1970年エベレスト大滑降から50年
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1970年エベレスト大滑降から50年

本日はエクササイズ休養日。50年前の今日、1970年5月6日は三浦雄一郎がエベレストの8千㍍地点から大滑降した日、冒険の歴史の1ページを開けたと称される一大チャレンジでありました。その記録を撮影した映画「エベレスト大滑降」はカナダの映画制作会社にて再編集され1976年、第48回アカデミー賞の記録映画部門でオスカーを受賞。

当時の想いを綴った手記です。お読みいただけましたら幸いです。

生と死の2分20秒 <1970年5月6日三浦雄一郎手記>

幸いスタート地点の雪は氷上の硬い雪の急斜面だったが、ピッケルでいくらか削り、ずり落ちないように小さなテラスを作ることができた。あの気違いじみた風もここまでくると頭の上を通りすぎてサウス・コルへ抜けるので、あまりない。ときおりの突風に気をつけるだけでいい。スキーのエッジやストックは出発前にカミソリやヤリの穂先のよう研ぎすました。あるいはストックなどはうけつけないくらい硬い油氷かもしれないと想像していたが、まずはスタート付近の雪だけはどうやらスキー可能といえるアイス・バーンである。

1970年エベレスト 挑戦時 (4)

それにしても高い。コントロール・センターのテントが、はるかかなたの下にケシ粒のようにぽつんと見える。急だ。平均斜度35度はあるだろう。まだ名前すらない巨大な氷の溝、上から見おろすと、ちょうど立ち上がって自分の靴先を見下ろすような感じだ。その靴先におかれたのがコントロール・センター、つまり滑降情報センターである。そこでは、安間荘副隊長をはじめ金宇カメラマンたちが待っている。

計算ではこの8000メートルの40度の氷のカベをスタートして6秒過ぎれば時速は180キロを越える。

パラシュートが、もし開かなければ・・・?

その時は南壁の方へ大きくまわって逃げますよ・・・とドンチャン(加藤幸彦副隊長)などにいっておいたが、それだって出来るわけがない、気休めにしても・・・。パラシュートが開かないときは、もう時速はとっくに200キロをこえて40度の氷壁をまっさかさまにおちているときだ。気休めにもならないことは、このスタートに立ってみたらよく分かった。それに南壁の側も、反対のジュネバ・スパーの側も、遠くからは分からなかった落石が多い。雪の上には紙ヤスリのように岩壁からおちこんだ落石が散在してくい込んでいる。そんなところへ飛びこもうものならひとたまりまもない。

いったい、この斜面はどうなっているのだろう、というのが最大の疑問なのだが、いまさら考えてもはじまらない。いまだかつてエベレストに挑んだ世界のどの登山家も試みたことのない、この危かしい氷壁を、下から望遠鏡で眺めただけで滑るのだ。それに目で見ればまあ、すごい急斜面、というだけで、一見きれいな氷のカベだは、よくよく望遠鏡で見たら、ジェネバ・スパーの出口のあたりはひどく荒れている。波状の雪が渦を巻いている。落石が雪にくい込んでいる。雲を見ると風が気まぐれに変わる。

いいことはひとつもない。

しかし、正直のはなし、スタートでの恐怖心はなかった。あの、いつもスタートで感ずる、何ともいわれぬいやな感じ、追われるような、逃げ場のない感じ、追いつめられた動物の感ずる何ともいわれぬ一種の絶望感に近いもの・・・しかし、レーサーはその一瞬から解放されるために、爆発していくのだが・・・そんなものはなにもなかった。

1970年エベレスト 挑戦時 (5)

スタートは南壁からまいてくる風にぶつけるために左へ約30メートル、ローツェ側によった。薄い雲からめらめらと斜面を登ってくる。雲海がびっしり。ちょうどこの滑降を待ち構えているかのようにエベレストだけを浮かべてインド洋へ拡がっている。

ヨシ、この風だ、と思ったときスタートしていた。

風が消えていた。イタリアでのツェルビニアのレースで時速172キロを出したとき、聞こえた暴力的な風の音、富士山の頂上からまっすぐスタートしたとき、そして滑降レースのときに聞く風の音、それがない、音のない世界へ入っていく。つまり薄い空気に多分いくらかの追い風をうけていたのだろう。やがてパラシュートを開く。

しばらく滑り続つづけているうち、もうこの滑降は生きて帰れないかもしれないと感じはじめた。案の定、氷のカベは、とび込んでみたら波をうってめちゃめちゃに荒れていた。その中に無数の落石がささり込んでいる。カミソリのように研いだはずのスキーのエッジもヤリのようにするどいストックの先も、氷の急斜面がぜんぜんうけつけない。

1970年エベレスト (4)

