32.気ままなハケン生活に戻る
スローフードのイベントが終わり、1ヵ月のシチリア滞在終え、東京での日常が始まりました。
ただし、自分の中では確実にモードが変わり、新しい生き方をするべく働き方をガラリと変えようと決心していたのです。
NPOを辞める
12月にシチリアから戻ってすぐに私の意向を伝え、翌年3月末でNPO法人スローフードジャパンを退職することにしました。
4月以降のことはまだ何も決まっていません。
この時点でイタリア移住まであと3年半なのですが、もちろん当時の私はそうなることを知らないので、新しい生き方を求めて模索することになります。
取りあえずまず最初にやったことは、料理教室の強化です。
毎月1回の定期コースを設けたり、マンツーマンだけではなくお友だち2人で受けられるレッスンやワイン付きのコース、レッスン後にはそのままパーティーができるプランなど、これまでやりたくても仕事が忙しくてできなかったことを試すことにしました。
と同時に、編集の仕事でお世話になった派遣会社に連絡を入れます。
また同じような編集の仕事がないかの打診です。
校正校閲の仕事
派遣契約なのでコンスタントに毎月の仕事があるわけではありませんでした。
あるときは1ヵ月だけの契約だったり、半年の長期だったり。
そのうち編集以外の校閲や校正の仕事紹介も入ってくるようになりました。
派遣の仕事というのも続けることで依頼が入りやすくなるのだとその時に知ります。
1度頼んで良かった人には、その次のシーズンになると同じ職場から優先的に声がかかるという仕組みです。
編集だけでなく、校正や校閲の仕事にも特殊な繁忙期がありました。
それは株主総会のシーズン前です。
3月末が決算の会社だと、たいていその3か月後の6月に株主総会が開催されます。
それに合わせて決算資料だったり会社の長期経営計画だったり役員異動だったり、報告すべきさまざまな資料を作成する必要がありました。
そのため、1年のうちそのシーズンだけが繁忙期となるのです。
決算資料の読み方や入っているべき情報の確認など、慣れていないとできない校閲作業になります。
会社員時代にそうした仕事をしたことはないのですが、学生時代にアルバイトで株式の書き換えをしたことがありました。
20年近く昔のたったそれだけの経験でやることになったぐらいなので、いかに繁忙期は人手不足になるのかが分かります。
300人ぐらい入りそうな大きな会議室に横長デスクをズラリと並べて行われる作業は壮観でした。
シーンとした室内から聞こえてくるのは、紙をめくる音とペンで書きこむ音ぐらいです。
誰かと話して進めるような仕事ではないので、ひたすら自分の世界に没入できてわりと好きな作業となりました。
家から歩いて行ける派遣先
私の住んでいたマンションは港区海岸というとても変わったエリアにありました。
周囲には住居用物件はほとんどありません。
東芝、扶桑社、東京ガス、紀文などの本社や新聞社の印刷局もあるようなエリアでした。
そんな環境なので派遣先まで歩いて行けることも多かったです。
そして、ある日、自宅の並びで徒歩3分ほどの場所にある会社での仕事を紹介されます。
それは保険約款の校正作業でした。
とても細かい文字の校正になるうえ、絶対に間違いがあってはいけません。
そして意外とひんぱんに改変もあるのです。
会社員時代に生命保険会社を担当していたことがあるのですが、そのキャリアとやはり家が近いので急な残業にも対応できるだろうとの意向で声がかかったのだと思います。
この職場は本当に良いところでした。
こじんまりとしたオフィスですが人間関係が良いのでストレスがありません。
なにより家から徒歩3分なので昼休みにはいつも自宅に帰っていました。
まるでイタリアのような環境です。
約款の校正作業に正直、面白みは感じられませんでした。
それでも人間関係は良好、家から近いので便利、何より本腰を入れて始めるつもりになっていた新しいプロジェクトも負荷なくできる環境だったので、仕事内容については妥協することにしたのです。
気ままなハケン生活、悪くありません。
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