「山下残の方法」 『悪霊への道』舞台評 『テアトロ』 2017年5月号

問われる国際共同制作の作品

 いわゆる国際共同制作で作品を作ることの難しさは、今までもさんざん議論されてきた。異なった文化体系で作品を作るとはなにか。国際という名前がつかなくても異なったものを集めて作品を作るだけならば、同じ文化圏でも無数にある。それは見慣れているから気づかないだけだ。たとえば、時間軸の差として能などの古典芸能と現代演劇はどうなるのか。日本的な感覚(という雑駁な言い方が許されるならば)からすれば、それは完全に異なっているものであり、むしろ実験的な作品だ。しかし、より見慣れていない人、いわば能のイメージがない人にとっては、同じ文化圏の作品として捉えられるだろう。

 たとえば、1990年代の一時期ニューヨークで注目を浴びたミックスド・カルチャーの形態を持つ作品たちは、批判にも晒された。それは、ときに異なる別の場所の地域文化を暴力的に自分たちのスタイルに搾取しているのではないかと思われたからだ。もちろん、優れた作品はそれをくぐり抜けて、むしろニューヨークという固有のものへと変質させている。しかし、アメリカという場所は、力学的な関係としては圧倒的な強者であることは免れない。

 2月に上野のストアハウスが招聘したタイと日本、インドネシアの国際共同制作と銘打った現代演劇『オーシャンズ・ブルー・ハート』も仮面や影絵、伝統音楽を使った作品であった。それは音楽を含めて、日本の側から見るとタイの古典芸能が入った、タイの現代文化そのものだと見えるのではないか。しかし、彼らにとってはおそらく能と現代演劇のように、異質なものをいくつも含み込んだコラボレーションとして作ったものだ。成功しているかはここでは問わないが、異なったものを現代の作品へと昇華しようと試みたものだ。

 これから述べる作品にも関係するだろうが、最近の国際共同制作の作品の作り方は、以前に比べて、少し方法が変わってきている。その手つきとでもいうようなものが違う。かつてならば、国際共同制作は、二つの文化をどのように一つの作品にまとめるかという問題が大きかった。それぞれの背景を尊重すると統一感がなく、片方に引きつけると共同の意味がなくなる。どのような過程を経るにしろ、最後は演出が作品として成立させるために、ややもすると強権的にまとめざるを得ない。そして、その方が作品としての緊密さとしての強度は増すことになる。

 しかし、ここ最近の共同制作は(特に助成金の関係だろうか東アジアや東南アジアで行われるものが非常に多い)、その文化の「間」で作品をいかに作るのかに腐心しているように思う。いわば、演出家の色がどこかで後景に退くようにあり、あえて言えば、それぞれの背景を持ったパフォーマーたちの身体や文脈を、配置や並置することに近づいている。もちろん、ただ並べればよいというわけではない。それぞれの異質な背景を提示するときに、単にその表象をなぞるのではなく、その舞台で生起する現象へと変えること。まれに見る優れた成果を残す舞台は、そのようなものだったのではないか。

山下残 『悪霊への道』

 その例として一つあげてみたい。この作品も単なる国際的なコラボレーションとは呼べないからだ。毎年2月に神奈川芸術劇場やバンカートを会場の中心に行われる、TPAM(国際舞台芸術ミーティング in 横浜)という舞台芸術のためのミーティングや様々な作品を上演するプロジェクトがある。おそらく今年のTPAMの催しとしては、長蛇の列が出来たようにタイの映画監督であるアピチャッポン・ウィーラセタクンの作品が最も注目を集めたものだった。

 しかし、ここでは山下残の作品『悪霊への道』をあげたい。この作品自体は、バリ舞踊をモチーフにしたものだ。ただし、バリ民族のダンサーとのコラボレーションではなく、バリ在住で日本人のバリ舞踊のダンサーと山下残が舞台に立つという趣だった。バリ在住の女性ダンサーは、おそらくバリ舞踊のプロフェッショナルの人なのだろう。その人との対話的な形式や身体の位相を交換するように、バリ舞踊とは何かということが語られていく。

 彼女は舞台の上手と下手を中央で横切る細長いスクリーンの後ろでゆったりと踊っている。観客はスクリーン越しに彼女を見ることになる。もしくは時にカメラがフォーカスされて、細やかな動きがクローズアップで映し出されたり、ときにその動きは影としてスクリーンに映されたりする。それは影絵のように、神秘さを保ち、舞台の印象を作る。山下残は、観客にほぼ見える位置の前面にいる。その身体はバリ舞踊を踊っていても、まるで逆ともいえるものになる。同じような動きをしても、バリ舞踊のものとはどこか違う。ダンスのレベルの上手い下手ではなく、その違いは文化の差異そのものと言えるだろう。ただし、なぜそのような印象を受けるのか、二人の対話で説明されていくことによって初めて納得できる。

