見出し画像

断片的な自己紹介|ヒロ(2023)

はじめまして、蓮池ヒロです。
フォトグラファーです。雑記も書きます。海に潜ったり、バイクに乗ったりしながら、読書とポッドキャストと悠長な散歩に勤しんでます。

自身の素直さを見つめ直したり、対話したりしながら、問いの探究を続けていくのが、段々と楽しくなってきました。『秘密結社「喫煙所」』というアヤシイ集まり(会員2名)で、「答えの出ない問い」について率直に書いているので、よかったら見てみてください。

2018年から「住みたい場所で暮らす」という実験で、スペインやポルトガル、東京、沖縄、大阪など国内外を転々としており、現在地は「スペイン」です。

仕事(撮影や執筆など)や経歴のわりと真面目な話は、以下にまとめました。さて、自己紹介では何を書きましょうか。好きなものや"問い"について、なるべくスルッと読めるように書いていこうかと思います〜

最終更新日:2023年3月8日


好きなもの、こと

  • 読書
    基本は最近気になっているトピックや著者を集中して読みますが、人文書は一貫して好きです。論理性のカケラもないので、知恵比べは向いてないです。独立系書店や図書館によく行きます。自分以外に誰も使っているのを見たことがない楽天koboユーザーです。年間読書冊数は80冊ぐらい。漫画も大好きです。日本語ネイティブでほんと良かった…!

    最近の興味:アート(表現)、孤独、共感の暴力性、人類学、アジール、岸本佐知子さんのエッセイ、ブルーピリオド 、葬送のフリーレン、違国日記、アオアシ、呪術廻戦

  • ポッドキャスト(ラジオ)
    作業中は音楽かポッドキャスト(ラジオ)を常に聴いてます。お勉強的な番組はたまーに聴きますが、基本的にはその人たちなりの哲学や偏見、妄想が溢れる、人間味溢れる番組が好きです。みんなユーモアがすごい。いつか自分もポッドキャストをやってみたいのですが、2〜3人がいいので、興味ある方がいたらぜひ教えてください〜!

    人柄がバレそうなお気に入り番組:オードリーのオールナイトニッポン、マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0、佐藤と若林の3600、叶姉妹のファビュラスワールド、わたしたちのスリープオーバー、ゲイと女の5点ラジオ、ブックブックこんにちは、オムライスラヂオ、Philosophy Gives Directions、ほんじゃーにー、ポイエティークRADIO、にんげんさんぽ

  • バイク
    GSX250Rに乗ってます。とってもカッコいいと思ってます。溺愛。夏は暑くて冬は寒い。雨風を凌げず、荷物もあんまり積めない。なにより生身で危ない。効率化が進む社会のなかで、バイクとはなんと不便なものでしょうか。でも、自然の温度を感じながら走ってみると、確かに「生きてる」と思えるのです。だから乗ってしまう。暑い寒いと文句を言いながら。

  • オードリー
    リトルトゥース(ラジオリスナー)です。ほぼ毎日BGM代わりに聴いています。3600も聴きます。特に若林さんの本や言葉が好きで、常日頃から口癖のように、「若林さんは〜」と言ってます。と言いつつ、痛いファンを自覚しているので、こっそり応援しています。もはや信仰に近い。オードリー好きな方、早口で語り合いましょうね。

  • 試住
    「短期(数ヶ月〜1年ぐらい)で住みたい場所にとりあえず住んでみること」を"試住"と呼んで取り組んでます。今の自分にとっては、「住む場所を適度に変えた方が、心地よく暮らせる」みたいです。旅は好きですが、どっちかというと"暮らし"を体験したいんだと思います。個室じゃないと寝れないし、新しい環境では数日くしゃみが止まりません。それでも、試住を続けてしまう。探究でもあり、趣味でもあると思ってます。

    今までの居住地:東京、名古屋、千葉、山梨、静岡、沖縄、神戸、大阪、スペイン、ポルトガル、マレーシア、フィリピン、オーストラリア

  • 偏愛(人間くささ)
    多くの人が「普通」と括ってしまうことに対して、どこかはみだしてしまう、そのことに自覚的でありながら、それでも探究をしてしまう人が好きです。偏愛するものがあるとか、違和感に見て見ぬふりができないとか。そういう人は、どこか"人間くささ"があっておもしろいし、美しいなぁと思います。誰かが押し付けてくる「エセ幸せ」より、自分の"どうしようもなさ"みたいな人間くさい部分を愛したいし、周りのそういう部分を認めてあげたいと思っているからかもしれません。

  • その他
    ダイビング、アート鑑賞、映画とドラマ、洋楽ロック、散歩(空想しながら)、ビール(河川敷だとなおよし)、FCバルセロナ、日向坂46

わたしにとっての「写真」

何も知らない自分にとって(それは今も)、写真は「自己と外の世界を紡いでくれるもの」であった。

イスから立ち上がった瞬間に考えていたことを忘れるぐらい、記録力は皆無だが、写真は記録として残るので、いつでも見返せるので安心だ。しかも、写真を撮ることで、なぜか普段よりもそのときの感情や出来事が記憶に残りやすい。だから、写真は自分の記憶を紡いでゆくものでもある。

