見出し画像

故郷の代わりだった場所のこと

故郷を持たない私には、
たとえば生家が取り壊されたり、天災によって帰る場所を失ったりする辛さはわからない。

幼少期から各地を転々としていた。
出会う友達や土地とは、愛着を抱いたが最後、もれなく別れが待っていた。
幼いながらに抵抗したような記憶もあれど、そのうち、諦める癖がついた。

だがしばらく生きているうちに、
愛着のある場所と出会う機会に恵まれた。

そんな私にとって特別で、最も愛着のある"場所”が、
なくなってしまった。

なるほどなと思う。
愛着を抱いたが最後、いずれこうなることはわかっていた。
やっぱりね。
でも、抵抗したかったな。泣きたいな。

この春は、人々がさまざまなものを奪われた春として、9年前と同様に多くの人の心に残るのかもしれない。

大切なことでも、すべてを覚えておくことができない。
だから曲を書くという手段をとっている。
放心しながらあの場所で生まれた曲を聴くと、
実際にその場に足を踏み入れたかのように、空気を感じ取ることができる。

あの時の、あの場所の、あの空気。

その場所でわたしは音楽と出会い、
バンドを組む面白さや難しさを知り、
なんだかよくわからないリハをし、
ボーカルスクール講師時代もお世話になり、
下手なピアノの練習をし、
自力で初めて作った曲を録り、
幾人の音楽家と出会い、音を交わし、別れ、
教室を始めてからはホーム、と呼んで、
新しい生徒さんとは必ずそのスタジオでレッスンをし、
だいぶ色々、融通してもらい、
初対面の人とのセッションでは必ずそのスタジオを指定し、
生徒さんたちとも何度も、ともに曲と出会い、
ロビーに居座って譜面を書き、
ライブ前には声を出しにいき、
ライブ後には反省をしにいき、
メンバーの結婚式に参列し、
葬式にも足を運び、
いくつものリハやイベントも勉強会も実施し、
発表会も行い、
311の時もここにいてロビーで他のお客さんとニュースをみて、
特段用がない時だって足を運び、
ハロウィンにはお菓子を配り、
クリスマスにももちろん配り、
深夜息ができなくなったときには駆け込み泣きながらピアノを弾いて、
救われたことも一度ではない。

そんな場所を失い、今私は一体何を思っているのだろう。

いずれ私たちはすべてのものを失う。

そして別れの時は決して選べない。
どれほど愛しても、突然、手の届かないところにいってしまうことがあるのだ。
そのこと自体は変えようがない。

なぜ、何もないのではなく何かがある、のだろう。
失う前提があるにもかかわらず。

最後にもう一度、足を運びたかった。

今はまだ、嵐のなかにいるようで、
適切な言葉を探すことができない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?