見出し画像

チャールズマンソンのインタビュー

チャールズ・マンソンっていう
カルト的なアメリカの犯罪者のことを
知ってますか?

カルト宗教の教祖みたいな
ポジションにいて支持者に
殺人を示唆したみたいな感じの人です

ロマン・ポランスキーっていう
有名な映画監督の奥さんを
惨殺した(それを指示し共謀した)事件が
凄く有名ですよね

もう5年前に
刑務所の中で亡くなってるけど
今なお、強烈なインパクトを
残していますよね

マリリン・マンソンという
ちょっとヤバい歌手の
名前の由来にもなってます

そのチャールズ・マンソンの
興味深いインタビュー👇を見つけました


気持ち悪いですよね
「あなたは誰ですか?」という質問に
百面相のように奇怪な動きをした後
何とも言えない表情で
「私は誰でもない」って答えてます

溶鉱炉に落ちたT-1000のような
実体がない「なにもの」かを思わせます

何にでもなれるけど
何でもない存在

逆に何かそこに人を惹きつける所以が
あったんじゃないでしょうか?

それは悪い方向に行ってしまったけど
人を惹きつけることができなければ
信者を引き連れることはできないはずです

他人をコントロールすること
即ち変性意識状態にして洗脳する為には
自らも変性意識状態でなければならず
そこにおいて一種の天性が
彼にはあったはず

彼は誰でもなかったから
自分を消して容易に
変性意識状態になることが出来た
そしてそれ故相手に共鳴し
相手を変性意識状態にすることが出来た

もちろん犯罪者を
賛美するわけではないですが
多分彼は普通ではなかった

彼には自分がなかったが
逆に誰にでもなることができた
だから信者と共鳴することができた

そして、それは大きな魅力だった

しかし、彼は
不幸なような感じがしますよね
誰でもないって言うときの表情が
それを物語っている

彼は小さいころに自分を殺されたのか
生まれさえしなかったのか
いずれの理由で自分がなかったかは
分かりません

しかし、彼は多分、被害者なのです
彼を作ったのは彼ではなかった
子供の時に自分で意志して
「よし、こんな自分になろう」と
思う人はいますか?

いつのまにか「彼」という存在は
作られていたのです

しかし
ある時期から軌道修正できたはずだ
という意見が
あるかもしれません

自らの意志で変われたはずだと

しかし、変わろうとする意志自体は
意志出来ません

意志は意志出来ない

意志はどこからか降ってくるものです
彼自身が自由に意志することはできない

その人が変われるか
そして、その意思を持ち得るかも
環境に基底されるものだと思います

例えばある不遇な幼少期を過ごした
2人の子供がいるとします

一人は立ち直れたけど
もう一人は立ち直れなかった

その違いは
結局実は立ち直れた方が
環境に恵まれていたという話にすぎません

つまり、立ち直れないほどには
痛めつけられてはいなかった

そういう環境に育てられた
ということにすぎません

実は私たちが思っている以上に
自分でコントロールできることは少ない
と思うんです

生得的なものはもちろんそうですし
環境による影響もそうです

子供なんて空白の白紙なんだから
環境に染められるに
きまってるじゃないですか

その紙も違う環境に入る事で
書き換えられると?

