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GW知多半島を巡る旅① 時志観音

 ゴールデンウイーク…どこに出掛けても混雑は免れないと思い、あえて日帰りで家族4人の知多半島フィールドワークの旅を計画した。

 第1弾は、以前妻とも母とも訪れたことのある時志観音へ。
 もともとは慈雲山影源寺称し、永正元(1504)年、聖窒有賢しょうしつゆうげん和尚を開山として創立された真言宗のお寺だ。本尊の時志観音は十一面観音菩薩で、天長4(827)年、三河湾に浮かぶ佐久島の漁師の網にかかり島内に安置されていたのだが、疫病の流行に際し、佐久島の島守の夢枕に観音菩薩が現れ、発せられた光明が発し、対岸の時志村を指し、風光明媚な高地にある現在地に草庵を建てて遷座したという。

時志観音大石仏観音像

 時志観音が安産の観音様として信仰を集めるようになったのは、初代尾張藩主の徳川義直公が領内一円を巡察中にたまたまこの観音堂のて休息され、その由来に感銘された義直公が側室の安産祈願をし、その霊験高きを悟るや、堂宇の修復にと金二百両を下付されたのだった。その以後、尾張徳川家による帰依が篤く、寺紋として三つ葉葵を用いることが許されたのだった。
 その後、昭和56年に、岡崎産の一枚の御影石を使って、時志観音大石仏観音像が造られた。一枚石で造られたものとしては日本一の大きさであるという。

三つ葉葵の寺紋
伊藤萬蔵が寄進した三十三観音像

 この時志観音の面白さは他にもある。
 まず、かの有名な伊藤萬蔵氏が寄附した三十三観音が存在することだ。その隣には、十二世仙嶺大隣大和尚の像があるが、その隣には「思わざる」(非思量)という猿が座禅を組んでいる。

十二世仙嶺大隣大和尚と座禅猿

 このお寺で何より素敵なのが、三河湾を望む眺望だ。まるで、ご本尊の時志観音(十一面観音菩薩)が佐久島の漁師の網に掛かった場所を見つめているようだ。

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