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平成の時間とは何か。

 先日、京セラ美術館にて開催されている展覧会「平成美術 うたかたと瓦礫」の鑑賞に向けて札幌から京都へ赴いた。新型コロナウイルス感染拡大防止の理由により旅行を自粛していたため、実に1年半ぶりの本州旅行となった。

 まず、先にお断りしておくと、この記事が表題の問いに対しての答えを導くものではなく、主観的な感覚の、感想文という認識で書いた。「平成の時間とは何か」という問いに対する答えのひとつはすでにこの美術展開催の理由のひとつにもなっているので、ぜひご自身で体感されたい。また、バブルが崩壊する平成3年に生を受けた自分の人生における時間感覚とは、本記事に記述する平成の特殊な時間感覚に依拠することもあらかじめお断りしておく。

 結論から言うと、今回の美術展には大いに感動を覚えた。作品そのものというより、キュレーションの目的やコンセプトに感じ入る部分が多かった。そのコンセプトを頼りに、以下のように考えてみる。

 本展の図録中に記された、キュレーターの椹木野衣の文章を引用するのであれば、祖父母〜父母の世代である戦後の時間とは"基本的に焼け跡からの復興、その後の高度成長とさらなる加速、持続からなる。それは計測することが容易とされた機械的な時間の尺度で評価され、先へ先へと進められてきた"のであった。私はこの認識に非常に共感を覚えるとともに、なぜ平成は昭和のように直線的な、物語的な、累積的な時間の評価を感じられないのだろうと常々疑問に感じていたことに気付いた。

 そこで、戦後からの復興〜社会の発展、成熟という一本の物語による快楽と、それに伴う犠牲や悲劇の忘却と反復が、昭和を支えてきた"機械的時間"であり、現在から顧みた昭和の時間に対する評価ではないか、と推察した。実際に昭和を経験しえなかった自分の時間感覚では、それはまるでフィクションで、平成の時間の流れとは乖離したものだと感じる。

 ではなぜ、虚構だと感じられたのだろうか? それは、虚構化した昭和の時間尺度は、傷ついた時間の中では体感できないからだ。

 ベルリンの壁崩壊、冷戦終結以後、自由主義、資本主義を正義とするグローバリズムが世界を覆ったことを端緒として、バブル崩壊による先の見通せない(実感的な)不景気、阪神淡路大震災以後の自然災害、地下鉄サリン事件、9.11、そして東日本大震災と、修復不可能なレベルの傷を与えられ続けてきた平成という時代の不幸は、どこかで自分より先に生きた世代の狂熱的欲望のツケとして背負わされている業ではないかと感じていた。同時に、インターネットとグローバリゼーションの普及によって、空間や地域という概念が急速に集合し、生産されたものを一本化した時間の尺度で計りづらくもなり、結果として自然災害が巻き起こった時代が平成である。

 椹木はこれらの大きな事件によって"身体的に大きな怪我を負ったり、深いトラウマを抱えるようになれば、心理的にも身体的にも時間は前のようには流れてくれない"とした上で、"時間の機械的な運用からなる日常的な思考を失調させ、その一方的な流れや形式的な計測可能性そのものを不可逆的に無効にしてしまうような時間"を"傷ついた時間"と表現している。

 大きな物語がなくなり、消費の欲望だけが拡大していくなかで、ただ怪我と疲労だけが蓄積し、昭和的な時間の刻み方を失調した平成で育った自分は、やはり生まれ年以外の西暦を元号年(機械的時間)で瞬時に換算できず、自分も"傷ついた時間"の中で過ごしているのだと気付いた。そして、そこに時間の累積的な重力(=時の重み)を見出すことはできなかった。

 今回の展覧会で一番感動した部分は、入場すると真っ先に目にする「平成の壁」という長さ16mに及ぶ巨大な黒板だ。この黒板には平成美術史を大いに含んだ平成の時間が、機械的時間に切り取られた"平成史"が年表形式で所狭しと書き込まれている。

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 この巨大で圧倒的な黒板を目にした時、初めて自分の中の"傷ついた時間"と"機械的な時間の尺度"が結びつき、まったく重力を感じていなかった自分の人生における平成の27年間が急に機械的時間の単位をもって実感を迫った。初めて、実績として自分が27年"も"生きることができたのだと理解した。

 なぜこのような感覚を抱いたのか? ひとつは先に述べた"傷ついた時間"に由来する。もうひとつは、政界を見れば一目瞭然だが、この国は若者ではなく常に高齢の男性が大多数となって力を持っている点にある。

 高齢者の活動年齢が上がるにつれ、高齢者による若者、若造という認識(レッテル)の範囲も当然高齢化する。戦後の50歳と現代の50歳では役割も印象もまるで違う。50歳でなお「まだ若い」と称される場合もある。高齢社会の進行はつまり、私たちの重ねた年齢の価値が相対的に伸張されることを意味する。私たちは自らをまだ30年しか生きていない若者と認識することで、30年も生きることが出来たという喜びや重み、価値を自ら希薄にしていく。

 平成の壁はそういった圧力や"傷ついた時間"から私を解放した。機械的時間の線に沿って出来事を陳列し、はじめて自分の時間が機械的に整調されたのだった。ばらばらになった私の身体を平成という時間尺度で整形し、その時間の普遍的な喜びを感じさせてくれた。そのことに私は感動し、目頭を熱くした。だから、この展覧会を「大いに感動した」と評した。

 しかしながら、令和は体感的時間がさらに伸張されていくのではないだろうか? いや、現在進行形でなされていると思う。これは高齢化だけが問題とされているわけではない。東日本大地震がアーティストの社会的役割を破壊したように、コロナ禍によって、都市空間も、日々の仕事もが今までの存在意義を失調し、これまでの価値基準もろとも瓦礫(デブリ)と化す。デブリとは災害やテロによって引き伸ばされた(傷ついた)、価値的に希薄な時間そのものなのではないだろうか。

 令和という時代において初めて、平成の時間が評価されるに至った。私たちは今やっと、過去と向き合い、眼前のデブリに対していかなる態度を表明するか考えることができるのではないだろうか。それは、泡沫となった私たちの身体を繋ぎ止め、デブリを喜びに再構築するための第一歩になるかもしれない。

(2021.3.23.時短営業解除直後の深夜の錦市場を前にして)

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