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制作日記ー憧れるひとー


5月10日

昨夜はうっかり調べものをしていたら、夜中三時になってしまっていた(゚o゚;;

でもちょっとづつ元気になっている証拠だね。
今日はのんびり過ごそう。

今回の「らんまん」は資料の宝庫だった。


牛鍋屋の面白い構図。瓦がCGっぽい❓なんか軽い印象が。。。


万太郎がいるのは谷中だったことが判明。


質屋さんが出てきた‼️東京という土地もあり、小さい店構え。


ちなみに、宮沢賢治の父政次郎は質屋でしたが、資料を漁ると、賢治さんの自宅の門構えは↑こちらにとてもにています。財閥のお宅でしたので裕福でした。


今日は通院日。
とても気持ちの良い快晴の陽気の中、チャリと歩きで病院へ。
調子が良くなったことと、早期覚醒のことを相談する。

次回からは月一の通いに戻るので、ほっとした🥲

駅前のマルイで、子供用の必需品を購入。
お習字の道具や泡洗顔やら日用品やマスクのスプレーなどなど。。。

好きだったアップルハウス(オーガニック専門店)が閉店となっていてショックを受ける。
。。。これで北千住にはオーガニックのお店がなくなった。。。😞
イオンやライフのオーガニック食品を漁るしかない。。。


こちらはわたしのお買い物。



図書館からどっちゃりと借りてきた池波正太郎先生の随筆と、樺沢紫苑さんの本。楽しみが増えた‼️🙌✨✨


皆さんの憧れている人は誰でしょうか❓

わたしの「憧れ人」はそれはもうたくさんたくさんいる。

身近なところでは、体調管理や真面目で精勤しているところは母を尊敬しているし、(元地方銀行員で定年退職まで40年以上休みなく働き続けた人。)

漫画家では、「諦めない気持ち」や執念深さ、マンガの読みやすさの手塚治虫先生、


凄まじい人生でも飄々としていて、長く好きな世界をやってゆくロングスパンの働き方は水木しげる先生を尊敬しているし、

アニメーターでは、どんどん核心まで突き詰めてゆく、にじり寄ってゆくところはジブリの二大巨頭を尊敬しているし、


小説家では、紛れもなく‼️池波正太郎先生。

真面目に働くことと、余暇を楽しむ絶妙なバランスに優れていて、
食べる、街を散策する、映画や絵に親しむ。。。という過ごし方はわたしにとって理想すぎなんです。。。

しかも締切は余裕をもって仕上げる。完璧。ほんと仕掛け人。

気性はとても激しかったそうですが、そんなん当たり前じゃん、と思う。

本人はおくびにもださなかったそうだけど、生粋の江戸っ子の人だよ❓

それに、難しくない作家や漫画家さんなんて今までみたことないわ。😂
一筋縄でいかんところがええんやん。だから話を作れる能力があるんやん。

さっそく「青春忘れもの」を熟読了。

ラストの言葉に泣けた。。。。

池波正太郎の半生を綴ったものだが、ほんっとうによかった。

気丈な働き者の母親、怠け者で酒飲みの父親、上野や浅草で触れ合った人たち、
両親の離婚、
小学卒業とともに入社した株式仲買店での、相棒留ちゃんとの贅沢な毎日、
足しげく通った新国劇、歌舞伎、映画館、活字。。。
吉原での筆おろしの娼妓が10歳年上のお姉さんで、それから招集される3年間このお姉さんにとてもお世話になったこと、

戦争の足跡が近づく中、のちの創作作りの基盤ともなった、旋盤機械工での日々、
海軍での理不尽なしごきへの反発で、スイカの化け物ように顔が膨れ上がるまで殴られたこと、将校である軍医の配慮で幸運にも移動できたこと、
終戦後衛生班として上野や入谷でDDT散布をしていたこと、
役場に勤めながら新国劇お抱えの演出作家として奔走していた日々、
師の長谷川伸との思い出、市村羽左衛門との一生忘れられない銀座での思い出、
小説家としての出発ー


