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青春時代、女の子同士の特別な友情への憧れ

仕事の休憩がてらカフェで本を読んでいたら、ふたりの女子高校生が後からやってきて隣の席についた。ふたりは向かい合って座り、お互いの手と指を合わせるように触れ合いながら話をしていた。

手や指に触れるといっても、いやらしさもエロチックな感じも全くなくて、ただ跳ねるような嬉しさを伝えるためのコミュニケーション。なんだかふたりが深いところで繋がっているように見えて、いいなあと思った。むかしもいまも、わたしはそんなコミュニケーションの方法を知らない。

中学か高校の休み時間に、手を繋いで廊下を歩く同級生がいたことを思い出した。そういえば、少し前に家族とディズニーシーに行ったときも、制服を着た女の子が手を繋いで自分の目の前を走り去っていくのを見た。

彼女たちは恋愛感情とは言えないような、でも友情という呼び方では物足りないような、特別な関係で結ばれているみたいだ。それは青春時代に特有のもの、彼女たちの特権にも思えて、わたしの目には眩しく映る。

今日もカフェの隣の席でたのしそうに会話を弾ませているふたりを横目に、なんだかうらやましい気持ちになった。わたしは、学生時代に自分が経験できずに取りこぼしてきたものへの憧れと執着をいまだ捨てられずにいる。わたしもそんな風に、学校終わりにカフェで友達とふたりきりで過ごすなどしてみたかったな。

ふたりはわたしがそんな眼差しを向けているなんて知ることもなく、注文したケーキを口に運びながら「美味しいね!」と言い合っている。そしてケーキを食べ終わった後は、ソファ席に横並びになって自撮りをして、横並びの体勢のままお喋りし続けていた。

自分はというと、高校時代は友達もいてたのしかったものの、友達とふたりきりでカフェでずっとお喋りするようなことはなかったように思う。だから、その身体的・心理的距離感の近さ、そしてそれを許せるほどの深くて特別な関係性に憧れてしまう。

こうして書くと、自分の学生時代が散々だったみたいけど、そんなことは全くない。ただ「これが青春だ!!」とドヤ顔で若さをひけらかせるような出来事がないに等しいため、少しばかりの“青春コンプレックス”を持っているのは確か。高校生のときは、青春がどうこうなんて考えもしなかった。

青春はきっと大人になってから輝きを増すもので、その最中にいるときはなかなか自覚できない。今日見かけた彼女たちも、まさか自分達のお喋りが誰かの目には眩しく映っていたなんて思ってもないだろうな。

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