見出し画像

ヤドカリ放浪記2024〜郷照寺-屋島寺編〜

3月2日
AM3:10
道の駅恋人の聖地うたづ臨海公園

草木も眠る丑三つ時に目覚めた深夜
寝るに眠れなくなんやかんやとして夜明け前を過ごす
五時過ぎには再び眠くなり床に就いた筈…
AM7:48
起床

空気を読まない朝からエンジンをガンガン掛ける車が隣に停まり、その騒音で目覚めた
キャンカーが朝、道の駅に停まってるんだから寝てると気を使わないかね普通…
でもお陰で寝過ぎず起きれたから良しとするw
AM8:04
郷照寺

四国霊場第78番礼所
山門前には開運大吉地蔵が祭られる
釣り鐘は此又戦争の鉄回収から逃れた貴重品
元祖千枚通しの販売に厄除け大師と人気を誇る寺院
万躰観音洞なるお堂があったが背筋がゾクゾクしたので拝観拒否
女性の守護神淡島明神を祀ってたり狸を祀る常磐明神があったりと意外と見応えある
そう言えば朝、中学ん時の同級生の常磐の夢見たわw
庭園が無料で観れるけど大した事無かった
AM8:28
淨泉寺
閻魔堂に四国一の閻魔大王像
真ん中の閻魔様の脇を固めるのは小さな閻魔様…
閻魔ファミリーだったのかな?
AM8:46
丸亀城

足利幕府の管領であった細川勝元が讃岐の国守だった時に標高66mの亀山に築かれたが始まりの平山城
1597年、生駒親正が讃岐17万石を与えられ高松城を本城とし亀山に支城を築き1602年に六年の歳月を要しほぼ現在の城郭が完成
1641年、山崎家治が肥後国より5万石で入封し丸亀藩が立藩
1658年、播磨国より京極高和が6万石で入封
以後明治時代迄京極氏の居城となる
そんな別名亀山城とも蓬莱城共呼ばれるこの城は総高60mの石垣は日本一高くて三の丸石垣だけでも一番高い部分は22mあり石の城と形容され石垣の名城として日本百名城の一つに選ばれている
現存三重天守の中で最も小規模な天守閣は現存する木造天守十二城の一つである
そんな名城を観てまわる♪
AM8:53
大手門
1670年に完成した内堀の北側中央部に位置する正門
城内側の櫓門の一の門、堀端の高麗門の二の門が桝形を経て続いて構えている
一の門は楼上に太鼓を置き城下に刻を報せてた事から太鼓門共呼ばれている
AM8:55
うちわ工房竹
丸亀城内観光案内所
何気に入ったら天守閣入館割引券貰った
その名の通り団扇を手作りしている
時間が合えば団扇製作をしている所に立ち会える
AM8:57
見返り坂
大手門から山頂に向かう山道
此処から石垣の美しさを観ながら城内を散策出来る
三の丸北側の石垣は丸亀城の石垣の中で最も高い20m以上の城壁が続く
隅角部の石垣は算木積された美しい曲線美で扇の勾配と呼ばれている
う〜ん実に美しい
AM9:00
三の丸
本丸・二の丸を巡る平場
三ヶ所に隅櫓があり、その一つ戌亥櫓は明治2年の藩邸火災の時に焼失
火災で焼けた跡が今も石垣に残っている
また月見櫓跡からは讃岐富士と呼ばれる飯野山が見える
更に井戸もあるが現在は空井戸
AM9:01
二の丸
山上で二番目に高い曲輪
本丸同様石垣上に隅櫓や多聞があった
AM9:04
本丸
山上の最高所に広がる最重要エリア
此処に現存木造天守十二城の一つが建っている
他にも隅櫓・多聞・土塀が石垣上に巡っていた
AM9:05
天守閣
3層3階の現存木造天守
この天守は四国内で最も古く1660年に完成した日本一小さな現存木造天守
館内は城主であった京極高和・高豊・高朗の掛軸や変わり兜の展示

