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エッセイ

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#脳脊髄液減少症

『ヒトの心』目に見えるものと見えないもの

『ヒトの心』目に見えるものと見えないもの

難病寝たきりピアニストの私は思う。
『何もしていない。症状がきつくて耐えていただけの日』と、
『ピアノを弾けた日』があったとする。

客観的に見ると『ピアノを弾いている方』が頑張ってるように見える。
でも実際は『何もできずに耐えている日の方がずっと頑張っている。』

目に見えるものと見えないもの。ただそれだけの違い。

言うか言わないかの違い、やるかやらないかの違い。
知ってもらいたいと思うか、知

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何年も難病寝たきりであるということ

何年も難病寝たきりであるということ

何年も難病寝たきりであるということは
時が経つにつれて『寝たきりピアニストの私しか知らない人に出逢う』ってことで、それを素晴らしく思えるような生き方ができたならいいな。
『昔は良かった』と言うのは簡単。
『今が最高』と言うのは簡単なことではないけど、『言える』時ができたなら、それは『最高』

あまりに長い間、難病寝たきりで生きてきたから、元気だった頃の自分が『どんな人間で、どんなことをして生きてき

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過去、全部捨てちゃったら未来しかなくなった

過去、全部捨てちゃったら未来しかなくなった

過去、全部捨てちゃったら未来しかなくなった話

私は5年前に事故で脳脊髄液減少症という難病を発症し寝たきりになってから作曲家・ピアニストに転身という珍しい生き方をしている。

しかも何年経っても病気が治ることなく手術治療もうまくいかず、病気が治るのを待たずにこの寝たきりの状態でピアニストになってしまった。

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毎年七夕が来ると思い出すこと〜色あせない七夕の思い出〜

毎年七夕が来ると思い出すこと〜色あせない七夕の思い出〜

私が脳脊髄液減少症で寝たきりになり、激しい吐き気や頭痛で、全く食べることも飲み物を口にすることもできなくなり、絶対安静と24時間の持続点滴で1ヵ月近く入院していた時のこと。

体重は40kgを切り、毎日38度位の熱が続いた。

生き地獄の中で息をしていた。

正直なところ、生きているという感覚がなかった。

毎日天井ばかり眺めては、動かなくなった身体に絶望しては泣いていた。

そんなとき、「希望ち

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妹からの贈りもの

妹からの贈りもの

私には3つ年下の「いい意味でとんでもない妹」がいる。

まず、頭がめちゃくちゃ切れる。
私が小学校5年生で学校で割合の計算を習っていたとき、
それにつまずいて四苦八苦している私の姿を見ながら、
当時2年生だった妹はどや顔ですべての問題に瞬発で答えてきた。
暗算能力が桁違いだ。
悔しくてめちゃくちゃ泣いていた覚えがある。母は妹がすごいのと、私が悔しくて泣いている姿に笑っていた。
割合の計算を習っても

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謎の草

謎の草

堂々とそびえ立つ1本の謎の草がある。そいつはいつもベランダの私の枕元にいる。

そいつを植えた覚えも、種をまいた記憶もない。水をやったり肥やしを与えた記憶もない。ただ気づけばそいつが私を見下ろしていた。

全く世話をしていないのに、どこからともなく種がやってきて、勝手に大きく育った。

そして、堂々ととてつもなく凛々しく、ただ空だけを見つめて、定規で描いたかのようにまっすぐと太陽の方へと上だけを見

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