今年読んだ中でぶっちぎりの充実度だった。。。

池波先生は終戦を山陰の米子基地で迎えた。
召集解除となり、境港を訪れている。

境港といえば水木しげる先生の故郷。
同じ頃、水木先生はラバウルで命からがら生き残り、マラリアに罹りつつも、原住民とあたたかい交流を持っていた。(ここに居残ろうかな、と思っていたほどに)

戦中を生きてきた人は、ひたひたと近づいたり遠のいたりする「死」を常に意識して過ごしていたと思う。

。。。。あの低い鈍い音がきこえてくると、「死」が一気に近づいてくる。


抗いがたき恐怖をかいくぐってきた末の反動のためか、戦後、仕事に邁進する馬力のかけ方が半端がない。

生きることに対する渇望と喜びでいっぱいの、放出するようなエネルギーがムンムンとみなぎっている。
満身の力で仕事をしている。
尋常でないアドレナリンが四六時中放出しているような感じだ。

師長谷川伸がいよいよ危ないというとき、池波先生は知人に悲愴な表情でこう漏らしている。

「今死なれると困るんですよ。
奪(と)りたいんですよ、もっと奪(と)りたいんですよ‼️」

長谷川伸師の膨大な蔵書を片っ端から借りて読み、「遠慮なぞはしていられない」という思いでつき走ってきた。

司馬遼太郎は池波正太郎と同じ関東大震災の1923年に生まれ、同じ時期に直木賞を受賞している。
時代小説を書くもの同士、仲が良くいい距離感で交流されていたようである。

「別冊太陽」で若かりし頃の池波正太郎との思い出や、彼の東京人、いわば街びととしての生き方を掘り下げた司馬氏の寄稿が興味深かった。

このお二人は正反対の気質だ。

モンゴルあたりを馬で疾走しているかのような身軽さと豪快さで、まるでカラッと晴れた爽やかな青空のようなイメージと、素朴な清らかさを司馬遼太郎先生からは受けるのだが、

池波正太郎先生は「街びと」としての礼儀正しさであったり、理路整然とした鋭い観察眼であったり、夕暮れや夜の街の灯がぴったりくる抒情豊かなイメージがある。戦前のリリシズムを現代に繋いだ方だと勝手に思っている。

どちらとも、なんて魅力的。

わたしは西洋占星術が好きで、人の出生図をみるのが好きなのだけど、司馬遼太郎先生は獅子座のエネルギーがとても強い。

一方池波正太郎先生は水瓶座である。

獅子座と水瓶座はホロスコープ上では180度の関係、つまり正反対の位置関係にある。

これはライバル同士だったり、相手の長所や短所が手に取るようにわかるご縁のある関係。
応援しあったり、支え合うと、とてもいい関係が築ける相手でもある。

同時代に活躍されていたこともあり、お互い気になる相手でありつつも尊敬し合っていたのではないかしら、とも思う。


また、池波正太郎先生は牧野富太郎の眼差しに惹かれて、新国劇で「牧野富太郎」の脚本、演出をしている。


本を読んでいると、思わぬ日常と繋がっていたり、この人とあの人が同じ時代に交錯していたんだな。。。という不思議な縁に感動してしまうことがある。


娘は友達と砂遊びをしていたようで、髪や服にいっぱいの砂をつけて満足して帰ってきた。

明日学校でお習字が始まるというので、筆おろしをする。
池波先生の随筆を思い出し、ぷぷ。。。とついつい笑ってしまった。

今日はまったく描けなかったが、ものすごく心の栄養を頂けた日だった。


先生の本を読みながら思い出したが、1923年はわたしの祖父が生まれた年でもあった。


🌳🕊️本日の制作時間。。。0時間

🩵セブングッドシングス

🌱快晴になり、2日ぶりに外へ出れたこと

🌱かかりつけのお医者で有意義な診察を受けれたこと。
 (早期覚醒についてきけた)

🌱のんびり午前中はお買い物を楽しめたこと

🌱読みたかった池波正太郎先生の本が借りれたことー‼️

🌱拙作「政とイチ」の治三郎番外編にあたたかいコメントを頂けたこと🥲

🌱お風呂場の蓋をつけ洗いできたこと。。。だけどカビとれん。。。

🌱夜に食べたお惣菜のさつまいもチップスが美味しかったこと。



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