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〜潜水〜

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心のつぶやき
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#エッセイ

柔らかな サンクチュアリなる茶室にて 真実という お茶を差し出す

🌿若松英輔さん
『ひとりだと感じたとき
あなたは 探していた
言葉に出会う』(亜紀書房)
を少しずつ読んでいます。
🌿〜p.81「心の水」。
一言一句、自分のことを言い当てられているようで震えています…

https://note.com/imogine_note/n/n1b1a2dd30731
↑先日つぷやいたことは日頃考えていることなのだけれど、自分のやってきたsmileへの姿勢はこの本の言わんとしている《ケアの倫理》だったのだな…と涙してしまった…(小川公代さん『世界文学をケアで読み解く』。特に「あとがきにかえて」の所)

私は…やはり…Smileは必要だと思う。それを無理に声や表情に出さなくとも。ユーモアとは…何よりまず自分の内側から処方箋として用意されているものだと感じている。勿論、何かの引き換えに「笑い」があってはいけないと思っている。
卑屈さや駆け引きではない笑いがある。島に育まれた宝物だ。

こどもをぞんざいに扱うとその子はアーティストになる。
支配したつもりでもその所業は後に作品となり報復される。(生前だろうと死後だろうと。)
時の権力がアーティストを冷遇しても、人が人を冷遇し続ける限り、芸術は無くならない。

一条ゆかり先生の、そして当時、少女まんがを描いていた女性達の大変さが「やっと」詳らかになり、私は溜飲が下がる思い。
いま放映されている「100分de名著」林芙美子さんについて知る度に、私は一条先生のエッセイ漫画を思い出していた。とても似ているのだ。他の先生方も本当に大変だった。。

さみしいなあ。私は少ない。持ってるものが。/いや充分ではないか。何を贅沢なことを。/(沢山持ってると管理しきれなくて不安になる、だから制限してるのに)/(でも少ないものに頼り切ってるのがわかるから)/おちついて/力いっぱいな蝉の静けさに身を委ねよう/好きな本の中に入ろう寂しさは友

私に夢があるように、この島々もきっと夢見ているだろう。からだに刺さり埋む武器を1つ残らず摘出し、身を挺し包み守っている亡き人々の血肉・骨々を待つ人の元へ。金網は祓われ塞がれた土と水を澄んだ空気へ解放したい。清々しい我が皮膚の上を人々が子どもたちと手を繋ぎ歩く幸せ…夢見てるはずだ。

「暴力は言葉を奪う」と意識しだしてから、今日ふと思ったこと。
琉球が併合され言語が「標準語」に塗り替えられたその時から、世代を経てもう元の言葉が取り戻せないまでになっている現在、このこと自体、ずっと暴力を受け続けている状態なのではないか…と。。
(思案中)

読んでたはずの本 見開きの中に うとうとと眠りこけ 夢かうつつか懐にもたれかかり 背中預け いつの間に左手を互いにそっと握り合うところで ふと覚める夜中。ぬくもりを包んで眠りにつく。

私は…それぞれが確固たる美意識を持つ両親が誇らしく、そして苦しかった。2人の「美への定義・愛・情熱」を知っているのは私だけと自負していた…でもそれぞれの中には入れてくれなかった。もっと苦しかったのは…惹かれあったはずの2人が、互いの「信じる“美”への価値」に気づいてないこと。。