慶長12年(1607)閏4月26日は家康の九男・徳川義直が尾張清州藩主となった日。家康の四男・松平忠吉の急死に伴い甲斐甲府藩から転封となった。家康は豊臣家への対抗拠点として名古屋城を築城する。これに伴い清州越しと呼ばれる都市の丸ごと移転を実施し義直が尾張名古屋藩の初代藩主となる。
慶長20年(1615)4月4日は家康が大坂攻めのため駿府を出発した日。九男・義直の婚儀のためとして名古屋へ。豊臣から浪人解雇も移封も拒否する回答により6日、7日には諸大名へ出陣を命じた。戦国が終わる大坂夏の陣が始まる。双方引けない状況だったのでしょうがどうにもならなかったのか。
慶長15年(1610)1月9日は家康が諸大名に名古屋城の築城を命じた日。尾張の中心は清須城だったが水害に弱い地形であり信長も居城とした旧那古野城の地を選んだ。家康の九男義直の尾張藩居城として西国大名による天下普請で閏2月に築城が開始される。この年の9月には城郭主要部が終了した。