『スヴァールバル〜種子の方舟』 舞台評 (豊島重之/モレキュラーシアター) アオモリ/トーキョー アートのポリティクス 『テアトロ』 2015年5月

モレキュラーシアター 『スヴァールバル〜種子の方舟』公演について

 青森県立美術館で『青森 EARTH 2014』という企画展が行われた。二部構成で成り立つこの企画は、第一部が「追悼・豊島弘尚 彼方からの凝視」、第二部が「縄目の詩、石ノ柵」となっている。一部は八戸生まれの画家、豊島弘尚の作品を「頭部」「故郷」「地図」「縄文」「暗黒」という言葉によって、作歴順にまとめたものだ。二部は、吉増剛増、村上善男、松江泰治、菅谷奈緒などの複数の作品によって構成される。

 その関連企画として、八戸の劇団、豊島重之が主宰するモレキュラーシアターの公演『スヴァールバル〜種子の方舟』が行われた。これは、一言でいえば、イメージの作用を、理論と実践で結合するものよりも、同一平面上で提示する試みだ。むろん、いままでのモレキュラーの方法は踏襲されている。しかし、ここには新たな思索も含まれた、野心的な萌芽があった。

 いくつものテキストの断片の集積によって、作品は構成される。青森の風景を撮り続けた写真家・小島一郎について述べたもの、ディディ=ユベルマンのアウシュヴィッツを撮った写真についてのテキスト、倉石信乃が書いた広島の被爆者たちを直後に撮った松重美人の写真について。もちろん、豊島重之の書いたテキストも含まれる。そこには、写真というイメージを切りとる平面の芸術もしくは絵画から、舞台へと芸術の形態の問題設定がある。

 そこから、それらが持つイメージの作用とは何かが問われるのだ。あるものの実像を示すことが、不可能であることを謳うのはたやすい。しかし、かといって、不可能であると言うだけでは、生産的な言説とは言えないだろう。少なくとも、表象不可能という立場に安住するだけでなく、不可能性の先を見据えること。ディディ=ユベルマンが書く『イメージ、それでもなお アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真』は、不完全なイメージであれ、それを補完していく言説の可能性と重要性を説く。

 アウシュヴィッツを撮った残された四枚の写真。それは、極秘裏に撮られたこともあり、不鮮明で、なにがそこで起こっていたのか、さまざまなコンテクストとキャプションをつけない限り、読み解くことは難しい。しかし、だからこそ、そのイメージの断片から、かつてそこで起こっていた出来事を類推する作業は重要となる。派生するイメージを生み出すきっかけとして、写真があるのだ。たとえば、そこにプリーモ・レーヴィのような生き残ったものたちの証言を組み合わせたらどうか。そこから生まれるイメージは、表象の可能性を語るものではなく、その過程と言説の空間が生まれる。

 むろん、これについては、すでに『ショアー』を撮った映画監督、クロード・ランズマンとの間で名高い論争が行われたことで知られている。ランズマンの大作『ショアー』は、あくまで残った者たちの証言によって作られる。表象は不可能であることが前提なのだ。

 表象は可能か、不可能か、この対立項だけでは永遠に解決のつかない問題だろう。それは時に、各々の立場の違いともなる。しかし、それを斜めから視ることによって、別の見方を思考することが、今作のモレキュラーシアターにはある。

 舞台ともいえないような、観客席の上に並行に設えられた三本の道。それぞれの道にパフォーマーとプロジェクターがある。舞台上には、シンポジウムの列席者などが、まるで終わった後のシンポジウムにのぞむかのように、すでに並んでいる。観客は観客席に座るのだが、舞台上の列席者を俳優たちとして見ているのかもしれない。また、同時に観客席のパフォーマーたちも見上げる構図となる。しかも、観客が入場するや否や、パフォーマンスは始まる。それは、何が起こっているのか把握することもしづらく、戸惑いの中に観客を放り込む。まず、小島一郎についてのテキストが流れ、三人のパフォーマーがもつプロジェクターは、四方の壁へと関連する映像が投影される。それは、時に複数の画像が重なり、重層的なイメージの層ともなる。最初は、青森を撮った写真というイメージが投影される中、録音された音声によって、関連するテキストが読み続けられる。