城下町古地図等も展示
二階には名城の写真展示
三階は何にもない
江戸時代の木造建築を目の当たりにして軽く感動した
そんな丸亀城でのひと時♪
AM9:34
つづみ

本格手打ちうどん屋
とり天ぶっかけや海鮮ぶっかけ・てんこ盛ぶっかけ等がある
全部のせ天ぷらぶっかけやトンカツぶっかけ・豚キムチぶっかけなどぶっかけシリーズはとどまらないw
他にもしょうゆシリーズや釜玉シリーズ、つけ麺シリーズとバラエティ豊富
あたたかいうどんシリーズにはあさりバターうどんなるチャレンジ的なメニューもある
まぁ〜俺は普通にかけうどんと無難で攻めたw
そして生醤油うどんの冷、生卵トッピングで頂く♪

ちなみにモーニングサービスとしてうどん一杯に対しておでん又はおにぎりが一つサービスである
うん、旨かった♪
AM10:40
天皇寺

四国霊場第79番礼所
白峰宮の参道を横切り本堂参拝
もうここら辺になると御詣りしている人は顔馴染みばかり
同じペースで巡ってるって事
AM10:49
白峰宮
崇徳上皇は1156年、讃岐国へ配流され1164年に崩御する迄の9年間を讃岐で過ごす
上皇の崩御後、遺体を清水に浸しておいた所、神光が輝いた事から二条天皇の宣旨を受け1164年に造営される
後嵯峨天皇の時代には荘園などが施入され江戸時代には崇徳天皇社野沢井宮・崇徳天皇明の宮などと呼ばれ摩尼珠院と一体の存在として四国八十八箇所の79番札所にあった
摩尼珠院は弘法大師創建と伝えられ崇徳上皇も訪れ崇徳天皇社が創建されてからはその別当となり天皇にゆかりの深い寺という事から天皇寺と称する様になった
併し明治の神仏分離で崇徳天皇社は白峰宮となり摩尼珠院は廃寺とされた
そんな歴史のある神社
因みに通常の鳥居の左右に小さな脇鳥居のある珍しい神社
AM11:14
国分寺

四国霊場第80番礼所
松生え並ぶ境内
ミニ八十八ヶ所巡り・千体地蔵堂・さぬき七福神
四国最古の釣り鐘で重要文化財の銅鐘と意外と見応え一杯の寺院

福龍なる霊木はこの地で本尊の千手観音を攻防一緒に見守る事にある
ちなみに弘法大師がこの寺に訪れた時、本尊の千手観音像の損傷をみて観音浄土に祈り、天より降り授けられた霊木で御本尊を直したらしい
この霊木の残りが福龍であり、その姿はまさに龍

大師堂の下にも千体地蔵が祀られており、一巡すれば祈願成就だとか
PM0:00
神谷神社
祭神に火結命・奥津彦命・奥津姫命の三柱を祀り相殿神に経津主神・武甕槌神・天児屋命・姫大神の春日四神を祀っている神社
本殿は国宝
空気が違うわ〜
素晴らしいパワースポットです♪
PM0:22
白峯寺

四国霊場第81番礼所
高所にあるせいか神聖な区域だからか此処も空気の違う心地良い寺
一つ一つゆっくりと参拝する
穏やかな時間が流れる
PM0:38
崇徳天皇白峯陵
平安時代末期、天皇の位を巡る争いに敗れ讃岐国へ配流された
自分の書き写したお経だけでも都の寺に納めたいと願った崇徳天皇だが此を都に持ち込む事を許さず送り返された
その事で深い怨みを持ち悲しみのうちに亡くなったという崇徳天皇
天皇の死後数年経ったある日、生前から親しかった西行法師が訪れた時には天皇の御陵はまだ土を小高く盛上ただけの粗末なものだったらしい
西行法師は一晩中お経をあげ天皇の霊を慰めていると突然稲妻が光り、怨霊となった天皇が現れ怨みを述べ綴った
西行が説得すると天皇の霊も表情を和らげ姿を消したという
そんな伝説が残る御陵
すぐ横には稚児滝が流れる
上の方から観て満足する
PM1:05
根香寺

