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拝啓 尊敬する先輩たち殿

私は大学を卒業してすぐに大手アパレル会社の販売員として働くこととなった。
令和の今、もはや存在しないと思われる超厳しい先輩の下で働くこととなった当時の私…


拝啓 部長殿

店長さながら入社してすぐの店舗ではサブ店長が鬼のように厳しい人だった。
毎日身だしなみのポイントを報告する。
元気に挨拶できなかったら入り口からやり直し。
鏡の汚れ一つ許されない。
埃なんてもってのほか。
プライスの位置、向き、1個ずつチェックされる。
新人の私にはヒールの靴を履くことをお勧めされる。
(毎日足がむくみまくって大変でした)
毎日ロープレ。
他店の検証を死ぬほどさせられる。
ここには書ききれないほど超体育会系の会社だった。

入社1か月で心折れて父親にサブ店長が怖すぎ無理という相談したことを覚えている。
父親からのアドバイスはこうだった。

「どんな会社でも必ず一人は自分と合わない人がいるよ。若いうちはわざわざ自分から苦労するもんだ。」
と。
昭和生まれ昭和育ちの私の父親のアドバイスを信じて私は日々がんばるのでありました。

1年経つ頃、やはり毎日きつすぎて辞めたさMAX。
いよいよサブより店長より上の部長まで私の退職したい願望が伝わるようになりました。
はるばる大阪からやってきた部長に呼び出された私。
「やめてどうすんの?辛いから、きついからって理由で辞めるってこと?もう一度時間あげるから自分のこと考えてみて」と一喝。
その日の帰り道ずっと部長の言葉を繰り返し繰り返し自問自答していました。
ある意味辞めてほしい人には「おつかれさま」で終わるよな。とか、
わざわざ大阪からかけつけるか?とかポジティブに考えたりもしました。
そして私はもう少し続ける勇気をもてたのです。
今思うと私の11年間のアパレル人生をスタートさせてくれたような部長の存在に感謝しかないです。

拝啓 サブ店長殿

「あんたは店長になれないよ」
と当時のサブ店長に言われた新人の私…
当時私は
「思いやりがない」、
「閉店後の棚卸中に鼻歌歌ってる。就業中、棚卸も評価に入っている自覚がない」、
「定時で帰りたがる。もう1人お客さん掴もうという努力が見られない」等
それはもうたくさんのことを言われてきました。

当時自分では「そんなに?」とか「ふんっ」とさえ思っていたのですがそんな態度がサブ店長にも伝わっていたみたいですね。

そこで私は「そんな態度じゃ店長目指せないよ」と言われたんだと思います。
間違いないですよね?
だってせっかく経験もあって長く会社にいる先輩からの貴重なアドバイスに「ふんっ」とか思ってたんですよ?最悪ですよね。
それは成長できないですね。

でも当時の私はわかってなかったんです。
そこでなぜかサブ店長からのありがたい叱責やアドバイスを
「絶対店長になって見返してやる」と違う方向性に走ってしまった私。
今思い返せば結果オーライなんですがね。

数年後私は晴れて店長になるわけですが、新任店長たちのあいさつ&スピーチの場がもうけられました。

そこで当時のサブ店長だった方も店長として長く在籍されていたので私のスピーチを見ることに。
ばっちり目が合いました。
店長になってやると思ったきっかけの人が目の前にいる。
ドキドキが止まりませんでした。
私の用意していたスピーチはこうでした。

「入社して様々なお客様に出会い、素晴らしい経験をさせていただきました。大変感謝しております。それと同時に私は新卒入社後に一緒に働かせていただいた店長、サブ店長に今とても感謝しております。
お2方がいなかったら私はここに存在していませんでした。
当時私に愛を持って接してくださったこと何より感謝しております。
これまでのアドバイスや経験を存分に活かし、ブランドや会社に店長として貢献してまいりたいと思っております。」と。

スピーチ後の自由時間にあのサブ店長だった方から
「店長就任、おめでとう!あなたならなれると思っていたよ!私たちの会社で店長になれる人ってなりたくてもなれない人もいる。そのタイミングや環境、運もある。あなたはそれをつかみ取ったんだね!これから一緒に同じビジョンで仕事ができることを楽しみにしてるね!」と
私にとって宝物となる言葉を頂きました。

彼女がいなかったらこれまた私のアパレル人生において店長就任という機会を逃していたことでしょう。

拝啓 店長殿

入社して2年目のことでした。私は事業部は変わらないもののブランド異動を命ぜられました。
新店舗オープンに伴い人員補充と、何よりブランドイメージと合致しているという嬉しいお言葉を頂き新たな気持ちでスタートを切るのでした。

お店はオープン前。
お洋服を着てみたり、並べたり、皆で毎日大戸屋にいってランチしたり、
それはもう毎日充実していました。

私は2年目で、ブランド異動したばかりということから店長、サブよりずっと下の一番下っ端として働くこととなりました。
同期もいたのでしたが彼女は1年たブランドのアパレル販売歴もありバッグのみしか売ったことのなかった私にとっては大先輩でした。
下っ端でいられてすごく気が楽な気持ちだったことを今でも覚えています。

実際お店がオープンすると全員が慣れない環境で慣れない事ばかりで残業も多くなりました。
私はとにかく毎日が楽しくてがむしゃらにというか、無我夢中で働いていたことを覚えています。