写真を撮るということは、"未来"に向けて記録を残したいと思い、"今"を写しておき、"過去"に撮ったものを眺めることである、なんて思ったりする。確かにそうであるような、シンプルに「なんとなく」「楽しいから」"撮りたい"と、衝動的に思うだけであるような気もする。

さらに、写真は外の世界に生きる人々と自分の境界線をなめらかに溶かしてくれた。写真を通じて友人ができたり、遊んだりできるし、知らない人との会話が生まれる。たとえ、誰かと同じ場所で写真を撮っても、撮るものは異なる。同じものを撮っても、視点や捉え方が一緒になることは決してない。自他の境界線を溶かしながら、"わたし"と"あなた"は違う人間であることを浮き彫りにするのも写真だ。

そして、写真は派生していく。やってみたいという素直な気持ちを写真は後押ししてくれる。「写真を撮りたいから」を理由にして、趣味や興味が広がっていくのが、心地よい。ときには写真のことなど忘れて、その興味に没頭したりするが、それで良いのだ。自分のなかにある"点"を自覚できることは、写真の醍醐味だ。

思えば、写真を始めたときは、ただ好奇心を満たすためにやっていた。カメラは遊ぶための道具であって、友達の顔をアップで撮ったり、山奥に星を撮り行ったりして、写真は遊ぶことであった。

しかし、仕事や表現として「写真」を活用し始めてから、写真はアイデンティティであり、揺るぎないものであると、"呪縛"のように自分に言い聞かせるようになった。アイデンティティだと固執するために、比較したり、評価に囚われたりしてしまっていた。

でも、写真を「好きだ」と思い込もうとしている自分に気付いたとき、それは果たして「好き」と言えるのだろうか。そう思ったのだ。誰かに好かれやり、評価されたりするために、なんか無理している。ただの遊びとして撮っていた、最初の頃の気持ちを蔑ろにしたくないと思った。

だから、ある時から「手綱」をゆるめてみた。義務のように持ち歩き、肩こりの原因となっていたカメラを、気が向いたとき以外は手に取らないようにした。Twitterやニュースアプリで誰かのいいねが多い写真を悔しそうに眺めるのをやめて(アカウントも消した)、気になる写真があったら、美術館やギャラリーに直接出向くようにした。

撮影枚数は減り、技術は少し衰えたかもしれないが、Webには公開できないけどお気に入りの写真が何枚か撮れたりした。なにより、気が向いたときに撮る写真は、すこぶる楽しかった。清々しかった。

写真は自分にとって、大切なものであるのは変わらないから、手綱をぎゅっと握りしめて、堅苦しくなってしまうこともある。だけど、いつだって、写真を通して世界を捉え直すことはできると思うと、ふぅっと息を吐いて落ち着けるような気がした。

最近は些細なことを記録しておきたいと思って、どしどし撮るようになってきた。また変化はしていくんだろうけど、次はどう外の世界と繋がるのか、少しだけ期待しながら過ごしている。

「書くこと」は海に潜ること

大丈夫です。エモエッセイは始まりません。ライターとして文章を書き始めたけど、正直、文章に対して何の思い入れもなかった。それなりに楽しく、お金を稼ぐ手段のひとつとしてやっていた。

心の底から「書きたい」という気持ちよりも、情報の伝達やブランディングのために「書かなければならない」という心持ちだった。需要や反応があるから書くし、それらが伴わないならば、すぐに萎えてしまう。

それが最近、「書きたい」と思うようになった。自分の素直さを認めながら書いてみたら、シンプルにすごく楽しかった。心地よかった。この瞬間、考えていることを「書いて残すこと」をしたくなった。

今までは「書くこと」に対して、「〜しなければならない」という制限を無意識に設けていたように思う。構成を練って、わかりやすく、ミスのない文法で、読者が興味を持つように、"書かなければならない"と。もちろん、そんな完璧にできるわけではなかったけど。毎度、返ってきた初稿の赤字がすんごい。

おそらく、素直さに対して「純粋で無垢なもの」という捉え方をしなくなったんだろう。自分を見つめ直してみると、ときには「見たくない自分」を見るし、不完全であり、しょうもない部分も出てくる。それを綺麗ごとで隠したり、自分は汚れていると卑下したりせず、そういうものだと、まるごと捉えてみる。透明から遠いグレーでぼろぼろなものが、素直さなのだと、今のところ思っている。

素直さを見つめるのは、慣れが必要だった。理由はないのにどうしても思ってしまうこと。他人の目を気にして封印していたこと。たくさんの「でも」がしがみ付いてくる。初めてダイビングで海に潜った時もそう。怖かったし、呼吸が浅くなった。だけど、慣れてしまうと、息を長く吐くことで落ち着くとわかってくる。だから、ふぅーっと息を吐いた後に、果てしなくて深い海に潜って、ゆっくり言葉を探っていく感覚が「書くこと」に対してある。

