見出し画像

箱の中身はなんだろな 22.5.8

 ADから渡された全身タイツを頭からすっぽりとかぶると、視界が完全に真っ暗になった。スタッフたちの話し声しか耳に入らない。遊園地に一人取り残された気分だ。芸歴十四年、このシチュエーションは養成所を卒業して以来何度か経験しているが、やっぱり慣れないな。

 そのまま、ADのムニムニした両肩にしがみついて控室から収録スタジオへと向かう。汗臭いのかと思ったら、意外に無臭でどこかホッとすると同時に、ちゃんと仕事してんのかと疑いたくもなる。

「んじゃ行きますよー」

 俺の返事も聞かず、すたすたとADは走り始めた。

 こいつ太ってるくせにメチャクチャ足速いな! こっちは足元どころか視覚遮られてるんだぞ!

「ちょ、ちよっともう少しゆっくり!」

 よろめきながら俺が叫んでも、ADの歩速は変わることはない。むしろ速くなってる。

「すんません、収録押してるんでー」

 缶コーヒーの甘ったるいにおいを口から漂わせる誠意ゼロの返答に文句の一つも言いたくなるが、俺レベルの芸人にはいくらでも替えがいることは、俺自身よくわかっている。故郷《くに》で出る時、駅に見送りに来た親戚一同友人連中の前で「芸能界で絶対天下取ります!」と宣言した以上、おめおめとこのまま帰れるはずもない。

 ADの歩幅に合わせ、心ならずもデブの背脂肉をタイツ越しに味わいながら、ムカデ競争の要領で必死に歩調を合わせる。そのうちに、耳に入る音が、せわしない喧騒の反響音へと一転した。どうやらスタジオに入ったようだ。

「こちらになりまーす」

 感情のない声で指示した背脂が、さっと俺の体から離れる。もちろん、俺が転ばないように支えてくれるような気づかいなど一切ない。

 すかさず俺は、手を伸ばして、周辺の位置関係を確認する。腰ぐらいの高さにある硬い板は机、その上に置かれている箱が今回のメインだ。大きさは、腕の中に抱えられるぐらいか。それによってリアクションも変える必要がある――てこともないか。とにかくどんな番組でも声を張れって先輩からは言われてるけど、その先輩自体さほど売れてはいない。同じ養成所出身のよしみで、時々メシおごってもらってるから聞いたフリはしておく。

「あんまり触んないでー危険だから」

 プロデューサーの声が、ベタベタ箱を触っていた俺を直撃する。芸人のガチなリアクションを求めるためのフェイクである可能性は高いが、たまに本気で頭がおかしいPもいるので、注意は必要だ。

「すんませっしたー」

 愛想よく答えて、そっと箱から手を離す。売れてない芸人としての正しい振る舞い方だ。

 とにかく両脇から手を入れるタイプだな。

「それでは本番いきまーす」

「あっ、あのもう少し説明とかは……」

「五秒前ーっ、四、三、二……」

 口の中で舌打ちをして、一秒で段取りを考える。ここはまずビビりながら始めるのがテッパンだ。

「……え、ちょっと待って。大丈夫だよね、噛んだりしない?」

 カメラが回ってから、独り言のようにつぶやいた俺は、ためらったのちに、箱の脇からちょっとだけ両手を入れてみる。

「あぁぁーーーっ、ヤバい、マジ無理ーーーーっ!!」

 一秒も経たずに手を箱から出して後ずさる。

 まずはパニクってる様子を前面に出して、視聴者にビビりキャラを印象付ける作戦だ。ビビってる俺、ちゃんとカメラに映してくれよ!

 スタッフから軽い叫び声が上がる。緊張感を煽って、もっとビビれって合図だな、よし、見てろよ!

 意を決した振りをして、俺はふたたび手を震わせながら、箱に両手を入れる。

「あっ、今噛まなかった? もしかして生き物? ねぇ、ねぇっ」

 手で空気をつつきながら泣き声を作り、スタジオでモニタ●ングしてる奴らに全身で訴えてやる。いつかは俺もモニタ●ングする側になってやるんだからなっ!

 けれども、このままエアリアクションで引っ張るわけにもいかない。もう少し、手を奥に入れて――

「ぅあちっ!!」

 指の先を針でつつかれたような痛みを感じて、思わず手を引っ込める。マジリアクションだ。

(……はっ)

 いけねえ、カメラの前だってこと忘れてた。

「なーんすかもうーーー!!」

 すかさず俺はテレビ仕様に声を張り上げて、両手を振り上げた。近くでバタバタ動き回る音はスタッフだろう。大物芸人ならどんなリアクションでも笑ってくれるというのに、演者ガン無視。中堅芸人あるあるだな。

「もっかい入れるっすよー」

 とスタッフの注意を惹きつつも、いざ手を入れると「ヤバいヤバいヤバい」と繰り返す。リアクション芸人の大先輩の口癖のパク……オマージュだ。そこへまた上がるスタッフの悲鳴。何度もその手は食わねえ。

 もう少し手を奥まで入れてみると、むにょん、と柔らかい感触が伝わる。そして、すげえ熱い。あと、やたらと香ばしいにおい。

 これは――餅だな。焼き餅。間違いない。

 けれどもここは気付かないふりをして、小ボケのジャブをかまさねえとな。

「カ、カツラ?」

 笑いが起こらない。もしかして、俺の声が小さかったか。

「あ、あのぉ、ハゲヅラ! 加トちゃんヅラ!」

 さらにネタを乗っけてはみるものの、笑いは一切起こらない。それどころか、スタッフの足音はさらに慌ただしくなっていく。

 まるで雰囲気が読めない。いや、「空気を読まない」のは俺のキャラでもあるけれど。それにしたって、ここまで反応が無いのは、地方のショッピングセンターで誰も座っていない椅子に向かって営業ネタをやった時以来だ。

 あれ?

 なんか、急に静かになった気がするんだが。

「え、ええと……」

 もしかしたらスベってるのか、俺? 顔が熱くなり、全身にどっと冷や汗が滲んでくる。

 いや、ここで折れるな俺! 今年こそコンビニのバイト生活から抜け出すんだろ? 年末の賞レースで優勝して、サラ金の借金一括返済するんだろ?

 せっかくつかんだチャンスなんだ、せめて爪痕ぐらい残せよ俺!

 頭に血が上り、バラエティの収録であることも忘れた俺は、「はっこのなっかみーはなーんだろなーっ」とがなり立てながら、箱の脇から両手をガッと入れた。


 ドガッ


 ……えっ。

 わりと洒落にならねえ感じの、たとえるなら格闘家が壁を足で蹴った時のような、鈍い打撃音がした。箱の中から。

 俺のリアクションが一瞬止まる。足がガタガタ震えてきた。

 これやべぇやつだ!! やべぇPが考えた芸人殺しのやつだ!!

 バイト生活はまだ続ける、サラ金と天下を取るのはもう少し待ってもらおう。

 だから

 勇気をもって!

 俺は、この仕事をキャンセルさせてもらう!!

「あぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっ!!」

 えっ。

 ……今の断末魔みてえな叫び声、「やべぇP」にめっちゃ似てたんだけど……。

※この落書きはフィクションです。


【おまけ】
今回の記事で1000日連続投稿を達成しました。



この記事が参加している募集

スキしてみて

私の作品紹介

いただいたサポートは、飛田流の健全な育成のために有効に使わせていただきます。(一例 ごはん・おかず・おやつ・飲み物……)