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【連載小説】 本屋で暮らす Vol.1

私たちは生きることを許されているのか?
罪を犯した書店員と元書店員。
二つの魂は答えのない問いを求めて彷徨い続ける。
果たして行き着く先はあるのだろか?
『贖罪』とは何かを問う、現代版『ああ無情』――。


参考資料(順不同)

  • こども世界名作童話『三銃士』作・デュマ/文・砂田弘(ポプラ社)

  • こども世界名作童話『ああ無情』作・ユーゴー/文・砂田弘(ポプラ社)

  • こども世界名作童話『がんくつ王』作・デュマ/文・小沢正(ポプラ社)

  • こども世界名作童話『トム・ソーヤーの冒険』作・トウェイン/文・越智道雄(ポプラ社)

  • こども世界名作童話『フランダースの犬』作・ウィーダ/文・大石真(ポプラ社)

  • 『ぐりとぐら』文・中川李枝子/絵・大村百合子(福音館書店)

  • 『ぼくを探しに』作・シルヴァスタイン/訳・倉橋由美子(講談社)

  • 『新装版 ムーミン谷の仲間たち』作・ヤンソン/訳・山室静(講談社文庫)

  • 『私は本屋が好きでした』永江朗(太郎次郎社エディタス)

  • 『「本が売れない」というけれど』永江朗(ポプラ新書)

  • 『本屋、はじめました 増補版 ――新刊書店Titleの冒険』辻山良雄(ちくま文庫)

  • 『世界の美しさをひとつでも多く見つけたい』石井光太(ポプラ新書)

  • 『こぐまのケーキ屋さん』カメントツ(ゲッサン少年サンデーコミックス/小学館)

  • 『黄色いマンション 黒い猫』小泉今日子(新潮文庫)

  • 『檸檬』梶井基次郎/入力:j.utiyama・校正:野口英司(青空文庫)

  • 『サンドのお風呂いただきます「浜名湖編」』出演/サンドウィッチマン他(NHK)

  • 『古本買取・販売バリューブックス』(https://www.valuebooks.jp/)

