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現代川柳

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たてがみを失ってからまた逢おう  小池正博(『セレクション柳人6』)
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午後もまた未来のひとつ

午後もまた未来のひとつ

午後もまた未来のひとつ  月だ  川合大祐(『スロー・リバー』)

むかし、秋元康さんが、なにかの事件が起きて、コメントを求められたときに、「それでもひとはやっていくしかないんだよ」と答えていたのが、こころにのこっている。

けっきょくそれしかないんじゃないか、と私もときどき思ったりする。
起きたくない朝や眠りたくない夜があるだろう。
会いたくないひとに会う日があるだろう。
好きだと言わなければな

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夜明けまで待って

夜明けまで待って

夜明けまで待ってすべり台から滑る  樋口由紀子(『容顔』)

こんなことを君に聞く。

「もし夜明けまで待った後、君は何する?」

  夜明けまで待ってAする

というこのAはひとそれぞれの世界や生き方や気合いによって違う。
夜明けまで待ってこれからももう会うこともないだろう君に手紙を書くひともいるだろうし、夜明けまで待って気になっていた前髪を切るひともいるだろう。

樋口さんはそのAをすべり台か

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耳の形が思い出せない

耳の形が思い出せない

耳の形が思い出せない好きなひと  時実新子(『月の子』)

表現っていうのは、みんながポストは青いと思っても、ポストって赤いんですよ、ポストは赤いんです、私にはそうとしか思えないんですよ、それ以外ないんです、と言い切ることなんだと岩松了さんが書いていた。

たぶん本当に世界は無数のいろんな可能性があって、あなたの世界も私の世界もあるし、そのこともわかっているけれど、でも私の世界はこうでしかなかった

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ぼくはまだ青空にいる

ぼくはまだ青空にいる 平気  妹尾凛(『Ring』)

眠る前に月って星なのか気になって電話をかけたことがある。

「月って星なのか?」と。

「星でいいよ」と相手は答えたように思う。たぶんそれは「星じゃなくてもいいよ」とも言っていたように思う。

月が星だったとしてもそうじゃなくても、あなたはあなただし私は私だし、それにもう、私、ゆくから。

そういう感じだった。ゆく、っていうのは、私もう深い場

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私を忘れてもいいよ

私を忘れてもいいよ

この道と私を忘れてもいいよ  やすみりえ(『現代川柳鑑賞事典』)

WOWOWでやっていた小林聡美のペンションのドラマが良かった。どこか不審な紳士、役所広司が泊まりにやってくるのだけれど、役所広司は本当は狐で、御礼の茸を残して消えてしまう。

でも役所広司くらい色んな役をやっていると確かに人間を通り越して狐の方に近いんだよなあとも思う。
役所広司はもう役所広司じゃなくなってることで役所広司なのかも

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風の声

風の声

風の声十一月はよく迷い  渡辺和尾(『現代川柳鑑賞事典』)

本に挟まってあった手紙が出てきて、「あなたは水のような人です」と書いてあった。
風のような人がよかったな、とちょっと思う。水だと流れていってしまうではないか。事実流れて来てしまったし。
あなたはどこに行ったのか、私もどこにいるのか。

でも風もそうか。
風だって、あなたを通り過ぎて、ここまで吹いて来てしまう。
だったら何がいいのか。

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地の果てのふわふわ

地の果てのふわふわ

アルパカのふわふわ地の果てのふわふわ  赤松ますみ(『川柳作家ベストコレクション赤松ますみ』)

地の果てのふわふわ、っていいよなあと思う。好きなものととっさに聞かれたときに、地の果てのふわふわです、と答えられたらいいのに、とか思う。

それはただのふわふわではないんです、地の果てにあるものなんです、だから私も実際見たことはないんだけれど、多くの人によってそれはふわふわしたものだと語り伝えられて来

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預かっている大きな足

一晩だけ預かっている大きな足  樋口由紀子(『めるくまーる』)

最近現代川柳をずっと読んでいてふっと思ったのは、現代川柳って童話の世界なんです、と言ってしまえばもう一つの答えになってしまうんじゃないかということだ。

俳句って童話なんです、とか、短歌って童話なんです、っていうと足りなくなっちゃうけれど、川柳って童話なんですよ、っていうと、まあだいたいそうなんだよな、と答えが事足りてしまう。

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ふるい詩集をひらく

ふるい詩集をひらく すこし痩せた?  一戸涼子(『現代川柳鑑賞事典』) 

クイズ、この世界で処分について歌った有名な歌はなんでしょう?

最近YouTubeで『笑っていいとも!』のオープニングでタモリが歌うところを見ていて、「きのうまでのガラクタを処分、処分」と歌っているのを聞いて、あれはすごい歌詞だったんだなあと思った。
処分、ってね。
うきうきしたあとに処分するんだね、これまであったなんでも

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あたたかい拍手

あたたかい拍手

あたたかい拍手もらっているところ  弘津秋の子(『アリア』)

この秋の子さんの句を本当によくたびたび思い出すけれど、こういう瞬間をいつからか人は覚えていて、だからなんとなく春の野のような長く広い場所をどこまでも歩いてゆくことができるのかなあと思ったりもする。

手と手を叩くことって、手と手を叩くことにしかならない。それがいい。意味にもならない。手紙にもならない。手にしかならない。

人に手を叩く

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自分を呼びにゆく

自分を呼びにゆく

たすけてくださいと自分を呼びにゆく  佐藤みさ子(『呼びにゆく』)

佐藤みさ子さんが、長く川柳を続けてゆくうちに川柳というものがますますわからなくなってしまった、今私にとって川柳はまったくわからないものとなっている、というふうなことを書いていて、でもそれが本当なのかも知れないなあとも思った。

わかる、って多分自分がそうしようと思えばいつでも利用できてしまうような感覚で、でもどこまで行っても、わ

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やさしいところが曲がる

やさしいところが曲がる

やさしいところが曲がるんやと思う  久保田紺(『大阪のかたち』)

いつも帰ろうとしている、好きな言葉がある。
「『空想家』とはとてもきちんとした良い人たちのこと」
この言葉は小津夜景さんの『フラワーズ・カンフー』に書いてあった。

私はふらふらする癖があって、一日中、車や自転車、エスカレーター、エレベーター、バス、スワンボート、触れてもいい許可をもらっている手などあらゆる手段を駆使して街のあちこ

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夕焼けをダブルクリック

夕焼けをダブルクリック

夕焼けをダブルクリックしてみよう  むさし(『亀裂』)

現代川柳は間違いなく詩なんだけれど、短歌や俳句と違って、エイヤッ、これが川柳! と気合いで決める詩のような気がする。

短歌は上の句と下の句の構造があるし、俳句は季語がある。だから気合いとかの問題ではない。
でも川柳は、これが私の思う川柳なんです、という気合いでつくる詩なんじゃないかなあと思う。

構造とかでもなくて、半熟卵のように未熟で、

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王ならくよくよはしない

王ならくよくよはしない

アフリカの王ならくよくよはしない  樋口由紀子(『容顔』)

巨大な不安にたいする一つの返事。

「アフリカの王ならくよくよはしない」

今あなたは確かに不安を感じている。でも今のことじゃなくて、過去のことを、遠くのことを、ぜんぜん違うことを、王さまのことを考えて、不安を全く違うかたちにしてみる。

現代川柳は、不安だ。たぶんずっと不安をテーマにしている。生きていると不安なことばかりやってくるけれ

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