片恋と友情
「過去に好きになった人、絶対に付き合いたくない人か、絶対にわたしのことを好きにならないような人だから、総じて好きじゃないと昔の日記に殴り書きしてあった」と1年前の自分がTwitterに書いていた。どうでもいい話だけれど、それを日記に書き、Twitterに書き、今度はnoteにも書くという。それほどには、自分の中で引きずってるテーマなのかもしれない。
誰かとお付き合いすることを恋愛経験と呼ぶのなら、わたしはめちゃくちゃ恋愛経験が少ない。とはいえ、少なからず「この人好きだなあ」と思ったことはこれまでに何度かある。ただ友情よりも少し踏み込んだところ、恋愛感情寄りで好きだと思う相手は決まって「付き合ったら絶対うまくいかないだろうな」とか「絶対付き合いたくないな」という人だった。だから、好きな人に告白したことは一度もない。かと言ってそういう相手から好かれることもないわたしは、結果的に「好きだなあ」から恋愛関係に発展しない人生をずんずん歩み続けている。
恋愛のゴールが「恋人になること」とするなら、わたしの“好き”はそこに辿り着かないようにコースをひたすらぐるぐる歩き続けるようなもので、頑なにゴールを目指さない謎のバグが生じているのだった。でも、最近は自分なりの“好き”もそういう人生も悪くないなと思っている。
そういう好きを告げず、付き合いもせずにいられたら、関係は壊れない。付き合ってからのギャップに苦しむこともないし、浮気がどうこうとか心配しなくて済むし、いつか来る生き別れか死に別れに際して覚悟を決めることもない。自分の好きを肯定してプライドを守るためなら、そうやってネガティブで説得力に欠ける言い訳までできちゃうなんて、我ながら情けないけれど。
少なくとも、表には出せない“好き”の気持ちを、自分はなかなかに気に入っている。それに何より、太宰治も『チャンス』で「そうして、片恋というものこそ常に恋の最高の姿である」と書いているのだから。この言葉にはとても勇気づけられた。
そして不思議なことに、恋愛も友情も「対人」であることは変わらないのに、なぜか自分にとっては、恋愛(付き合う)=いつか生き別れか死に別れるんだ、という意識が強い。恋愛より友情の方がずっと続くような気がしてしまう。
今から6年くらい前、大学4年生の頃、留学先のデンマークで親睦を深めたフランス人の女性がいる。わたしは「フォルケホイスコーレ」という学校と寮が一緒になったような教育機関に生徒として滞在していて、そのフランス人の友人はボランティアスタッフだった。
学校で行われた夜の交流パーティのときだったか、スパイス・ガールズの「Wannabe」という曲を一緒に口ずさんだのを覚えている。
If you wanna be my lover
You gotta get with my friends
Make it last forever
Friendship never ends
Spice Girls『Wannabe』
もし私の恋人になりたいなら、私の友達ともうまくやってね。友情は終わらずにずっと続いていくんだから。そんな意味の歌詞。
パーティの夜、彼女はわたしと目線を合わせて「Friendship never ends」のフレーズを歌ってくれた。ノリノリな曲調も相まって、そのときばかりは無敵で最強な気持ちがした。自分達の友情も、ずっと終わらないんだって思えた。
わたしの一方的な好きの気持ちは、この曲を歌ったときの、友情はずっと終わらない(と勝手に強く信じている)感覚と近い。たとえいつか好きの気持ちが変わったとしても、関係は変わらないし、好きだった気持ちも綺麗なまま自分のなかに残る。
「友情は永遠に続くもの」とは言い切れないけれど、やっぱり友情や片恋には、終わりを感じさせない凛とした美しさがあるように思う。それなら、恋愛関係はなんだろう。もっと儚い美しさか、それとも、その先の平凡な日々を愛して楽しむような何か。考えてみたけど、そもそもわたし恋愛経験少ないんだった。
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