Prologue――孤独と不安

 時給2,000円。
 人に誇れる事と言えばそれくらいしかない。
 人に誇れる?
 いったい誰に?
 49歳で独身。東北の田舎で暮らしていた両親は既に他界している。兄弟姉妹もいない。
 付き合った男性も過去に何人かいたが、縁がなかったのだろう結婚には至らなかった。
 もちろん子供もいない。家賃7万円の1DKのアパートに独りで住んでいる。
 大家さんは今どき珍しいほど人柄がいいお婆さんで2年ごとの更新料も払わなくていいと言われ、甘えさせてもらっている。
 職場まで徒歩10分。
 職場?
 たまたま求人情報を見て、徒歩で通える駅前のコールセンターのバイトだったので応募したら採用され、もう5年経つ。
 化粧品も扱う大手製薬会社のコールセンターだが、自前のコールセンターを持つのが面倒なのだろう、コールセンターを専門に扱う請負業者に委託し、私はその会社で美容アドバイザーという肩書きで電話の向こうの中高年女性とパソコンに一日8時間週5日向き合っている。
 この、美容アドバイザーという肩書き。たった1週間の研修が終わったら勝手に付けられたもので、私は大手製薬会社とも美容とも関係がない。
 電話の向こうの中高年女性は新聞の一面いっぱいに掲載された美容液の広告を見て、大手新聞社が大手製薬会社の宣伝をしているのだから大丈夫だと思うのだろう。
 あるいはテレビショッピングの番組を観て、テレビが宣伝しているから大丈夫だと思うのだろう。
 初月2,000円が2ヶ月目から1万円になる定期購入の契約だと知ってか知らずか、翌月から自動的に美容液と払込票、そして継続購入の特典である高価なブランドの小物が送りつけられ慌てて電話をかけてくる。
 国民生活センターのサイトには詐欺まがい商法として定期購入販売が注意喚起されている。が、普通の人はそういうサイトを見ない。
 こちらはまず、継続購入者用に非売品の高級ブランド品が毎月付きますよと餌を撒く。この程度で引っかかる人も多い。
 次に品質保証をうたう。大手製薬会社の名を前面に出し、この会社が開発した独自の特殊成分が入っていて美肌を保つためにはこの美容液が一番適していますよと言いくるめる。
 送ったパンフに顔の色艶が見事に変わったビフォア・アフターの中高年女性の写真も載せているので本気にしてしまう女性がほとんどだ。その写真自体、その美容液を塗りたくったとは限らないのだが。
 詐欺まがいでは? と苦情を言ってくる消費者問題について知恵のある女性は面倒な事態に追い込まれるとマズいのですぐに契約を切る。
 最悪なのは美容液を使い始めて肌に異常が出たという案件だ。
 事情を詳しく聞いて製薬会社の上層部に情報を上げなければいけない。客には説明書にも書いてある通り、肌に合わない方もいるのですぐに使用を止めて皮膚科を受診するようにと伝え、もみ消す。
 そう、私の仕事はインスタント食品のように簡単に作れる肩書きで、契約を切られないよう電話の向こうの中高年女性を安心させる言葉を駆使して言いくるめることだ。
 ちなみに私は他人に勧めるこの高額な美容液を使ったことはなく、長年使い慣れている他社の安くて安心安全な美容液を使っている。
 心の痛み?
 コールセンターをメインに非正規労働を長く続けている私にしてみれば詐欺まがいの会社は山ほどあるのですぐに慣れた。
 大手企業がアウトソーシングして――単なる外注、下請けのことだが――本社の従業員ではないコールセンターの派遣やアルバイトを大企業の顔のように扱い、安くこき使って要らなくなればポイと捨てる。そんな様を当たり前のように間近に見ているので、万が一、万々が一だが、良心の呵責などというものを持ってしまったら、今の日本で仕事をしていけないとさえ思う。
 5年間でノルマをどんどんこなして1,250円だった時給もアップし、上司からスーパーバイザー――オペレーターを束ねる管理職のようなもの――にならないか、と誘われた。
 新人研修なども担当してもらうからもっと時給をアップさせると言われ、残業をしない事を条件に引き受け、何の資格も持っていないアルバイトの私が時給2,000円という破格の金額になった。貯金も500万円ほどある。だが、会社は正社員にならないか、とは決して言わない。
 私はいつまでこの仕事を続けられるのだろう?
 孤独死という言葉も頭をよぎる。
 将来の夢?
 49歳でそんなものを持ってしまったら生きていけないので何も考えない。
 不安に陥る事もあるが、まだ心療内科のお世話になるほどでもない、と思っている。
 東北にある田舎の高校を出て、都内の短大を卒業し、小さな商社の受付嬢として働き始めた。初任給は18万円ほどだった。
 受付は総務部付けになるので、受付にいない時はファイリングなどの簡単な事務仕事もこなした。
 田舎者だった私にとって、当時、商社の正社員の受付嬢というのは憧れの仕事に就いたような錯覚を抱かせた。
 本の虫というほどではないが子供の頃から本が好きで、徐々に書店員になる夢が膨らんでいった。
 ある日、近くに書店が新規オープンするのを知り、面接を受け、23歳の時に正社員として転職し、書店で働き出した。
 初任給は14万円程度。受付嬢と違い給料は安く、漫然と働く事もできなかったが、裁量が大きく左右される仕事はとても面白かった。
 その書店は街中に5店舗展開していたが、本が売れなくなり、おまけに新古書店に転売するためにグラビア写真集やコミックスの万引きが常態化。
 新古書店は盗品と知りつつ本を買い取るので、新古書店へ流れる客も多くなって慢性的な赤字に苦しみ、私が30歳過ぎの時に倒産した。
 以来、非正規のアルバイトを転々とし、コールセンター勤めが一番長くなり、今のコールセンターに落ち着いた。いつまで雇用されるのか分からないが――。
 時折、書店の求人募集の貼り紙を見ると期待して見てしまう。が、時給も最低賃金程度の安さで年齢も35歳くらいまでというのが普通だ。

