『ジョジョの奇妙な冒険』のディオ(DIO)が「生命の停止」を象徴することは、以前note でも指摘した。時間停止も死の比喩だ。これは「ネクロフィリア」という概念で説明できるもよう。だとすると、ジョルノ・ジョバーナは逆の「バイオフィリア」ではないか。生命を生み出す能力を持つからだ。
しかし、人生に確実なことはないし、予測不可能で、支配することもできない。生を支配可能にするのは、それを死に変えなければならない。死こそが、生におけるただ1つ、確実なことなのだ 殺しの願望、力の崇拝、死や汚物やサディズムへの恐怖、秩序によって有機物を無機物に変えようとする願望がある
ネクロフィリアとバイオフィリア 死による固定か成長による変化か? 物事が固定されていれば考えるのは非常に楽になる、面倒を避けるそのためだけに成長を止めさせ、事実上の死が蔓延しているのが愛を失った人間の醜い欲なのだと思う 恐怖と面倒に打ち勝ち成長と独立へ歩みだすのが今必要である
ネクロフィリア的な人間は、未来ではなく過去に住んでいる。彼らの感情は基本的には感傷であり、つまり昨日持っていたと思っている感情の記憶を抱き続けている。彼らは冷淡でよそよそしく、法と秩序を信奉している つまり、動いているものが嫌いなので過去だけに固着しているという言い方になっている
ネクロフィリア的な傾向を持つ人は、生きていないもの、死んでいるものに引 かれ、心を奪われる。そこには死体、腐敗物、排せつ物、汚物なども含まれる。ネクロフィリア的な人間は病気、埋葬、死について話すのを好む。彼らが生き生きとするのは、死について話している時だけだ。