けたとき、「このようにわかりやすくパレスチナのことを知る機会が、もっとあったら良いのに」と思いました。

パレスチナで何が起きているか気になるけど、難しそう」。
そんな理由で、なかなかフォローできていない方もいらっしゃると思います。わたしもそうでした。
だからこそ、少しでも分かりやすく現地の歴史やいまを伝えようと思い、渡辺さんの力を存分にお借りして、この記事を作ることにしました。

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ヘブロンを訪れた際の写真。「観光客が来てくれないんだ」と嘆きながら、みんな日本から来たわたしを歓迎してくれました。
(2019年8月、筆者撮影。)

パレスチナを2019年8月に訪れた際、出会った現地の人の言葉を忘れられません。
日本の人たちに、ここで見たことを伝えてほしい
そこで今回は、オリエンテーションの内容に加え、自分が現地で撮った写真も入れることにしました。

現地の人との約束をどれだけ果たすことができているかわかりません。
ですが、この記事がみなさんにとって、パレスチナのことを知り、考えるきっかけとなっていれば、嬉しい限りです。



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