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『ブルーシート』舞台評 (飴屋法水作・演)『テアトロ』 2016年
詩的モダニティの舞台 飴屋法水が現代美術の現場から舞台芸術の場に再び戻ってきた2000年代の中頃だろうか。彼の作る舞台芸術の作品の所々には、強くリリカルな部分が現れている。たとえば『転校生』のときに使われた、空間を常に満たし続けた時間を知らせる電話時報の音。それは、その場だけに成立する時間の瞬間性を際立たせた。『転校生』の舞台に立ったのは、実際の高校生たちだった。彼/彼女たちが卒業するまでゆるされ
もっとみる「家が語る物語」 『パレスチナ・イヤー・ゼロ』舞台評 『テアトロ』 2018年1月号
ノルタルジーとセンチメンタル 家が舞台において、物語を紡ぐための主要な要素となることは数多くある。そこにはいくつかの理由がある。
ひとつには家というものが持つ時間軸が基本的に長いこと。日本に限らずとも、かつての家族モデルと比べれば、現代の家族をめぐるライフスタイルは大きな違いがある。現代の都市空間における家というものの位置も多様だ。しかし、それでも多くは幼少期から大人になるまで「実家」と呼ばれ
「りっかりっか*フェスタ 2018」 アートの公共学(12) 『テアトロ』 2018年11月号
子どものための演劇 いまや二十代ぐらいまでの世代に、子どものころに観た舞台で印象に残っているものを聞くと、だいたいはミュージカル、とくに劇団四季の名前が挙がる。小学校や中学校の団体鑑賞で劇団四季を観に行ったことはもちろん、子どもの頃に地域の市民ミュージカルを観たり、実際に参加したりと、演劇といえばミュージカルのことだと思われるようになってきた。
『ラ・ラ・ランド』のような映画のヒットも大衆化に
「喜劇のバリエーション」 KERA CROSS【フローズン・ビーチ】 MONO【涙目コント】 りっかりっか*フェスタより、エル・パティオ・テアトロ【ア・マノ】 『テアトロ』 劇評 2019年10月号
よく語られることだが、悲劇には「誕生」もあれば「死」もある。では喜劇はどうか。相対的に悲劇に比べて喜劇論が薄いとはよく言われるが、古代ギリシャ喜劇に遡れば、それは風刺であり、為政者を嘲笑し、なかば命がけで批判するものであった。もちろん、悲劇がその後で様々なバリエーションをもったように、喜劇もまた多様なものだ。少なくとも古代ギリシャ喜劇とは違う質のものが生まれた。
そんなことを強く感じる二本を
「森の直前の夜にたたずむ人」 『森の直前の夜』舞台評 (ベルナール=マリ・コルテス/佐藤信、笛田宇一郎) 『テルプシコール通信』 2019年7,8月 No.173
コルテスには人を感化させる力がある。いや、正確にいうと、そのエクリチュールにあるというべきだろう。バルトの『エクリチュールの零度』にあるように、エクリチュールとは、単なる言語や文体を指すものではなく、それらが囲う制度をこえるべく、自由さへの機能としてある。むろん、日本語に翻訳された場合、それは翻訳のエクリチュールとも関係する。
では、それが舞台で上演されたとき、どうなるのか。俳優がエクリチュ
「山下残の方法」 『悪霊への道』舞台評 『テアトロ』 2017年5月号
問われる国際共同制作の作品 いわゆる国際共同制作で作品を作ることの難しさは、今までもさんざん議論されてきた。異なった文化体系で作品を作るとはなにか。国際という名前がつかなくても異なったものを集めて作品を作るだけならば、同じ文化圏でも無数にある。それは見慣れているから気づかないだけだ。たとえば、時間軸の差として能などの古典芸能と現代演劇はどうなるのか。日本的な感覚(という雑駁な言い方が許されるならば
もっとみる『スヴァールバル〜種子の方舟』 舞台評 (豊島重之/モレキュラーシアター) アオモリ/トーキョー アートのポリティクス 『テアトロ』 2015年5月
モレキュラーシアター 『スヴァールバル〜種子の方舟』公演について 青森県立美術館で『青森 EARTH 2014』という企画展が行われた。二部構成で成り立つこの企画は、第一部が「追悼・豊島弘尚 彼方からの凝視」、第二部が「縄目の詩、石ノ柵」となっている。一部は八戸生まれの画家、豊島弘尚の作品を「頭部」「故郷」「地図」「縄文」「暗黒」という言葉によって、作歴順にまとめたものだ。二部は、吉増剛増、村上善
もっとみる「オイディプスはわれらの同時代人」 『オイディプス王』、『ガリバー旅行記』舞台評 (ルーマニア、ラドゥ・スタンカ劇場) 『テアトロ』 2016年9月号
なぜかしら、ここ最近ギリシャ悲劇の上演がよく目にとまる。もちろん、これは統計を取ったわけではないので、たまたま上演されているギリシャ悲劇の作品が目についたというだけの話だろう。これまでだって折にふれて目立った上演はされている。しかし、ギリシャ悲劇が上演されていることを、状況と重ね合わせながら認識せざるを得なかったことも確かだ。
たとえば、東日本大震災が起こってからしばらくの間、『アンティゴネ