少ししてお店も街になじんできたときでした。
その日私は早番でいつもより早くお店に着いたので時間までお店で過ごそうと考えていました。
すると…
今まで聞いたこともない音楽が店から聞こえてくる…
大橋トリオでした。
遠くから店をのぞくと、ラフだけどものすごくおしゃれで気品があってかわいくて素敵な店長がボディーの位置を考えたり服を着せ変えたりしている様子でした。当時の私は店長にとても憧れていました。
かっこいい‥‥
私もあんな店長になりたい。
他店のスタッフからも「あなたのお店の店長さん本当にいつみてもおしゃれでかわいい」と言われており自分としても自慢の店長でした。

「店長、おはようございます!ボディー変えていらっしゃるんですか?」
「おぉ!おはよぉeco(←私のecoというあだ名の名付け親)。せやねん。どんな感じがいいと思う?どんなのが好き?」と聞いてくれるのでありました。

私の店ではボディーを考えられる人はある程度決められており限られた社員にしか任せられませんでした。

そんな中私にボディーを変えるチャンスをくれたのです。
自分が作ったボディーのお客様からの反応をまた聞かせてほしいと。

嬉しすぎて真剣に考えすぎて開店の時間ぎりぎりになってしまったことを覚えています。
それからというものの、店長はしばし私にボディーの変更指示を出してくれることになりました。
店長の作ったボディーはそのままセットでぽんぽん売れていく。
一方私のボディーは今まで1枚も売れない。
でも一生懸命サブ店長や同期からのアドバイスを受けてボディーに取り組みました。

ある時、私がつくったインポートのお洋服を纏ったボディーに注目してくださるお客様が!
さりげなく接客をし、お洋服の良さ、ブランドのヒストリーを説明して購入に繋げることができました。
嬉しくてお客様をお見送り後にこっそりストックで泣いたことを覚えています。
自己肯定感を爆上げさせてくれた店長。
仕事の楽しさを見つけるきっかけづくりをしてくれた店長に出会えたから私の仕事の軸となるものが確立できたと言っても過言ではないでしょう。

拝啓 ライバル殿

入社3年目。
色々なことができるようになってきた私たちの店舗に派遣社員としてYちゃんが入社してきました。

Yちゃんは私と年齢も同じ。
バックグラウンドとしては接客経験もあり受け答えもハキハキしていてとってもおしゃれ。
何より度肝を抜かれたのが接客がうまい…

一番下っ端として働いていた私も3年目にしてサブを目指すようになっていました。
このままだとこの派遣社員Yちゃんに
売り上げどんどんとられちゃうかも。
と大ピンチな感情に襲われたのでした。

勝手にその場でライバル宣言をさせていただいたことを覚えています。

当時の私は自分の事ばかりしか考えていない時期がありました。
Yちゃんが接客するお客様が自分の顧客さんだった時に横入りして自分の売り上げにしていたりしていたのです。
あり得なさすぎますよね!!!!
でも平気でそんなことを繰り返していました。

個人売上表とにらめっこして、Yちゃんが前日いくら売り上げとっているかや、今どれだけとれているのか血眼で見ていた私…
怖かったと思います。

そんなことを私がしているものだからいよいよYちゃんと私は大喧嘩に。
完全に私に非があるのにも関わらずなぜか自信満々でYちゃんとの喧嘩に
挑む私…痛々しかったと思います。

でもその時気づいたんです…
店長にも言われたんです。

「自分の顧客をお店の顧客にするためには、いろんなスタッフが接客しないといけないんだよ。いずれ会社のファンになってもらえるよ!」と。

今までの自分の態度に幻滅し、改めてYちゃんにも謝罪をしました。
その後のチームワークの快進撃は素晴らしいものに発展しました。

Yちゃんにあえて自分の顧客さんに接客してもらえる機会を自分から編み出す。
Yちゃんとお客さんの雰囲気があたたまったところで、私がファミリー接客に入る。
買い渋っている顧客様にファミリー接客で盛り上げ購買意欲をかきだす工夫をする。
逆にYちゃんの顧客さんのときにも同じように2人でチームワークを発揮することができました。

いがみ合っていた関係だったけれど喧嘩がきっかけで最高な関係になれたこと。
最高のチームができたこと。
今ではお互い子供も生まれて個人的に仲良くやらせていただいてること。

彼女がいなければチームとしてどう動くのかというマインドが見つけられなかったと思います。

拝啓 社長殿

入社して11年間、本当に勉強になる日々ばかりでした。

あんなに大手の会社なのに実は社長が新入社員研修に参加したり、社員総会で新入社員の私に話しかけてくれることもありました!

当時若く何も知らない私にとってはとても新鮮な気持ちでした。

その中で印象にとても残っている出来事があります。
新入社員研修で自作の名刺をいろいろな部署の人に渡してみようという研修がありました。

そこで社長も参加していたのです。
新入社員のわたしにも社長の名刺を渡してくださりとても感動しました!

研修後に社長が
「70点人間になるな」と。
ある程度ここでいいやと自分の限界を決めたらだめだと。
70点がちょうどいいんじゃなくてその上を常に目指す姿勢がある人になれると素晴らしいという言葉でした。

私にとってその言葉は自分が
「楽したいな~」
「もう無理だな」と思った時に思い返す言葉にもなりました。
社長の言葉がなかったら今も70点でいっか!と自分の可能性をつぶしてしまう人間になってたかと思います。
大変感謝しています。


まとめ

私が働いた大手アパレル会社は
「出る杭は引き抜く」という感覚を持っている方がたくさんいらっしゃいました。
私も自分が提案したことや、自分の思いを会社なりに受け入れてくれて柔軟に取り入れてくださる機会がありとてもやりがいがあったなと振り返ると感じています。

販売をやっててよかったとこころから思えます。
しかも若いうちに。
とても勉強になるし人間として成長もできる。
これからの人生を歩んでいく中で原点に戻れる出来事がたくさん詰まった場所でした。
ありがとう、感謝でしかありません。

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