近所のおばちゃんの話し

一人暮らしをするアパートのご近所さんである
仲良くしてくれるおばちゃんに
「来た頃より随分と逞しくなったね」
と言われた。

思えば地元を離れ一人暮らしをして
3年が経ち、4年目になる。
いつの間にか見慣れない景色が
見慣れた景色にかわり
たくさんのことを経験できていて
学ぶことが多くあるなと実感している。

中学生の自分は
今ここにいる私を信じるだろうか。
東京の大学に通い、1人で暮らしていることを
どう思うのであろうか。たぶんだけど、
「そんなの嘘だあ」って言う。
てか、絶対言っている。

東京が嫌いだった

何故か分からないけど
なんとなく、東京っていうのが
嫌いだったとしか言えない。
たぶん、地元を離れたくなかったのか
狭いところでしか生活していなかったから
たくさんの人が怖かったのか
恐らくそんなところだろう。
1人になりたくなかったのかもしれない。

自分の生まれた場所は
愛知県の田舎の村である。
家の周りは田んぼに囲まれ
草木が生い茂り
大きな川が流れ
多くの生き物に溢れている
本当に自然豊かなところだ。

私は自分の町が大好きだ
ご近所さんとも仲が良く
通学路で畑仕事をしている
お爺ちゃんやお婆ちゃんは
笑顔で挨拶をしてくれる。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「ただいま」
「おかえり」
そんな言葉が町全体で飛び交う
とても温かい場所である。
私はそこで育った。

‘ 元気で活発で

スポーツが大好きな男の子’

それが保育園から変わらない私の姿である。
とにかく走り回るのが好きだった。
怪我もめちゃくちゃ多かった。
保育園、小学校、中学校、高校と
全ての保健の先生と仲良くなった
(怪我が多すぎて名前をすぐ覚えられた)
今の時代に生まれていたらきっと
多動症と言われていたに違いない。
あの時の先生方にはたくさん迷惑かけました
親にはたくさん心配をかけました。
ごめんなさい。
好きで怪我してた訳じゃないのです。

そんな私が、東京の大学へ行きたいと
思い始めたのは高校からだと思う。
高校で多くの人と出会った
友達、先生、部活で知り合った学外の友達、
地域の大人の人々。本当に数え切れない人に
出会い自分の人生が変わった。
1番は〝学校〟が大好きだった。
自分の周りには素敵な大人達が多かった

「教師になりたい」

そう思い始めたのは中学2年からで
高校で「教師を目指したい」と改めて思った。

きっかけは

「君みたいな人が教師になってほしい」

「君のような人が教師にいたら
子供たちは本当に幸せだろう」

中学生の時に初めて先生から言われた。
鳥肌がたった。
教師なんて職業考えもしていなかった。
中学校の先生にも、高校の先生にも
嬉しことに同じような言葉をもらった。
ああ、教師もいいなって、そう思った。
そう思ったらもう教師になりたいって
自然と強く考えていたと思う。
先生達の言葉にはとてつもなく巨大な
パワーが込められていたに違いない。
まんまと自分は騙されたわけだ。
でも全然悪い気はしなかった。
そのおかげで、私はここまで歩んでこれたのだ
「ありがとうございます」
では足りないくらいのものを私はもらった。

気づいたら東京の大学を受けようとしていた。
不安とか、恐いとか、そんな気持ちは
一切なかった。ただ単純に行きたい。
その思いだけで両親を説得した。
元々両親からは、自分のお金で、
自分の力で全部やるなら大学へ
行ってもいいよと言われていた。
まさか自分の息子が東京の大学に行くとは
思いもよらなかっただろう。
だって、自分も思ってなかったのだから。

そんなこんながあっていま私は
大学4年生になった。
キャンパスは2つあり
世田谷と横浜にある。
その丁度真ん中に位置する
神奈川県に一人暮らしをしている。
仕送りはあまりもらっていない。
でも、少しでも貰えてることが
幸せで、有り難すぎるくらいだ。
大学は奨学金を借りて
バイトばかりの生活をしている。
所謂、苦学生ってやつ。
全然苦しくない、寧ろ楽しすぎる。
モットーは何事も楽しんでいく。だ。


ここでの生活は毎日が刺激的で
流石は、日本の首都である。
多くの人で賑わい、日本人だけでなく
海を渡った先で生まれた人たちも多くいる。
本当に本当に色んな人達に出会い
関わることができていて幸せものだと思う。
人に恵まれすぎている。
私はそんな人達に
笑顔で愛を持って接するだけである。
自分といて少しでも笑顔でいて欲しい
優しい気持ちになって欲しい
ただそれだけである。

「君は優しいね」とか
「笑顔が素敵だね」とか
「すごい人だな君は」とか
言われることがある。
自慢とかではなく、素直に嬉しいことなのだが
何が1番嬉しいかって、
自分と関わってきてくれた人達のおかげで
今の自分がいるわけで、今の自分があるのは
その関わってくれた人達が自分を
そうさせてくれているお陰なのだ。
だからそう言われた時、
自分の周りの人が、
関わってきてくれた人達が、
褒められているようで
とても嬉しく、幸せな気持ちになる。
それはきっと、
自分の周りの人が優しいからです。
自分の周りの人の笑顔が素敵だからです。
自分の周りの人がすごい人達なんです。
私が生きていられるのは
笑っていられるのは
私の周りにいる人のお陰なのです。

生きているのではない、生かされてる

「ただいま」

と帰る場所、帰りたい場所が増え
会いたい人もたくさんいる。
哀しいことにもう二度と
会えないままの人もいるのだろうけど
今まで出会えた人々によって
自分という人間が形成されてて
これからもそういうことの
繰り返しなのだろう。

嫌いだった東京が自分の生活の一部になった。
今では東京に出てきて良かったと思っている。
地元を離れ、ここに来なければ
出会うことのなかった人達がたくさんいる。
経験できなかったことがたくさんある。
これから先どれだけの人と
出会うことができるのだろう。
まだ出会ったことのない人々に
どれだけ刺激を受けるのだろう。
楽しみで仕方がない。

今は、1年目で教師になろうとは思っていない
これからまだまだ色んな経験をして、
いつか教壇に立ったとき、
目の前の子どもたちが
笑顔で、幸せでいられるように。
多くの選択肢を自分が持ち
それを提示できるように。
子どもたちが自ら自然と掴みたくなるような
手を持ち合わせていたい。

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