三浦豪太

メッセージの力

メッセージの力

2010年6月19日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  サッカーの日本代表はカメルーン戦で先制点を守り切り、海外でのワールドカップ(W杯)では初となる歴史的な白星を挙げた。南アフリカで行われたこの試合を興奮しながらテレビ観戦した僕は、先月、エベレストベースキャンプでネパール人の青年プシュカ・シャーさんに出会ったことを思い出した。  彼は世界150カ国を自転車で巡った。その中にはいまだ紛争地域にあるアフリカの国々も含まれ、戦争により多くの命が奪われ貧困に苦しむ人々の現実を目

人の足、長距離走に最適

人の足、長距離走に最適

2010年5月8日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  エベレスト街道は延々と山や谷間を縫うように作られている。そこは足を持ったモノのみに許された道であり、人のほかに馬、ヤク(高所に適した牛)、ゾッキョ(ヤクと牛の交配種)が往来する。これらの動物の歩き方を比べるとそれぞれはどのように山道に適応してきたかがわかる。  例えば馬は平地や平原を速く走るのは得意だが、彼らの蹄(ひづめ)は1つなので、不規則な石がごろごろしていたり、不安定な斜面を越えるとき、足元が安定しないのがわかる

年齢に負けぬ秘訣

年齢に負けぬ秘訣

2010年5月1日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  ボクシング第49代日本ライト級チャンピオンの嶋田雄大選手(38、ヨネクラ)が、この5年ほど筋持久力を上げる効果があるということで僕たちの低酸素室でトレーニングを行っている。糖質燃焼の途中で発生する中間物質の乳酸は、それが蓄積することで筋肉疲労の原因となる。耐乳酸トレーニングとして低酸素室トレーニングが有効だと考えられているからだ。  過去に何度か嶋田選手の試合を見ることができた。彼の動きはしなやかで、

温泉治療の奥深さ知る

温泉治療の奥深さ知る

2010年4月24日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  古来から日本人は温泉に親しんで来た。古くは山や丘の創造者、少彦命名(すくなひこなのみこと)と言う神様の1人が温泉の効果に注目したということが日本神話に登場する。又、戦国時代は武田信玄や上杉謙信が温泉療養を大いに活用したといわれている。日本各地に多くの温泉に関する伝承が存在し、温泉文化の歴史の深さを物語っている。  僕もアンチエイジングやスキーを通して温泉に触れる機会が多い。先日撮影があった、三浦家の

冒険が深める家族の絆

冒険が深める家族の絆

2010年4月17日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  青森・八甲田山に、父三浦雄一郎を筆頭に兄家族と僕の妻子と三浦家親子3代で行って来た。  父はそこで自分の子供時代の話をしてくれた。それは祖父(敬三)が当時、家族全員を連れて、青森駅から延々と12時間以上かけて八甲田へ歩いて登り、雪渓の下にテントを張ってキャンプをしながらスキーを楽しんだというものだ。三浦雄一郎の得意とする、家族ぐるみの冒険もどうやらこのあたりにルーツがあるらしい。  世間では冒険家

三浦家のルーツ 八甲田

三浦家のルーツ 八甲田

2010年4月10日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  青森の八甲田山は三浦敬三(享年101歳)が山岳スキーの拠点としていた山であり、ぼくら三浦家のルーツとも言える場所だ。  祖父が終生、追い求めたのはスキー技術であったが、その技術というのはゲレンデスキーのためではなかった。それは日本海、太平洋、津軽海峡に囲まれた日本有数の豪雪地帯で、海、風、山岳地形によって複雑な気象条件と地形を持つ、八甲田山を滑ってみるとよく分かる。  4月初旬、この季節には珍しく雪

冒険心をくすぐる

冒険心をくすぐる

2010年4月3日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  毎年僕たちはこの時期、春の子供スキーキャンプを行っている。彼らはやんちゃでいたずら好き、冒険好きである。圧雪された場所で技術を練習するよりも、森や林の中に入って滑りたがり、簡単な斜面よりも急斜面でドキドキする場所に挑戦したがる。  以前、冒険遺伝子についてこのコラムで話をしたことがある。冒険遺伝子とは危険なことを好き好んで行う性格の持ち主に多く見られる遺伝子だ。  最近これについてのドーパミンの受容

道具と一体化「超絶技術」

道具と一体化「超絶技術」

2010年3月27日日経新聞夕刊に掲載されたものです。  バンクーバー・パラリンピックで日本が金メダル3個、銀3個、そして銅5個と合計11個の堂々たる成績を収めた。僕は難易度の高いウィスラーのダウンヒルコースを風のように切っていくアルペン選手の活躍や、アイススレッジホッケーの決勝を手に汗握りテレビの前で観戦した。  彼らの活躍に興奮した僕は札幌で、長野とソルトレークのパラリンピックの代表選手でアルペンチームのキャプテンを務めた田中哲也さんに色々な話を聞いた。田中さんはミウラ

過酷な現場知る研究者

過酷な現場知る研究者

2010年3月20日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  ラインホルト・メスナーが1978年に無酸素でエベレスト登頂に成功した。当時のスポーツ生理学では、人が8848㍍の高みに酸素の補助なして到達するのは不可能といわれていた。  高所登山以外でも、超自然環境では常識が常識でなくなる。陸上種目などで女性の記録が男性を上回ることはまずないだろうが、肉体の極限が試される160㌔強のウルトラトレイル(山岳)マラソンでは女性が男性の記録を上回ったり、肉体のピークをす

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次世代へのメッセージ

次世代へのメッセージ

2010年3月13日日経新聞夕刊に掲載されたものを修正加筆したものです。  1年前の今日のことだった。僕たちの仲間の一人である海洋冒険家でプロのウィンドサーファーの中里尚雄さんが、鹿児島の桜島から沖縄に向けておよそ650キロに及ぶウィンドサーフィンでの海洋横断へスタートした。それは黒潮を遡り、大海原へ身体一つ、まさしく前進全霊で地球と向き合う冒険であり、同時に彼は寄港した島の小学生の「夢」を書いたはがきを次の島の子供へ届けるという、海の郵便配達人としての役割も担っていた。

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