四国霊場第82番礼所
讃岐五景の一つらしい
白猴欅が見事
五大明王を祀る五大堂も見事
安置されている五体の木造五大尊像は県指定有形文化財だとか
本尊の千手観音木像は国指定重要文化財
本堂の入口から万体観音がズラッと並ぶ
また漁師の網に掛かり海中より引き揚げられた龍宮地蔵尊など見応えタップリの寺院である
PM2:10
一宮寺

四国霊場第83番礼所
納経所横に水琴窟があるがなんか違う
PM2:54
玉藻公園

日本百名城の一つ高松城の跡地を整備された公園
万葉集で柿本人麿が讃岐の枕言葉に「玉藻よし」と詠んだ事に因んで高松城が玉藻城という別名を得る
1587年に秀吉から讃岐一国17万6千石を与えられ国主として入府した生駒親正が1588年から築城に着手された国指定史跡
天守閣等は残っていないが中々見応えある城跡である
PM2:56
旭門
旭橋を渡って潜る大手門
PM2:58
艮櫓
元々東の丸の北東の隅にあった櫓
北東方角が丑寅と言う事からこの名が付いた
PM2:59
桜の馬場
馬の教練をした所
かつては今の二倍程の広さがあった馬場
現在は桜の木が植えられており桜の名所になっている
PM3:01
桜御門跡
三の丸入口の櫓門
1945年に焼失
石垣には火災により赤く焼けた痕跡や地面に残る礎石には柱に使用された金具の錆跡が茶色く残っている
PM3:03
陳列館
高松城や歴代藩主に関する資料や模型・古写真が展示されている
軽くパタパタと見学する
PM3:05
披雲閣
松平藩事態に造られた建造物
藩の政庁及び藩主の住居として使われていたが老朽化により取り壊される
その後三年の月日と巨額を投じて1917年に現在の披雲閣が完成
142畳敷の大書院を始め、雅致を生かされた各部屋が設けられ昭和天皇皇后が宿泊したらしい
PM3:06
披雲閣庭園

枯山水の庭
江戸時代の三尊石や銀閣寺の手水鉢を模して造られた重さ11tの銀閣寺型手水鉢や昭和天皇と皇后の二人が大正時代に植えた松等がある
市指定の名勝らしい
PM3:12
水門
高松城の堀は海と繋がっているので潮の干潮による水位調節の為に水門が設けられた
堀には海水魚が泳いでいて鯛願成就とシャレた幟を立てている
また城堀体験として内堀を船頭さんの運転で優雅に遊覧出来る

PM3:13
二の丸
弓だめ櫓跡や文櫓跡もある本丸の外側を囲む最も重要で最後の砦的城郭
植木祭り開催中
PM3:14
鞘橋
本丸と二の丸を結ぶ高松城唯一の連絡橋
当初は欄干橋であったが江戸時代中期には屋根付きの橋になった
現代の鞘橋も忠実に再現して橋を架けられている
PM3:19
天守閣跡

生駒氏時代の天守は絵図や古文書にはよると3層だったとされる
松平氏時代に改築された天守は3層5階の唐造りで四国最大の規模を誇っていたが1884年に老朽化を理由に取り壊されてしまった
その後一度も再建はされておらず石垣のみが復元されている
PM3:29
月見櫓

