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日本と望遠鏡~『科学機器の歴史:望遠鏡と顕微鏡 イタリア・オランダ・フランスとアカデミー』を読んで

 これまで、noteのマガジン「日本天文学とイエズス会士」(全三回)で、日本の天文学にイエズス会士が直接・間接的に影響を与えたこと、またその時代の天文学とは天動説から地動説への移行時期にあたっており、その背後には望遠鏡など光学機器の発達があったのではないかということを書いてきた。また同じくマガジン「オランダと江戸時代」(全2回)では、オランダで世界初の望遠鏡が発明されたのは、レンブラントが生まれた頃、すなわち江戸時代の初期のことで、日本にも望遠鏡は、発明後、早々に入ってきたということや、渋川春海が望遠鏡を使って観測をしていたらしいということも書いた。しかし、日本の望遠鏡周辺についてもう少し詳しいことを知りたいと思っていたところ、『科学機器の歴史:望遠鏡と顕微鏡 イタリア・オランダ・フランスとアカデミー』(塚原東吾編、日本評論社、2015年)という本を見つけたので、さっそく読んでみた。

 この本は、科学史の専門家五人の研究の成果が収められた本であり、どれも興味深い内容であったが、日本の望遠鏡の歴史について知るには、平岡隆二氏による「第5章 望遠鏡の伝来と長崎」が参考になった。平岡氏によれば、望遠鏡の発明から数年後、日本に望遠鏡を持ち込んだのは、日本との正式な通商開始を求めて来日したイギリス東インド会社船隊司令官のジョン・セーリスであり、セーリスはイギリス国王ジェームス1世の親書と共に多くの贈り物を、家康に献上したが、その贈り物の中に望遠鏡があったという。またオランダ側の記録によると、家光の時代、オランダは繰り返し家光に望遠鏡を贈っており、家光側も喜んで受け取っていたようである。イギリスもオランダも、いわゆる南蛮と言われたポルトガル勢に対して、当時は新興勢力であったが、徳川幕府の将軍や幕僚らとの交渉を優位にすすめるための政治的道具の一つとして望遠鏡を使っていたという。将軍や大名らが望遠鏡を愛好したのは、単に好事家的な関心だけでなく、遠方をみることができる望遠鏡に軍事的価値を見出していたかららしい。1647年になると、井上政重が、「肉眼で見えない木星の四つの衛星やその他の小さな星を発見できる、特別きれいで長い望遠鏡」をオランダ側に発注したそうで、この頃には、望遠鏡が星の観測道具としても認識されていたのがわかる。井上政重は、幕府の宗門改役として、キリシタンを激しく取り締まった人物であるが、棄教した宣教師フェレイラ(日本名・沢野忠庵)に西洋の天文学書を翻訳させたりしていたので、天文学や、星を観測するものとしての望遠鏡に興味を持っていたのかもしれない。井上は、これ以外にも鼻眼鏡や「質の良い虫眼鏡」といった光学機器や、「できる限り大きい地球儀」や「オランダ製の羅針盤」、あるいは「硝子製の吸角あるいは外科用の瀉血コップ」、「ポルトガル語で書かれた図入りの人体の解剖を取り上げた本」といった医学関係のものも、将軍や閣老あるいは自らのために発注していたようである。(井上政重、フェレイラと西洋天文学について、ご興味がある方は、こちらもご覧ください。↓)

 
 江戸時代の日本には、イギリスやオランダからの献上品だけでなく、国産の望遠鏡もあったが、国産の望遠鏡がいつから作られるようになったのかは、はっきりしない。遅くとも17世紀の半ばまでには、長崎で眼鏡製作が始まり、そうした長崎の眼鏡職人の中から、吉宗が発注したと推定される国産望遠鏡が生まれたのは確かなようだ。とはいえ、将軍用にヨーロッパ製の望遠鏡は引き続き発注されていたし、国産望遠鏡の性能についてのオランダ人の評価は低かったようだし、現在の天文学者も当時の国産望遠鏡は天文学的に意味のある精密な測定ができたとは思えないと評しているという。

 ところで、日本で初めて望遠鏡を使って観測したといわれている渋川春海が使った望遠鏡が、どういうものだったのかということは、この本を読んでも、結局わからなかった。春海は、例えば、井上政重が発注した星の観測に適した望遠鏡を使うことができただろうか。年代的には可能であるが。立場的には?他にも、日本現存最古といわれる尾張藩初代藩主・徳川義直(1600-1650)の遺品と伝わる望遠鏡があるそうだが、この望遠鏡は、凸レンズ四枚構成の屈折望遠鏡で、フランシスコ会の一派の会士であったシルレによるシルレ型望遠鏡にあたるという。シルレ型望遠鏡は、1645年に製作・公表されたらしいが、義直公の望遠鏡で使われた「一閑張り」という技法が、この望遠鏡がヨーロッパ製ではなく、この望遠鏡が基本的に中国の技法によって作られた可能性を示しているという。(この望遠鏡を調査した中村士氏によれば、こうした望遠鏡を作った中国人が、イエズス会士の影響を受けている可能性は否定できないらしい。↓

https://www.sanosemi.com/jshs/Nakamura-Kagakusi_Kenkyu_No250-2009-KJ00005654215.pdf

中村士著「日本最古の徳川義直公望遠鏡」『科学史研究48』2009年)

春海が使った望遠鏡とは、こうした中国製のものであっただろうか。

 何にせよ、科学機器の研究は、まだまだ不確定なことが多そうで、逆にいうと、今後さらに新しい発見が出てきそうである。

(表題の絵は、国産の望遠鏡と縁が深い徳川吉宗の像)


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