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小林秀雄『個性と戦う』

小林秀雄という男がいる

何でも文芸評論家という肩書だそうで
文化勲章なんかももらっている人物だ

私はそこまで小林秀雄に詳しくない
新潮文庫から出ている本を2,3冊読んだくらいだ

多くを読んでない以上
多くは語れないのかもしれない
しかしこの人の講演は大好きで何回も聞いてきた
今回はその講演について話をしたい

小林秀雄の講演CDが新潮社から全8巻でているが
その7巻目にゴッホについて
小林が語っている講演がある
私はこの講演が特に大好きだ
なぜなら自分と重ね合わせてしまうからだ

小林はゴッホについて語りながら
本当の個性というものについて紐解いていく

特にゴッホが弟への手紙において
自身の病気について語っている場面を
語る小林には痺れる

ゴッホは精神病でありその発作に悩まされていた
その病気について手紙でこう言っているそうだ

『医者は客観的に私の病気を分析してくれて
原因や治すにはどうすればいいなど
親身になって対応してくれる
私はその話はみんな聞くし
いいつけは守る
しかし、私が病気を持った意味
なぜ、こんな病気を背負って
生きていかなければならないのか
その病気に対する自分自身の態度を
決めるのは俺だけであり
医者の口出しは許さん』と

これは病気でなく各々の人生への態度
人生の意味への態度に置き換えれば
皆に当てはまるのではないでしょうか?

少なくとも私にはそうで
私はこの言葉が響くのです
凄く

先天的にも後天的にも
私の歪んだ性質は全部与えられたものです
私が自ら選びとって
自ら意志して作った性質ではありません
気づいたらその性質は作られていたのです
いつのまにか

そして、その性質を持った意味
そして、その性質を自分自身どう捉え
向き合っていくかは
私自身にしか決められないのです

なぜなら私の人生だから

他人には決めようがないのです

そして小林はゴッホの話に続いて
個性というものについて
話を進めていく

小林は言う
近頃、巷で持て囃されている個性などは
本当の個性ではないと

逆に巷で言われている個性など
皆が必ず持っているものであると

人の顔に誰一人として同じ顔が無いように
個性のない奴などいないと

しかし、それは単に人と違っているという意味
(スペシャリティー)であって
オリジナリティーではないと

本当の個性とは自らに与えられた
強制された個性(スペシャリティ―)を乗り越え
克服し作り上げるもの(オリジナリティー)であると

私達の性質は全て与えられたものである
ルックスも頭の良さも性格も
社会的状況も
何もかも与えられたものである
先天的にも後天的にも
いい意味でも悪い意味でも

例えばいい意味で言うと
仮にイイ大学を出ていたとしても
頭のよさや学力の高さは
正直ほとんど遺伝である
(茂木健一郎は50%遺伝と
テレビで言っていたが)

それはその人物が幸いにも
与えられたもであり
自らつかみ取ったものではない
もちろん必死の努力でつかみ取った場合も
あるかもしれないが
努力できるのも才能であり
それも与えられた性質と
言ってしまえばそこまでだ

悪い意味でもそうである
悪い性質、歪んだ性質も
全て与えられたもの
強制されたものである

例えば私の親は人に優劣をつけ
自らよりも下の人間を軽蔑する傾向がある

例えば学歴や社会的地位、職業などで
人を差別し自らより下の者を
馬鹿にしたり軽蔑するのである

私はそれを毎日のように聞いていた
シャワーの様に浴び続けたのである
子供の時からずっと

だから私にもそういう性質が出来てしまった
同じ性質を私も持ってしまった

その性質を正そうとずっと向き合ってきたが
今でも一瞬だがそういう性質が出る
人と関わった瞬間にほんの一瞬だが
自分よりもこの人は上なのか下なのか
という視点で人を吟味してしまうのである
一瞬その性質が出た後、理性でおさえるのである
『いかん』と

もしかすると、この性質は人間が持つ
自らのステータスを高く保ちたいという
本能的欲求に基づく性質なのかもしれないが

そうであってもそれは
先天的に与えられたものである
私がどうこうして得た性質ではない

悪い意味でもいい意味でも
先天的にも後天的にも
全て与えられたものである

だからそんなものは
克服しなければならないのである
それを乗り越えたものが
本当の個性でありオリジナリティーなのである

私には多くの歪んだ性質がある
それはおおよそ
親との関係により作られたものであり
親から受け継がれたものでもある

そして親自身もそうであった
祖父母との関係により
歪んだ性質を受け継いだはずだ

だから何世代にもわたる連鎖と
私は戦っていることになる
強制された『さだめ』
宿命、運命と戦っているようなものである

私はそれを乗り越えたい
私に与えられた個性を克服し
本当の個性を勝ち得たいのである

だから小林の上記のクダリは
私に勇気を与えてくれる
私を勇気づけてくれる
『お前は間違っていない』と

そして、最後に小林は
個性と関係して
文学の話をする

小林は文学を見る時に
『作者が自己と戯れているか
自己と戦っているかで
その価値を判断している』
と言う

もちろんここで言っているのは
自己と戦っているものを
小林は評価しているという意味である

自分と戯れているのが
安易な自己主張であり
表面的な個性の発揮である

一方、自己と戦うことは
自らの表面的な個性を
乗り越えようとする営みであり
本当の個性に到達しようとする営みである

私も安易な自己主張に
なっていないか
常に気を付けなければならない

そして、自らの持つ個性
自らの持つ信念、考え方を
常に疑う態度を持ちたい

それが自らの宿命を
乗り越えて
本当の個性を勝ち得る方法だと
思っているから

そして、それが
ワタシがワタシ自身になる方法だと
思っているから

ありがとうございました























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