北丸の隅櫓として1676年完成
外堀から出入りする舟の監視する役割を持つと共に藩主が江戸から船で帰られるのをこの櫓から望み見たので着見櫓とも呼ばれていたとか…
総塗籠造りの3層3階・入母屋造・本瓦葺で初層は千鳥破風
2層は唐破風と屋根の形を対象させて又各層の白壁に上下日本の黒塗長押を巡らせ変化をもたらしている
月見櫓に連なる薬医門様式の水手御門は海の大手門と呼ばれている
そんなこんな思いの外余り見応えの無かった日本百名城の一つ高松城
駐車場に戻るとヤドカリに興味深々のスタッフがずっと俺の車を見ていた
PM4:00
屋島ドライブウェイ
四国霊場第84番礼所に繋がる唯一の有料自動車道
610円支払います(。´Д⊂)
PM4:08
瑠璃宝の池
宝珠を本堂の前に埋め周りに池を掘った事からこの名が付いた
また源平合戦の折りに源氏軍が血刀を洗い池が真っ赤に染まったので血の池とも呼ばれている
PM4:11
屋島寺

四国霊場第85番礼所
源平合戦場・壇ノ浦を臨む景勝地に建つ寺
本堂は室町時代のもので国指定重要文化財
山門共々味のある雰囲気を醸し出している
又四国狸総大将・狸太三郎を祀る蓑山大明神が愛らしい
参拝もそこそこに折角なので屋島山上を散策してみる
併し山の上に水族館があったとは予想外だったな
時間がないから見ないけど…
PM4:22
獅子霊岩展望台
高松市内に面した断崖に獅子の頭に似た大きな岩が突き出している岩らしい
俺にはどれが霊岩なのか分からなかった…
ちゃんと説明板とか置いとけよ
又屋島城跡も見えるらしいがどれだか分かんなかった
ちゃんと説明板とか置いとけよ…orz
PM4:29
源平合戦慰霊碑
源平合戦を描いた石碑
PM4:41
屋島ドライブウェイ売店
折角なのでちょいと物色
でも何にもない
で時間が時間なので降りる
610円の通行代を払って滞在一時間未満…
もっと早く来たなら水族館にも行けたのにな〜
PM4:54
源平屋島古戦場展望所
対岸に広がる点在する合戦場
これには説明板があるんだな…
併し歴史は好きではないので軽く見て通過
PM4:57
屋島神社
讃岐東照宮
1651年初代高松藩主・松平頼重公が東照大神・徳川家康公の神廟を建立し崇敬したのに始まる
以来山王社として歴代藩主により奉斎されてきたが1804年高松藩主第8代松平頼儀公は屋島山麓において社殿の造営に着手
左甚五郎から数えて五代目・左利平忠能が松平家の客分棟梁となり1815年に完成
祭神は東照大神・頼重大神の二柱
PM5:08
エネオス屋島SS
燃料補給
愛媛に比べて7〜9円も高い…
隣なのに何故
愛媛で給油しとけば良かった…
PM5:17
クア温泉屋島

温泉と書かれていたから惹かれて寄ったら非温泉
バスクリン湯に薬用湯

チャッチャと浴びて体洗って上がる
360円で良かった♪
PM6:03
マルヨシセンター牟礼店
今宵の食糧買い出し
安く済ませる♪
PM6:26
ファミマ高松庵治町店
ちょいと寄り道
ちょっと立読み
PM6:43
竹居観音岬
四国最北端とされる岬
観音崎や竹居岬とも呼ばれている
もう辺りは暗いので最北端は翌日楽しむとして晩酌に入る
そう今宵の寝床なり岬である
波の音を聴きながらの晩酌は乙なもんである
そう言えば今宵は雛祭りでござったなぁ〜
なんか雛祭りらしいもの買っとけば良かった
とりあえず甘酒呑んどくかw
そんな雛祭りな夜
そんな城巡りと霊場巡りな一日
此で霊場巡りもラストスパート
此で四国の日本百名城はコンプリート♪
うぉぉおぉ〜メリー雛祭り ^ω^)/▼☆

よろしければサポートよろしくおねがいいたします クリエイターとしての活動費にしたいと思います