紙に書いてある内容通りに
生きるからその紙に書いている内容と
似ている環境しか囲むことが出来ないんですよ

紙に書いてある環境に似ているけど
微妙に違う環境と
フィードバックしながら
小さい変化を積み重ねて
少しずつ書き換えて
いくしかないんですよ多分

でもそれも実はかなり難しいと思います

紙に書いてあったことが
書き換えられたと思っていも
実は残っているんですよ
最初に白紙に書き込まれたことは
刻印として深く刻み込まれているから

そして、実は元々、紙の内容、即ち自分と
環境は異なるものではなく
一つなんですよ多分

自分を外部に
表出したものが環境なんですよ
紙の内容(自分)と無関係に
環境(世界)があるんじゃない

紙の内容(自分)の中にあるもの以外
環境(世界)には見いだせない
紙に書いていないことは見えない
だから環境は自分そのものです

メタ思考で紙の内容を高い視点から見て
紙の内容を少なからず客観的に
認識して書き換えることが
できるかもしれないけど

メタ思考だってあくまで
自らの視点からのメタ思考です

メタ思考している思考主体自体は
思考できない

自らの視点を外から見る事は出来ない
自らの眼球を自ら見ることは出来ない

例えばある事柄、情景
なんでも良いですが
Aさん、Bさんという二人の人が
客観的にそれを記述したとします

どんなに客観的に記述しても
その二人の書いた内容は
微妙に違うはずです

どんなに客観的に書いても
AさんはAさんを表しているし
BさんはBさんを表してるはずです

完全な客観なんてないんです
同じようにメタ思考にも
自分が表れている

私がなにが言いたいかというと
犯罪者の成育歴、育った環境は
劣悪なことが多い

それは社会的データとしてあるはずです
共有されてるはずです

だから、犯罪者に全面的な責任を
負わせるのは酷な面があると
正直思うんです

なぜなら彼らを作ったのは
彼らではないからです

生得+環境なんです
正確に言うと幼少期の環境です

そして自ら環境を変化させること
そして環境の変化による
自らの変化が難しいことも
上に述べてきたとおりです

彼ら自身の力で
出来る事は限られていると思うんです
限られていたと思うのです

同じことがアダルトチルドレンにも
言えると思うんです
ロジックは上で述べてきたことと
同じことです

世間では肉体的虐待には
焦点が当てられますが
精神的虐待はあまり注目されていない

物理的現象として肉眼で捉えずらい
精神的虐待は把握しずらいのでしょう

肉体的に虐待を受けていなくても
精神的に虐待を受けてることはあります

逆に上手い奴は肉体的に虐待せず
精神的に虐待を加え相手を
コントロールします

暴力を使わずしてコントロールできる奴の方が
知能犯で手練れに
決まってるじゃないですか

暴力を受けていないから
非難するのも変な罪悪感が出てしまう

そっちの方が実は強敵で

相手を強烈に憎めないし
清算できないから
長期間に渡って生殺しにあう
ようなものです

ガチで殺されかけるより実は
キツイかもしれない

私にはチャールズ・マンソンの
「私は誰でもない」
っていうのよく分かりますよ

自分がないと
自分自身の欲望が生まれない
少なくとも社会一般に沿った形
即ち他人の欲望といった形でしか
欲望は生まれえない

自分自身の欲望はないんです
なぜなら自分がないからです

欲望がないなら
死んでるようなもんじゃないですか

欲望のもと人間は行動する
すなわち生きていくんでしょう

ただ、食べて寝るだけだったら
動物でしょう

しかも、苦しい意識がある分
動物よりも、よっぽど辛い

他人の欲望しかないからって
他人を生きるんですか?

とても空しいですよ
他人の欲望だから
本気にはなれないし
楽しくない

自分の欲望で
自分を生きたいですね心から

世間は魂の殺人にもっと気をやるべきだ
子供を殺すことで自らを取り戻そうとする
化け物の存在を知らないのか?

化け物はいつまでも貪りつづける
自分を取り戻そうとする目的は
ついぞ達成されえないから

化け物はかつて自分を殺された子供だった
カルマは続いているんですよ

それは永劫続くんです
解脱できた人間はいるんですか?

世間は自分を殺された人が
自分を取り戻すことに
もしくは自分を生み出すことに
もっと時間と猶予を与えるべきだ

社会的な体面など、どうでもよい
年齢も関係ない

皆が自分を取り戻し
自分自身の欲望に沿って生きれば
社会はイキイキとして
GDPも上がるでしょう

他人の欲望で他人を生き
死んだように働いて
生産性が上がるわけないでしょう

カルマからの解脱は難しいですよ
そう簡単じゃない、、

もしかして、最初から自分なんて
無いんだろうか?

関係性の結び目が自分で
自分があるなんて
そもそも幻想なんじゃないだろうか?

そう思うことがあります

でもやっぱり
そんなことはないと思います

子供の時のわずかな欲望の発露を
大切に育んであげれば
自分は育つはずです
そしてそれが自分となる

即ち、欲望に従ってたくましく
生きていくことができるはずです

直観的、感覚的でしか捉えられないけど
自分はあるんですよ、やっぱり

若い時分はそのことに気づかなかった
そして、殺されていたことにも
気づかなかった

そして、むやみやたらに
苦しかった

でも今は分かるんです
自分はあるんです
幻想ではない

ワタシは自分の声を聴きたい
親から犯されたマインドの声ではなく
私自身のハートの声を聴きたい

それが本当のワタシであり
本当のワタシの声です

そして、それに従って生きていきたい
自らに嘘をつかずに
自分自身に誠実になって
ハートの声に従って
ワタシは生きていきたい

これから、ずっと
そうやって
生きていきたい



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?