Chapter.1――書店員との出会い

 ある日、面白そうな本はないか、仕事の帰りに書店に寄って立ち読みしようと思った。
 新刊の単行本は高いのでよっぽどの事がない限り買わない。そもそも書店で本を買わなくなってきていた。
 本が好きで、いくら時給がいいからといって無駄遣いはできない。
 書店には悪いがネット通販で中古で出た際に買った方が安い。それにネットでは過去の履歴からのお薦め機能で、ごくたまにだが思いがけない本と出会う事もある。が、本音を言えば、ネットが機械的にお薦めする本よりは書店員の手書きポップの方が人間味があり魅力的だ。
 書店の前に立つと自動ドアが開いた。真っ赤なエプロンをかけた20歳くらいのショートカットの銀メッシュ頭をした小柄な女性が精一杯背筋を伸ばして本棚の一番上の端に1冊の本を棚差ししていた。
 本を並べる際、入荷数も多くコンスタントに売れる本、著名な小説家などの新刊や重版本の平積み。プッシュしたい単行本などの面出し。そして1、2冊しか入荷がなかった新刊や、売れるかどうか分からないが書店員が個人的な思いで仕入れ、長く置きたい時の棚差しがある。
 私が書店員だった頃、返品サイクルも早まり、1週間程度で人知れず返品される本も多かった。だが、次々と送られてくる新刊を陳列しなければいけないし、中には3日程度で返品される本もあった。
 本が好き、だけでは書店員は務まらない。
 銀メッシュの女性が棚差しした本は彼女が好きな本なのだろう。書店を訪れた人がその本を見つけ、彼女の思いを分かってくれればいいという「暗号」みたいなものだ。
 私は本棚の前に行き、上の方にある棚差しした本を眺めた。
 左端に『ああ無情』というタイトルを見つけて驚いた。
 手を伸ばして本を抜く。懐かしさが込み上げてきた。子供向けの世界名作童話の一つ。
 ――教会で銀の食器を盗んだジャン・バルジャン。が、神父は罪に問わず、更生したジャン・バルジャンと彼を巡る人々の激動の物語。ミュージカルがロングセラーになったり、映画化もされてヒットし、今では『レ・ミゼラブル』というタイトルの方が有名になったが。
 少年少女世界名作文学全集、少年探偵団シリーズ……幼い頃、時間が経つのも忘れて読み耽っていた数々の児童文学。
 私は迷うことなく『ああ無情』を手にしてレジへ向かった。
 レジには銀メッシュがいて、私が本を差し出すと驚いた表情を見せた。
「この本、売れてるの?」
 思い切って声をかけた。
「あ、そうじゃなくて小さい時に親が買ってくれて……この本を読んでとっても感動したんです。だから同じようにこの本を読んで感動してくれる子供がいたらって思ったんです」
 慌てたのか声がうわずっていた。
 買ったのは子供じゃないけど、同類ね。
 心の中で呟いて彼女に微笑んだ。
 マイバッグがあるから袋はいらないと伝え、お金を払い、本を汚したくないのでカバーはかけてもらった。ついでにレジ前に置いてある書店の名前入りの栞を1枚もらった。
 これで彼女と私は密かな共犯者になった。
 アパートに帰り、バッグをベッドの上に放り投げ、部屋着に着替える。
 部屋の真ん中に置いてあるテーブルを見る。
 ふと「ちゃぶ台」という言葉を思い出して独りで笑う。
 幼い頃、ちゃぶ台には母親が作った手料理が並び、父親と三人で夕飯を食べていた。もっとも父親はテレビのニュースを見ながらブツブツと文句を言いながら食べていたので料理の味は分からなかったのではないか。
 冷蔵庫を開けた。昨日、スーパーがポイント5倍デーで、しかも国産豚バラ肉が2割引だった。消費期限を確かめて炒め用にもやしとピーマンを買い、茄子とキュウリの漬け物を買い置きしていた。豚肉ともやし、ピーマンを塩コショウで炒め、ガーリックパウダーを振りかける。
 皿に盛った豚肉もやし炒めと漬け物。炊飯器からご飯をよそい、インスタントの味噌汁で簡素な夕食を口にする。
 テレビでも、と、ふと頭をよぎったが地上波を観なくなってずいぶん経つ。食事の時にそんなものを観たら父親と同じくブツブツと文句を言う羽目になり、ご飯が不味くなる。
 ケーブルTVに加入していて衛星放送も契約している。
 私にとってテレビは地上波以外で録画した映画やドラマ、購入したDVDやネット配信される映画を観るための道具ツールでしかない。それに、老眼になってきたのか細かい文字を読むのが少し辛くなり、本を読むより映画を観る時間の方が増えてきた。
 新聞もずいぶん前に購読するのを止めた。テレビも新聞も薄っぺらな情報しか流さなくなり、私にとって必要のないものになった。
 何か楽しい気分になる映画でも観ようかと思ったが、買ってきたばかりの『ああ無情』が気になった。
 手に取って読み始める。児童書なのですぐ読み終わってしまった。
 ジャン・バルジャンは苦労を重ね、贖罪を果たしてコゼットとマリエルに看取られて幸福に死んだ。
 私の罪を許して看取ってくれる人はいるのだろうか?

