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ケイオスの光

嵐のなかにいる。

荒波に一定期間抱かれ続けると、自分が波に呑まれているのか自分が波を飲み込んでいるのかの区別が困難になる。

ひとつ信じられることがあるとすればそれは人々の信念だ。
重ねて透かしてみると決して交わらない躍動だというのに、一体なぜ、ひと所に集うことが許されているのだろう。

ケイオスの中に光をみている。
働かない頭。思考が回らないけれど誰に責められるでもなく、スポンジのようなパンを夢心地で食べた。

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