「書きたい」ことは、今までもたくさんあったんだと思う。そういう素直さは、自分以外には価値がないこともあるから、書くことをやめてしまったりした。だけど、素直さを出すことを自分に許すと、書くことは楽しい。没頭できるものとなる。

やはり、出発点としては「伝えたい」ではなく、ただ「書きたい」ということが、自分には腑に落ちるんだろうなと思う。

とはいえ、どうしても読み手を意識してしまうものだ。どうしたら伝わるかも考えたりするし、なるべくユーモアを足して、どこかでクスッと笑ってもらえたらいいなと思ってしまう。

素直さは不定形で、変わりゆくものである。矛盾もするし、怖かったりする。だけど、その楽しさを忘れてしまったりするから、忘れないためにも、海に潜り続けて書くのだと思う。

"わかりあえなさ"という孤独が生み出す「表現」

表現とは「孤独」から生み出されるのだと思う。自分と他者は異なるという出発点は、確かに困難であるけれど、ユーモアがあっておもしろい。

“わたし”という存在は”わたし”しかおらず、どんなに周りに親しい人がいたとしても、孤独は避けられない。むしろ、孤独を受け入れることで、”わたし”と”あなた”の自立した関係になれるような気がしていて。

確かに、"わたし"と"あなた"が異なる存在であり、わかりあえなさに直面することは、”わたし”の輪郭が脆くも崩れていくようで、絶望を感じることもある。だからと言って、人間は孤独で悲しい生き物であるとか、孤独こそが自分を高めるとか、そういう結論は見て見ぬふりをしているようで、しっくり来なかった。

「わかりあいたいけどわかりえない」という希望を持った"もがき"は、矛盾を抱えて生きる人間らしくて、美しい。整えられた"きれいさ"じゃなくて、ぼろぼろでも溢れ出してしまった"美しさ"。葛藤や曖昧さは避けられない。だけど、わかりあえなさを痛感するからこそ、歩み寄ることができるのだと思う。

そして、表現を生み出すには、没頭が大事である気がしている。何かに没頭する「探求」のような感覚は、「海に潜ること」と似ていて(また海じゃん)。何の音も聞こえない。他者を忘れるぐらいの静けさと高揚感。自分の素直さに辿り着くのは、没頭を経由しないと難しい時代なのかもしれない。色んな情報が溢れているから、つい比較したり、反応し続けたりしてしまうから。

だから、自分にとっての表現は、振り返ったら作ってしまっていたぐらいのものでありたい。孤独から生み出されたものは変わっていくもので、留めることはできない。昨日書いた自分の文章を見て、「ふーん、そう思うんだ」と本気で思うことがある。だから、なるべく残しておきたいんだと思う。

ひたすら没頭に浸って、孤独を受け入れているのなら、表現したものを誰かに見せる必要性などない。表現は自分だけが知るものとして残しておくのも大いにアリだと思う。意味がないとか全く思わない。

だけど、どこかで誰かに見てもらいたくなることもある。届いてほしかったりする。それが暴走すると共感の虜になってしまって、共感が得られないことを秘めている自分を責めてしまう。忘れたくないのは、そう思ってしまうけど、まずは没頭して自分に聞いてみることが最初で、その先で誰かにとっての価値がたまたま生まれたりする順番でありたい。

「孤独は良くない」と言われがちだけど、「そもそも人って」という部分から出発して、そこに佇むことを選んだ人や表現を見ると、嬉しくなってしまう。はみだしたものはとてもおもしろくて、表現は愛しいと思う。

ここだけの話、自己紹介を書き終わるのに、数日を要しました。「自己紹介なんて読む人いないでしょ」と思いつつ、つらつらと書いてしまったのは、どこかで自分の話を残しておきたい気持ちがあったんだと思います。

正直、対面では自己紹介や慣れるまで自分の話をするのが、とっても苦手です。慣れたらベラベラと話しますけどね。仕事や社会的な役割から話せることもあるけど、しょうもない話をするのが好きなんです。だからこれを書きながら、友達でもできたらいいなって思いました。友達ほしい。できれば車を持っている方がいい。左折するときに前屈みにならないように気を遣うタイプの助手席係をやります。ハリーポッター全作を語れるとなおよい。

さて、最後まで読んでくださって、ありがとうございました。また明日も、それなりに苦労して、それなりに楽をして、「トータル楽しかったな」と思えるよう、やっていきましょう〜

写真を撮ったり、文章を書いたりしてます。『秘密結社「喫煙所」』というアヤシイ集まり(会員2名)を始めました。ポートフォリオやサイトなど、よかったら見てみてください〜!
Portfolio
Instagram
秘密結社「喫煙所」

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?