 それが、突然、豊島重之の司会によるトークによって遮断される。それは、シンポジウムと言っていいのかどうかも分からない。登壇者たちもまるで、舞台作品の一部として投げ込まれたようなのだ。その意味で、その列席者たちも起こりつつある展開がわからず、とまどいのなかにある。シンポジウムの参加者は佐々木敦、石川千佳子、高橋宏幸。つまり、私もまたその中にいた。そして、映像で倉石信乃もトークに参加している。シンポジウムのように司会的な、もしくは演出家としての豊島が質問をパネラーにして、それに答えるということでは、普通のシンポジウムかもしれない。内容は、それこそ豊島弘尚の絵画の展示について、絵画と舞台という境界線上とはなにかなど、多岐にわたる。

 ただし、そのシンポジウムも突然中断される。再びパフォーマンスは強制的に始まるからだ。録音されていた今まで流れていた音声のCDがシュレッダーにかけられて破棄される。そして、次のテキストが流れ出す中、パフォーマーたちが一方向へとプロジェクターとともにゆっくり歩き、ときに痙攣的に、倒れたり、もがいたり、踊るとまではいえない動きをする。テキストは、ユベルマンのアウシュヴィッツを撮った写真についてに変わる。この中断に継ぐ中断、パネラーの話も同じ内容が再開するときもあれば、そのまま次の場面へ転換して置き去りにされもする。トークは、否が応でも、その話自体がイメージ化された断片になる。それは、パネラーもまた、観客同様に戸惑い、いびつな空間のなかにいるのだ。しかし、それこそが、作品のある狙いであると徐々に舞台が進むにつれて分かってくる。

 プロジェクターから投影されるイメージの断片、ある方向へと歩き続けるパフォーマー、これらは避けられない運命、アウシュヴィッツのガス室でも原子爆弾が投下されることなど、それらを暗示しているかのように映る。しかし、かといって、そのように生まれたイメージに耽溺することもできない。常に、パフォーマンスもまたシンポジウムによって中断され、シンポジウムもまたパフォーマンスによって中断される。その相克する関係とでもいうべきものが、単純な物語化される言説を拒否するのだ。これ自体が、それこそユベルマンが語るような、イメージをもとにした言説空間、類推や想起を促すための場へと変化する。実際、パフォーマーたちは同じ場を歩きづけるのではなく、三つの道のような舞台を順番に変わりながら歩く。最後には、パネラー同様、舞台上の席に列席して、自分たちが行ってきたパフォーマンスそのものを見るかのような、客観視する視点をもつ。

 だから、ここには、イメージによって作られる言説を慎重に扱う方法がある。むろん、写真というイメージの断片は、つむぎあわされる言葉たちによって、より鮮明な意味をもつ。キャプションを必要とするといってもいい。それは、星座のごとく紡がれる。今回のテキストたちの場合は、とくに死者たちの言葉を、写真を通して組織する言説となる。それはあくまで生きている者たちからの視点によって構成される。しかし、メタフォーであれ、死者たちはときにその言葉自体を拒絶する。それは生きている者たちの視点からの回収を拒否するといってもいい。

 いわば、パフォーマーたちの身体が、死者を模しているならば、パネラーたちが語る言葉が、それについて思考しようとしても、常に反省や内省を要求されるのだ。目の前で現れる死者たちの言説と身体、そしてそれを語ろうとしても語りきれない言説。批評的な言説自体もまた、常に再考を求められる。これは、その意味で、理論から作品という実践の場を作るのではなく、理論的な言説と実践という場を同一の平面で置き直す試みであった。それは、批評という言説空間にとっても、また実践者たちにとっても、新しいフレーズを生み出していたのではないか。

 実際、舞台の終わり方も唐突なものだ。どのようなタイミングで終わるのか、時間が来たから終わったのか、テキストが一通り読み上げられたから終わったのか、それはパネラーとして参加していた者も、とうぜん観客もわからない。唐突に豊島重之の終わるという宣言によって打ち切られたのだ。いわば、作品そのものも何ものへの回収を拒んでいるようなのだ。

 もちろん、これは展示の関連企画である分、豊島弘尚の絵画とも関係するだろう。天井の高い巨大な空間に、贅沢に堂々と並べられた晩年の暗いイメージの作品群のなかにでも、わずかに光る光明のある絵画たちは、死者たちの視線からつねに照り返される、生きている者たちの位置を導き出そうとしたようにも、このパフォーマンスを見た後では映る。その意味で、絵画展からも、絵画展にも相互に影響を受けながら、この作品は作られているといっていいのではないか。

 なにものにも回収されない死者、しかし、かれらは常に私たちにイメージを与え続ける。記憶と想起のための言説空間を生み出すために。


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