Chapter.2――銀メッシュとの交流

 これまで書店へは月に1、2度寄る程度だったが、今は銀メッシュの女性が笑顔で迎えてくれる。
 いつもいるわけではなかったし、あまり会話は交わさなかったが、やはり私は本が好きなのだ。たくさんの本を見て回るのは気分が良く、いつの間にか週に1度は仕事帰りに顔を出すようになっていた。
 そう、今日も。
 自動ドアが開き、中に入ると、
「いらっしゃいませ」
 銀メッシュを揺らし、笑顔の彼女がレジの中から挨拶してくれた。
「こんばんは」
「最近、よくいらっしゃいますね」
 買ってくれた本にかける店のカバーを折りながら話しかけてくる。
「そうね。なんだか懐かしくなって。昔、本屋で働いた事があったから」
「え? そうなんですか?」
 銀メッシュが驚いたように目を見開く。
「もう、ずいぶん昔の話だけどね」
 つい、照れ笑いを浮かべてしまう。
「担当とかありました?」
 彼女は興味を引かれたようだった。
「うん、文芸書と実用書」
「文芸書? いいなあ、文芸書の担当って1度やってみたいんですよねぇ。私は児童書とコミックスなんですけど」
 コミックスと聞いて、近所にある新古書店を連想した。が、その事には触れず、
「最近の児童書はどんなのが売れてるの?」
 聞いたところで絵本を持った男性客がやってきた。『ぐりとぐら』。幼い頃、初めて母親に読んでもらった絵本だ。
 ――森の道の真ん中にとても大きな卵が落ちているのを見つけた野ねずみのぐりとぐら。あまりの大きさに家まで運べず、その場で料理することにする。作るのはカステラ。家から大きな鍋や小麦粉、バターなどを持ってきて出来上がったカステラは森の仲間と分け合って食べた。
 私は懐かしい気持ちと嬉しい気持ちを顔に出さないよう注意しながら後ろに下がり、彼女の仕事ぶりをこっそり見てみた。
 プレゼント用に包装して欲しい、と言う客に慣れた手つきで大判の包装紙を取り出し、テキパキと包んでいく。
「リボンは何色がよろしいですか?」
 男の子なので青にして下さい、と客の答えに青いリボンを付けて手提げの紙袋に入れ、手渡して精算し、
「ありがとうございました」
 元気よく頭を下げた。
 男性客がレジから離れるのを待って声をかけた。
「『ぐりとぐら』、絶版になってなかったのね。子供の頃好きだったから、なんだか嬉しいわ」
 すると、彼女はいたずらっぽい笑顔を浮かべ、
「実は、あの絵本は仕込みだったんです」
「仕込み?」
 意味が分からず、怪訝な顔をした。
「『ああ無情』に反応した人がいるなら『ぐりとぐら』はどうかな、と思って1冊だけ仕入れてみたんです。それが昨日入荷して。でも、こんなに早く売れちゃうとは思いませんでした」
 ――なるほどね、このは優秀な書店員だわ。
「そうね。見つけていたら、私も間違いなく買ってたわ。ねえ、また入荷する?」
 私はすっかり『ぐりとぐら』を買う気になっていた。いっそのこと注文してしまおうか?
「はい。それなら注文しますか?」
 私は苦笑して、
「お願いするわ。なんだか乗せられちゃったような気がするけど」
 書名の書かれた注文台帳を差し出され、苗字と携帯番号を書き込んだ。彼女は私の書き込んだ名前を見て、
「風間さんですか?」
「ええ、風間優子。優子って呼んで」
「はい、優子さん。私は向井雪です」
 と言ってエプロンのポケットから店の名刺を取り出し、携帯番号を書き込んで手渡してくれた。
「ありがとう」
 名刺を受け取り、
「雪ちゃん、いい名前ね。肌も白くて綺麗だし、もしかして秋田美人?」
 雪は笑いながら手を振って、
「違いますよぉ、埼玉の所沢です」
 文庫本を手にした若い女性客がレジにやってきたので、
「じゃあ、また来るわね」
「はい、入荷したら電話します」
 雪に別れを告げて店を出た。

(2024/02/28 UP)

*誤字脱字等ございましたら、下記コメント欄にて指摘して頂ければ幸いです。
*週に1度程度UPしていく予定です。

【本屋で暮らす】各章見出し

*時折、微調整を行います

Prologue――孤独と不安
Chapter.1――書店員との出会い
Chapter.2――銀メッシュとの交流
(以上、Vol.1)
Chapter.3――暗号の交差
Chapter.4――初めての美酒
Chapter.5――自己犠牲の精神
Chapter.6――記憶の錯綜
Chapter.7――父母の愛
Chapter.8――本屋の倒産
Chapter.9――堕天使との契り
Chapter.10――古本屋の経営努力
Chapter.11――自由価格本の脅威
Chapter.12――檸檬の悪戯
Chapter.13――万引の常態化
Chapter.14――人殺し達
Chapter.15――スリルの誘惑
Chapter.16――後悔と号泣
Chapter.17――刃先と血
Chapter.18――手首の傷跡
Chapter.19――黒い染みの恐怖
Chapter.20――漫画の効き目
Chapter.21――まぁちゃんの笑顔
Chapter.22――世界を敵に回しても
Chapter.23――店長からの赦し
Chapter.24――赦しの理由
Chapter.25――償いと決意
Chapter.26――良心の呵責
Chapter.27――奉仕の精神
Epilog――新たな船出

野良猫を育て最盛期は部屋に6匹。最後まで残ったお婆ちゃん猫が23歳3ヶ月で急逝。好きな映画『青い塩』『アジョシ』『ザ・ミッション/非情の掟』『静かなる叫び』『レオン/完全版』『ブレードランナー』etc. ヘッダー画像:ritomaru(イラストAC)