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世田谷区歴史探訪①『世田谷代官屋敷編』

今回は、僕が若い頃に住んでいた東京都世田谷区『歴史』にまつわる簡単な観光案内記事です。

今回の記事の元になっているのは、以前のQuoraでの僕自身の投稿です。

・Quoraでの質問
『今は東京の中心になった新宿区と渋谷区、世田谷区は江戸ではなかったのですか?江戸郊外でしたか?』

・僕が作成した回答の冒頭
『質問ありがとうございます。
僕は30年ほど前の20代の頃、世田谷区に住んでいたので、『世田谷限定』で回答します。』

今回はこちらのQuoraでの回答を、もう少し詳しく書き直しました。

・Quoraの質問に対する直接的な回答

まずwikiにもあるとおり、世田谷区は古来より『武蔵国』にあった。
現在の世田谷区にあたる区域は、古来、
・『武蔵国多摩郡』
・『武蔵国荏原郡』
に属していた。

江戸時代末期
武蔵国 多摩郡、荏原郡内に42の村々が存在。
それらの村々は、
御府内(江戸の市域・城下町)には含まれていない。

明治・大正時代
武蔵国多摩郡・荏原郡は、旧東京市15区に含まれない地域だった。

昭和時代の世界恐慌後(1930年代)
荏原郡および北多摩郡から旧東京市に編入。

・世田谷区のもう少し詳しい沿革

1871年
 廃藩置県により、現世田谷区の範囲の内、
中部・東部の村々は東京府荏原郡
西部の村々は神奈川県北多摩郡に属した。

1889年
市町村制施行に伴い現世田谷区の範囲の内、
・荏原郡の村々は合併 ⇨ 世田ヶ谷村(後の世田ヶ谷町)
・駒沢村(後の駒沢町)
・松沢村・玉川村に、北多摩郡の村々は合併して砧村・千歳村になる。

1893年
三多摩(北多摩郡砧村・千歳村を含む) ⇨ 神奈川県か東京府に編入。

1932年
現世田谷区の範囲の内、荏原郡の町村は東京市に編入 ⇨「東京市世田谷区」になる。
発足当時の人口は、松澤村・世田ヶ谷町・駒澤町・玉川村133,249人を基準とする。

1936年 北多摩郡砧村・千歳村が東京市世田谷区に編入。
1943年7月1日 東京都制により東京都世田谷区となる。
1947年 従前と同一の区域 ⇨ 特別区としての世田谷区へ。
同時に世田谷区域に新制中学校ができる。

つまり、
・現世田谷区は、江戸時代には、江戸(御府内)ではなかった。
・いうならば『江戸郊外』の『武蔵国』
・1932年以降『東京市』に編入。※東京市は、東京府東部の区域。
・1943年 東京都世田谷区と制定された。 

・世田谷区の歴史的建造物紹介

①『東急世田谷線 三軒茶屋駅』

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世田谷区の歴史的建造物紹介は、この地域に根付いている『東急世田谷線』に沿って紹介します。

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※僕が住んでいた頃に走っていた、世田谷線のグリーンの旧車両。

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渋谷駅から『東急田園都市線』に乗って、『三軒茶屋駅』で降車。

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三軒茶屋駅降車後、連絡通路を通って地上へ。

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三軒茶屋のランドマーク『キャロットタワー』裏側に、

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『東急世田谷線 三軒茶屋駅』

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小さな駅ですが、

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ICカード乗車対応。

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『三軒茶屋駅』駅名標(三軒茶屋駅ホーム内)

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『東急世田谷線』わずか10駅の短い路線図。

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世田谷線に乗車して、出発。

②『世田谷代官屋敷』

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僕が当時住んでいたアパートの本当に近所に、『世田谷代官屋敷』があります。

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『世田谷駅』降車。

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『世田谷代官屋敷』は、『世田谷駅』から徒歩約7分の距離。

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通称『世田谷通り』を渡って、さらに奥へ。

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『世田谷中央病院』の前を右へ。

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この通りは、毎年1月と12月に開催される蚤の市『ボロ市』に因んで
『ボロ市通り』と呼ばれる。

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普通のどこにでもあるような、下町商店街の並びに茅葺き屋根が見えてきた。

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『世田谷代官屋敷』

普通の住宅街のコンビニや商店などの並ぶ通称『ボロ市通り』の並びに、こういう茅葺の表門があります。

室町時代〜江戸時代、彦根藩世田谷領の代官を世襲した大場家の私邸・役宅で、『大場代官屋敷』とも呼ばれる。

大名領の代官屋敷としては、現存する都内唯一の建物。
1952年 都史跡に指定。
1978年 国の重要文化財に指定。

・世田谷代官屋敷・大場家概要

室町時代から世田谷の有力者であった大場家は、
『明治維新』以降〜『現在』に至るまで、
・私塾・学校の創設
・鉄道の敷設
・地域金融機関の創設
・土地区画整理
・文化・伝統行事の保存など、

その時代ごとに、世田谷の発展へ貢献してきている。

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『世田谷代官屋敷』敷地内に『世田谷区立郷土資料館』もあり、無料で見学できます。
江戸時代の世田谷区の様子を伺える史跡です。

上に紹介した『世田谷代官屋敷』および『ボロ市通り』は、世田谷線世田谷駅〜上町駅区間にあり、どちらの駅から向かっても、距離はそれほど変わりません。
※実質『ボロ市通り』は世田谷駅〜上町駅区間に沿って跨っている。

③閑話休題『長崎ちゃんぽん』

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今回僕が『上町駅』ではなく、『世田谷駅』で降りたのは、
『世田谷駅』の近くで『世田谷通り』に面した場所にある飲食店を訪ねてみる目的がありました。

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世田谷駅前交差点から、世田谷通り沿いに、

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三軒茶屋・渋谷方向へ進んで、徒歩3分。

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『長崎ちゃんぽん』

僕がこのあたりに住んでいたのは数十年前ですが、この『長崎ちゃんぽん』は、健在でした。
しかも店構えも変わっていない。

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メニューは当時からシンプルに、
・『長崎ちゃんぽん』
・『長崎皿うどん』
・『チャーハン』
・『ギョーザ』
・『肉野菜炒め』
その他ドリンク、ビールなど、サイドメニューのみ。
確か、このメニューのような定食セットもなかった。

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この看板にあるように『お持ち帰り』もなかったし、
このあたりに住んでしばらくしてから、メニューに『もつ煮込み』が加わったのを覚えています。

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店内のカウンターも相変わらず。

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『長崎ちゃんぽん』単品 ¥950をいただきました。

ボリュームタップリで、相変わらず美味しかったです。

・To Be Continued

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次回は幕末の志士たちを多数輩出した『松下村塾』の指導者『吉田松陰』を祀った、
『松陰神社』をご紹介します。

この続きは次回の記事で。

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