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#07 音楽史② 中世1

この音楽史のシリーズはこちらにまとめてありますので是非フォローしてください。

前回は古代まででした。中世スタート時点での勢力図はこんな感じです。

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その後、西ローマ帝国はゲルマン民族の大移動によって滅びました。


イスラム教スタート

7世紀、アラビア半島にイスラム教が生まれ、急速に勢力を広げます。651年ササン朝ペルシャも滅亡し、一帯は「アラブ帝国」の状態になります。日本は聖徳太子がムハンマドと同世代。大化の改新の頃ですね。

音楽的な話でいえば、ササン朝ペルシャで生まれたバルバッドという楽器がシルクロードによって各地に伝わり、8世紀頃にはアラビアではウード、ヨーロッパではリュート、中国・日本では琵琶へと発展します。

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画像引用:https://saisaibatake.ame-zaiku.com/gakki/history/history_barbat

日本は奈良時代、752年の奈良の大仏の開眼時には、仏教の一大セレモニーとして大陸からも多くの人が来日したそうです。そうした中で日本にも古楽器が伝わったのでしょう。

クラシック音楽史はヨーロッパ人のための歴史なので、このあたりは省略されがちですが、このように中世では、楽器がアラビア世界から各地に伝わっていきます。

世界史的に見てもこのころ発展していたのは中東であり、端っこのヨーロッパは「辺境の田舎」だったということを意識しておくべきでしょう。そんなヨーロッパでは、西ローマ帝国が滅んだあと、フランク王国がじわじわと勢力を広げています。


ヨーロッパでは

エジプトからスペインのあたりまで勢力を広げていたアラブ軍ですが、それをフランク王国が食い止めます。このあたり一帯は古代ローマから引き続いてキリスト教の地域だったので、フランク王国はローマ教会から支持されます。

ローマ教会的にも、ビザンツ帝国の教会と対立していたのでそこから決別するため、フランク王国にとっても、権力を強化するため、ローマ教会とフランク王国は結びつきを深めます。

800年 フランク王国のカール大帝が、ローマ教皇から「西ローマ皇帝」の冠を授けられます。

その後フランク王国は相続争いで分裂し、西側が「フランス王国」になります。東側がローマとの関係をさらに深め、「神聖ローマ帝国」と呼ばれるようになります。こちらが現在のドイツになります。

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こうして現在に繋がるキリスト的文化圏が形成されたヨーロッパでは、ローマ教会の典礼式で「ミサ」や「政務日課」が重要視されていました。そこでは口頭伝承による呪文のような聖歌が歌われていました。
(語尾を伸ばすメリスマが特徴的で、いわばお経のようなものですね。)

カール大帝の戴冠以降、グレゴリオ聖歌が発展していきます。それまで口承でしかなかったのが、ビサンツで開発された記譜法が伝わったことにより、歌詞にマークを付けたメモのようなネウマ楽譜が書き留められ、レパートリーが増加していきます。ここから五線譜につながる楽譜の歴史がスタートします。

このように、資料が残っていると歴史を語ることができます。他に「世俗歌」もあった可能性はありますが、それは「正史」になっていません。

聖職者、貴族という
「エリート階級」の権力によって支えられ、
イタリア・フランス・ドイツを中心に発達した
紙に書いて設計され残された音楽文化

という、ヨーロッパ人のための歴史、
西洋芸術音楽(クラシック)の歴史を
ここから追うことになります。

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