見出し画像

社殿は春姫の御霊屋「名古屋東照宮」

尾張藩初代藩主徳川義直が、父徳川家康の三回忌である1618年(元和4年)に大祭を行い、翌1619年(元和5年)、名古屋城内三の丸に取り込んだ亀尾天王社(現在の那古野神社)の隣地に東照宮を勧請し、成瀬正成、竹腰正信を奉行にし、南天坊天海を導師とし9月17日家康の神像を祀ったのが創祀。三之丸東照宮とも呼ばれた。創建当時の境内は3600坪もあったといい、本殿の社殿には権現造、楼門、唐門、渡殿、祭文殿等があり、東照宮として最も豪華であったといわれ、社殿などには極彩色がほどこされた華麗なものであったと言う。

1875年(明治8年) 名古屋鎮台が城内に置かれたのを機に、天王社とともに旧藩校明倫堂跡地である現在地に仮遷座した。1876年(明治9年)本遷座。社格は1872年(明治5年)5月の時点では村社だったが、1875年(明治8年)8月に県社に昇格した。また当時、名古屋東照宮は国宝に指定されていた。

1875年(明治8年)、後に第二代名古屋市長となる志水忠平が東照宮に徳川義直の合祀を請い、許可を得て同年6月20日、奉斎式を行った。1898年(明治31年)、初代名古屋市長だった中村修が東照宮に徳川慶勝の合祀を請い、許可を得て奉斎。1924年(大正13年)10月28日、義直・慶勝の御霊を旧藩士が新たに創建した尾陽神社に遷して奉斎。

1945年(昭和20年)5月14日の空襲により、義直以来の本殿、主要建造物を焼失したが、1954年(昭和29年) 建中寺より義直の正室春姫(高原院)の御霊屋を移築して社殿とした。この御霊屋は1651年(慶安4年)に万松寺境内に建てられ、1914年(大正3年) に建中寺へ移築されたものであった。1960年(昭和35年)に愛知県の有形文化財に、また1992年(平成4年)には名古屋市の都市景観重要建築物に指定されている。

社殿は義直の正室春姫(高原院)の御霊屋。

東照宮3

柱には、春姫の在所、浅野家の家紋「丸に違い鷹の羽」が。

東照宮1

本殿の祭壇。

東照宮4

名古屋市中区丸の内二丁目。

#ゆたかさって何だろう

ゆっくり散策しながら、歴史の舞台に思いを馳せるひととき。

よろしければ、サポートお願い致します。