 たとえば、身体の動きを真似るよりも臓器の位置を感じること。コンテンポラリーダンサーが概して古典的な舞踊を習うときに動きすぎてしまうこと。関節や動きなど細かなことまで話されると、それは技術として合理的に理解できるものとなる。単に神秘的なものへと囲まれない。

 バリがアルトーをはじめ西洋によって発見された、批判的に言えばエキゾチシズムとしてあるだけではないこととして、その神秘さは細やかな身体の動きや型、重心、骨の位置まで意識した動きなど、それらの動作の意味を含めたものの上に、はじめて成り立っている。古典舞踊における物語や動物を模した動きなど、身体の動きや型にまで話は言及される。ひいては、バリの舞踊からバリの文化そのものを語ることに繋がっていく。トランスするような舞踊であっても、その前提があるのだ。だからこそ、それは豊潤な要素をもった舞踊となる。

 また、スクリーンには字幕があり、二人がスカイプで話しをしたりする模様が流される。英語と日本語字幕の両方は、話している内容を伝える以外にも、話し合いそのものが重要な作品の要素となることを伝える。実際に山下残がバリのダンスの動きを習うことだけなら、単なるバリ舞踊のレクチャーだろう。その背景まで話していくことにより、より具体的な肉付けをする。スクリーン以外には何もないシンプルな舞台で、構成も同じくシンプルなものだが、そこには多くの言葉やイメージが転がる。

 もちろん、バリ舞踊をモチーフに山下残が作っていることだけでは、これを国際共同制作と言えるか、ということはあるかもしれない。しかし、彼がバリに滞在して作品を作るということ自体が、もはやそこで異質なものに自分がなっている。バリ舞踊のコミュニティにとって、コンテポンラリーダンサーの山下は異邦人だ。むろん、山下本人にとってもその空間は異なった文化体系の場所だ。バリ舞踊のダンスについて、コンテンポラリーダンスという文脈で作品を見ることは、異質なものとの共同作業であることは間違いない。

 その意味で異なったものの「間」に立つとはどういうことなのかは、作品を通して考えさせられる。この作品は、バリ舞踊かコンテンポラリーダンスのどちらかに引きつけるものではない。先ほど述べたタイの作品では、古典芸能として仮面や音楽があった。確かに多種多様なものがちりばめられていた。しかし、それはあくまで現代のパフォーマンスにされている。

 山下の作品はそれとは違う。何もちりばめられる要素はない。むしろ、そこに分け入ろうとした中で、そのものを提示する。いわば、強い演出家として何かをまとめたり、自分のスタイルの中に異質なものとしてのバリ舞踊を落とし込んだりはしない。何か異なるものを知るためには、当たり前だが、まずはそれに倣うしかないのだ。だから、多くの国際共同制作の作品、特にダンスの場合は、それぞれのダンスを披露して、お互い真似て、鏡像段階のように交互にやり会うことを作品にしようとする。ただし、この山下の作品はそこからさらに一歩踏み込んでいる。

 確かに、緊密感があり、強度のある作品ではないが、むしろそのような演出を拒否するように、ゆるく空間を構成する。そして、そこに異質なものを提示する。それは異なった身体を単に陳列することとは違う。むしろ、ゆるくすることによって、初めて異質なものたちを空間に置くことが可能となる。いわば、空間の雰囲気で包み込むのだ。だから、そこで行われたことは、他者なる文化同士が生み出す現象とは何かを細かく知ることに繋がる。

 強い演出として強度のある作品は、バリの舞踊の一端をかじった、コンテンポラリーダンスのためのネタにしたと言われるかもしれない。バリの文化や歴史、コミュニティにコンテンポラリーダンスが介入することは、やはり暴力的に映る場合もある。実際、バリ舞踊の人々は自分たちをモチーフに何も作品が作られることを望んでいるわけではないだろう。だから、どこかにイニシアティブを持って、作品としてまとめ上げるよりも、より対象化されたものとしてのバリ舞踊の形式と含まれている内容を、聞いて、実際にやって見て、それを提示して、さらなる化学反応として何らかの現象が生まれるようにする。その手つきは興味深い。


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