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雑文は何の役にも立たない

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散文:劇場

散文:劇場

There's a missing energy of あるところに消失エネルギーの
psychic liberation 超自然的解放があった

desublimated sexuality and 昇華する能力を奪われたセクシュアリティと
the structures of participation could be a参加の構造が
redemptive side of repetition

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揺

美しいものを目にすると自らの生への疑念が生じるわけだが、
むしろその揺さぶりをこそ求めて展示に足を運んでいるきらいがある。

疑念を欲しているということは即ち己の人生を否定するチャンスをうかがっているということだ。
壊して捨て去り新しく更新するための言い訳として、
情緒にヒビの入った箇所を常に探っている。

無欠になりたいわけではないが、
破綻を招く一筋のきっかけについつい注目してしまう。

なぜ

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展示に足を運ぶとき

展示に足を運ぶとき

批評とは何か、といつも考える。

あるべき批評は、作り手の新たな可能性を開くことがある、と信じている。
そのような芸術家と批評家の接触を稀に目撃することがある。心が躍る。

その一方で、密やかに一人の市民として芸術を愛し、体験の謎に心をときめかせ、
ある種アンサーソングともいうべき曲を幾つもを作りながら生きている、
自らの草の根の活動には誇りを持っている。

「アートの見方」、というものがある。

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この春に寄せて

この春に寄せて

春になり時代が変化して、
自己破壊・自己変革としての勉強の季節が訪れる。

学ぶときは、昨日の自分を否定しなければならない。
間違えていたことは、潔く認めなければならない。
そのプロセスで当然傷つくことがある。

だが新しいものを取り入れるには
古いものを捨てなければならない。

執着、思い出、自己否定、
目の前の越えるべきハードルから逃げたくなる弱さ。

できれば、自分を更新したくない。
いつま

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先に存在する身体

先に存在する身体

身体はいつも、先にある。

音を、自らの肉体を用いて発することで、
それを思い出す。

大切なものを目の前に再発見したときの喜び。
どうして、こんなところにあったのに気がつかなかったんだろう。

そこに、身体はそこにあるのだ。
私たちの発見を待ちながら。

Sandra Cintoの空

Sandra Cintoの空

ブルー。
メゾン・エルメスの四角く並ぶ分厚いタイルから、夏の強い日差しが緩和されて届き壁を柔らかく照らす。
鉛筆とアクリルで、キャンバスをはみ出した一面のあわいブルー。露草色、勿忘草色、空色。
か細い線で書かれたシャンデリアがところどころで遊んでいる。一枚の絵に引き寄せられる。海と空の区別はもうここでは必要じゃない。梯子のようなアクリルのラインに導かれて歩く。
青が濃くなってゆく。ブルー。薄花桜、

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パフォーマンスと儀式のこと

パフォーマンスと儀式のこと

儀式が好きだ。
と言っても、葬式や結婚式に参列することに関心があるわけでは決してなく、
儀式という概念そのものに、とても関心がある。

だからなのか、大学院時代の修士論文では二重三重にも「儀式」的であると言っても過言ではないような
宗教の音楽儀式を模した儀式について、取り扱った。

信仰のない民族の儀式をauthenticな儀式たらしめているものは、一体何なのかを考えている。
参列者のほとんどがク

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故郷の代わりだった場所のこと

故郷の代わりだった場所のこと

故郷を持たない私には、
たとえば生家が取り壊されたり、天災によって帰る場所を失ったりする辛さはわからない。

幼少期から各地を転々としていた。
出会う友達や土地とは、愛着を抱いたが最後、もれなく別れが待っていた。
幼いながらに抵抗したような記憶もあれど、そのうち、諦める癖がついた。

だがしばらく生きているうちに、
愛着のある場所と出会う機会に恵まれた。

そんな私にとって特別で、最も愛着のある"

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頬を殴る芸術ー自己破壊、自己変革としての勉強

頬を殴る芸術ー自己破壊、自己変革としての勉強

学ぶことは常に恐ろしい。
今この瞬間知り得ることによって成り立つ自分自身を乗り越えないことには、
新しい可能性に目を開くことは不可能だ。

古い皮を脱ぎ捨てることでしか自由になれない、という感覚は年々強くなる。

先日、ケンタッキー州ルイビルで、
デモの最前線に列をなし、Black Protestor達を守るように立ちはだかる白人女性たちの写真を目にした。

"This is what you d

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カフカはピラティスをしていたか/dance tight/踊れない身体

カフカはピラティスをしていたか/dance tight/踊れない身体

踊れない身体を何十年も、持て余している。

悲哀と諦念と嫉妬が詰まった、血を抜くことすら許されない腐りかけの身体が残念で、すぐにでも手放したいと日々感じている。
だから、というわけではないが強烈に身体性そのもの、あるいは身体という表象の可能性に惹かれてperformance theoryを専門に選択した。(と、今となっては思う)

動、の肉体/身体。
静、の肉体/身体。

いずれも

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いい曲

いい曲

"いい曲"とは、人の変化、変容、進化、進歩…を許容する曲だと考える。

"いい曲"は、演奏するたびに、あたかもその曲の演奏が開始された時点で"初めて演奏する身体が生成された"かのように、わたしたちに"生き直す"許可を与えてくれる。

入力と出力が同時に-しかも同出力で、とどのつまりグルーヴが発生しうる状況で-生成するその地点にそっと、曲のコアがあり、自身の身体と楽器という"器"を通じてそこ

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ケイオスの光

ケイオスの光

嵐のなかにいる。

荒波に一定期間抱かれ続けると、自分が波に呑まれているのか自分が波を飲み込んでいるのかの区別が困難になる。

ひとつ信じられることがあるとすればそれは人々の信念だ。
重ねて透かしてみると決して交わらない躍動だというのに、一体なぜ、ひと所に集うことが許されているのだろう。

ケイオスの中に光をみている。
働かない頭。思考が回らないけれど誰に責められるでもなく、スポンジのようなパンを

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久しぶりのレッスン

久しぶりのレッスン

1年と少しあいたレッスン。
新しい曲の準備もしておきつつ、結果として過去に取り組んだ曲の録音に時間を費やした。
声や雰囲気にぴったりの、素敵なアレンジをしてきた曲。

自分の体をコントロールして、曲を作り上げる体験は何事にも変えがたい。そんな経験の伴走ができて嬉しい。

曲がりなりにも先生なので、意義があったと思ってもらえるようなことを言ったりもしたいのだが、
何しろすべての生徒さんのファンになっ

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庭劇団ペニノ"蛸入道忘却ノ儀"に寄せて

庭劇団ペニノ"蛸入道忘却ノ儀"に寄せて

いろいろなひとにオススメする予定だった庭劇団ペニノ"蛸入道 忘却ノ儀"の東京公演が、消防署の指導が入り中止になったことを受けて、
自分用の覚書をアップしました。

三重と福岡公演は実施とのことで、舞台美術やパフォーマンス、儀式に関心のある方は、チャンスがあればぜひみていただきたいです。

http://niwagekidan.org/performance_jp/892

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