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温泉で心の洗濯

ほんの少しだけ遠出をして、温泉宿に行ってきた。平日だから、ぜんぜん混雑してなくて快適。「平日に温泉宿なんてフリーランスの醍醐味!」って感じがするけれど、そんなこともない。今日までに終わらせる予定だったはずの仕事が仕事終わっていなかった。

宿に到着して一息ついてから、持ってきたパソコンで原稿を書いた。待ち合わせの段階で、仕事が終わらなかったと先に詫びの連絡を入れていたたはいえ、一緒にきてくれた人は怒ることもなければ嫌な顔もしないでくれた。やさしかった。


なんとか最低限の仕事を終わらせ、食事処で美味しい和食料理をいただく。そこでもわたしは、彼女のやさしさを見た。斜め前に座る彼女は、宿のスタッフが教えてくれるお刺身の説明を熱心に聞くし、空になったお皿を下げてくれたときには、「ありがとうございます、おいしかったです」と朗らかに言う。なんて心の綺麗なひとなんだろう、と思った。

わたしはというと、お刺身の説明を聞くとき、途中からどれがどの魚かわからなくなって話半分に聞いてしまうことが多い。それに、コース料理みたいに次々料理が出てくる場で、「おいしかったです」とまで伝えられたことがあっただろうか。彼女の言葉を聞いたスタッフの方のうれしそうな表情をみるに、伝えて損のないことだとわかる。彼女の正直さと心のゆとりみたいなものは、少なくとも今の自分には足りてないと感じた。


大浴場は、自分達のほかに一組いるかどうかで、とても空いていた。内風呂はガラス張りで、目の前には芦ノ湖と箱根の山々が広がっている。ガラスに寄ってみたら、見える角度が変わったのか三日月が出ていたことに気づいた。

露天風呂に移動すると、それまで見ていた景色がよりハッキリと目の前に現れた。暮れていく空の先に、濃い墨汁で描いたような富士山の影を見た。くすんだ青と黒を混ぜたような空に少しだけほの明るい橙色が滲んで綺麗だった。写真映えしそうな華やかな夕焼けではなくて、夜の気配をうっすらと漂わせる薄暗い空。それでもずっと見ていられた。自然界が生み出すグラデーションには、人間には及ばないと思わせるものがある。普段の生活で暮れていく空をじっくり眺めることなんてないから、新鮮で贅沢な時間だった。

むかし、ある人が「温泉は心の洗濯」とよく言っていたのを思い出す。ひとのやさしさを感じ、自然の美しさに感服し、温泉とはまた別のところで心の洗濯ができた。

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