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エッセイぽいもの

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ちっぽけでも、伝えたいことがあって書いてる文章です
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2022年4月の記事一覧

とりとめもないのがいいねと言ってくれた

とりとめもないのがいいねと言ってくれた

友達と久しぶりにご飯に行った。小学生からの付き合いで、高校と大学は別だったのに、不思議と定期的に会い続けていた幼馴染。大学を卒業して社会人になったら、意図せず徒歩20分圏内の場所に住んでいたことが発覚した。「30歳になってお互いに相手がいなかったら結婚するかあ」なんてありがちなことを冗談半分、本気半分で言ってた人でもある。

以前はすぐ近くに住んでいたのもあって、数ヶ月に1回は会っていたと思う。で

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とりとめもない雑談したい

とりとめもない雑談したい

ここ数日ほど不調だったなかで父のことをnoteに書いたら、心に蓋してたものを開けたみたいに「自分傷ついてたなあ」って思えて、余計にダメになった。原稿書き終わらずに迷惑かけながら、自分のnoteは更新していて、何やってるんだろうの気持ち。

でも、noteを書いたことでもらえた言葉に救われもして、ありがたかった。それを読んだら思いと言葉が溢れてきて、そのひとに長文メッセージを送りつけてしまった。久し

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温泉で心の洗濯

温泉で心の洗濯

ほんの少しだけ遠出をして、温泉宿に行ってきた。平日だから、ぜんぜん混雑してなくて快適。「平日に温泉宿なんてフリーランスの醍醐味!」って感じがするけれど、そんなこともない。今日までに終わらせる予定だったはずの仕事が仕事終わっていなかった。

宿に到着して一息ついてから、持ってきたパソコンで原稿を書いた。待ち合わせの段階で、仕事が終わらなかったと先に詫びの連絡を入れていたたはいえ、一緒にきてくれた人は

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「説明言葉」を減らす勇気

「説明言葉」を減らす勇気

誰かとの会話中、よかれと思って意識的に言葉や説明を補足してたつもりが、逆効果になることもあるのだと身をもって知った。

きっかけは、好きなひととの電話で「ちょっと話が難しかった」「よくわかんなかった」と言われたことだった。

みんながみんな、わたしの話を下手と言うわけじゃない。むしろ今のところ、話がうまく伝わらない現象は、そのひととの会話くらいでしか起こってない。とはいえ、相手は好きなひとだし、や

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アルコール依存症の父と暮らしていたときの自分

アルコール依存症の父と暮らしていたときの自分

数年前、アルコール依存症の父と暮らしていたときのわたしは、自分はすごく弱い立場にあると感じていた。

まだ学生で、父とのことで悩み苦しんでいた過去の自分。そこから見たいまの自分は、きっと強者に写るだろうなと、ふと思った。ここでいう強者は、当時の自分が「周りと自分は違うな」と思っていた「周りの人」のこと。自分と周りの人との間に自ら線を引いていたので、家族内だけで抱え込まない方がいいんだと気づくまでに

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片恋と友情

片恋と友情

「過去に好きになった人、絶対に付き合いたくない人か、絶対にわたしのことを好きにならないような人だから、総じて好きじゃないと昔の日記に殴り書きしてあった」と1年前の自分がTwitterに書いていた。どうでもいい話だけれど、それを日記に書き、Twitterに書き、今度はnoteにも書くという。それほどには、自分の中で引きずってるテーマなのかもしれない。

誰かとお付き合いすることを恋愛経験と呼ぶのなら

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本棚の余裕と読書脳と

本棚の余裕と読書脳と

今年の春に本棚を買った。これまで自室に本棚がなかったわけじゃないけれど、一人暮らしを始めて3〜4年も経つと、手持ちの本は入りきらない量になり、本棚はぎゅうぎゅうに。本と本棚のスキマに横向きに入れるなどして、それでも入りきらない分は、棚上や床上に溢れ出し始めていた。

去年くらいからはしばらくそんな状態で、なかなか本に手が伸びなかった。本棚に余裕がないときには、新しく本を購入することも、そして本を読

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青春時代、女の子同士の特別な友情への憧れ

青春時代、女の子同士の特別な友情への憧れ

仕事の休憩がてらカフェで本を読んでいたら、ふたりの女子高校生が後からやってきて隣の席についた。ふたりは向かい合って座り、お互いの手と指を合わせるように触れ合いながら話をしていた。

手や指に触れるといっても、いやらしさもエロチックな感じも全くなくて、ただ跳ねるような嬉しさを伝えるためのコミュニケーション。なんだかふたりが深いところで繋がっているように見えて、いいなあと思った。むかしもいまも、わたし

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超私的エモ解釈

超私的エモ解釈

今さらながら、「エモ」について考えている。心がきゅっとなったり、揺さぶられたり、情緒的で、古語でいう「あはれなり」のような感覚で使われる言葉。「エモい」という言葉を、わたしはそんな風に捉えている。

ただ、これよりもっと主観的に、超私的な解釈をしていいのなら、「エモ」は何度も思い出してしまうような、個人的な出来事や感情に宿るものだと思う。

「エモい」は、いまや多くの人がわかる共通の感覚みたく使わ

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本に書き込みができない

本に書き込みができない

本にはどんどん書き込みをしたほうがいい。そんな意見をよく見かけるのだけど、わたしにはこれができない。

本に書き込みをするというノウハウに初めて出会ったのは、中学生くらいの頃に読んだ斎藤孝さんの本だった。そこには、3色ボールペンを使った読書術が紹介されていた。具体的には、大事だと思ったところには赤、そこそこ大事だと思ったところには青、面白いと思ったところには緑と、3色を使い分けて線を引きながら読む

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たのしく生きることの凄さと尊さに気づいたとき

たのしく生きることの凄さと尊さに気づいたとき

こんなことを自分で書くのは気恥ずかしいのだけど、少し前に、わたしのことを「いつも楽しそうなところがいいと思う」と言ってくれた人がいた。

自分としては、「いつも」は楽しくないのだけど、他者からはそう見えるのだろうか。誰かといるときはうれしくて楽しくなりがちだから、その人の前でだけ、いつも楽しそうに見えるのかもしれない。それでも、自分が楽しそうに見えるということを素直にうれしく思った。

数年前、と

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