スキーのブレーキ絶望・・・ローツェの登行ルートへの脱出、第3キャンプ付近の氷のテラスへ滑り込めれば、あるいは脱出可能かもしれない。しかし、ジュネバ・スパーの岩がせばまる中間地点を通過したとき、とらえようもないガラスのような氷の凹凸のうえでほんろうされはじめた。

脱出コース絶望・・・。あとは・・・と考えようとしたとたん、何かに引き込まれた。転倒・・・と気がついたのはしばらくしてからだった。時が流れはじめた。氷のカベを背中に感じて、落ちる、落ちる・・・。スキーがはずれたらしい。もう止めるすべはない。ピッケルさえたやすくうけつけぬこの氷のカベに爪をたてたところでどうにもなるまい。あと数十秒で、あのベルグシュルンドの青く暗い氷の割れ目にたたき込まれる。

いったい死ぬ瞬間はどうなんだろう。その瞬間への期待とはおかしな話だが、一種の死の瞬間への奇妙な好奇心すらおきはじめているではないか。もう俺は、人間というものからおさらばなんだなあ!そのあとには何になるのだろう?しかし、それにしてもどうなんだろう。このとらえようのない空しさ、寂しさは・・・。人生は夢だったのか・・・夢、夢という字が頭の中にふえていく。

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そのとき、生き物の本能であろうか、まだパラシュートが開いているなら・・・と上を見た。パラシュートは忠実な生き物のように、まるで他の世界からやってきた生き物みたいに赤く大きく開いてゆれていた。必死でヒモをもちあげる。目の前に岩が現れ、ぐんぐん近づく。そのまま衝突、時が止まった・・・。気がついたら、斜面にうつぶせになって頭を上にしてはりついていた。どんな偶然が、あるいはどんなものの意思が自分を止めてくれたのだろう。

本当に生きていることを確かめたかった。腕で雪をたたきヘルメットをかぶった頭を二度三度氷にぶつけ、再び人間というものにもどった自分をたしかめた。そして自分というものが、とても懐かしかった。

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本当に生きて帰れたことは素晴らしいのだけど、たしかにエベレストのスキー滑降は終わったわけだが、まだ本当のわれわれが夢に見たエベレストはこれからである。

それは目に見えるフィルムや紙の上のエベレストは、こうしたすぐれたカメラマン達の労作として残ったけれども、もっと大事な真実、私達の心のエベレストこそ、これからさらに自分自身をよく見つめ、濁った下界の空気やその他のすべて、それに染まってしまいそうなわが魂や心を情けなく思いながらも、やはり、ひとつの終わりが新しい何かの始まりでなければならないとするなら、今度こそ心や魂によく磨きをかけ真実なるもの、永遠なるものがくっきりと浮かんでいる、あのヒマラヤの透明な空気のようにあらねばならない。むろんヒマラヤの山々だって、時には曇ることもあり、吹雪くことだってあるけど、しかしそれらの中にも山々は、こらえながら真実なものとして存在している。

さて、その心のエベレストとは何であったか。私をあの死の世界からつれもどして、人の世に人間としてもどしてくれたものの意思は何であったか。私は新しい人生の巡礼者として、それを探し求めるために、"残り“の人生をはるかなるものに向けて歩みつづけねばなるまい。

生きている、ということは、自分に人間として巡り合っていることなのだ。その自分というものが、いったいどこから来てどこへ帰るのか。死に直面してみて、というより当然帰るべきどこかへ帰してもらえなかった私としては、まだまだ人間として荒野の中をさまよい歩かねばならないらしい。

1970年エベレスト

日本へ帰ってきて、そして東京へ来てみて、私達が心からのびのびと暮らしていた、短いけれど素晴らしかったあのヒマラヤの山々と、そこに住む人々にくらべて、すべてが薄汚くよごれ、それをごまかすためにけばけばしく、なにか魂までよごれてしまっていることを感じる。

いったいどうしたことなのだろう。人々はせっせと働いているようだけど、すべてが忙しげだけど、ちっとも良くならず、ふえているのはやかましい音を立て、汚い煙をはき出す機械だけだし、どこかがおかしい。すべてが不思議な仮装行列。本物が、生きている本物がどんどん消えてしまって、いつのまにかコンクリートと鉄とプラスチックの化け物たちが支配している世界に帰ってきた。

私達は人間の肉体が、それはちっぽけなものだけど、そこに心や魂が働けば、ときには命をこえて、はるかなる永遠につながる彼方まで、歩きつづけ登りつづけ、そして帰ってくることを知った。

そのはるかなるものは、遠く手にもとどかず、目にも見えぬものである。しかし心がまっすぐなら、魂がよごれていないなら、その光のひとすじをたどって本当に生きる、という人生の旅に迷いがないはずである。それが見えなくなる、という情けない思いをしながら、しかし心にその光を求めていれば、いつか見えるものと信じつつ歩みつづけよう。

その光はどこからくるものか分からない。だから心はひろく、そしてやわらかく、本当の命につながるものでなければなるまい。人生なんて、一瞬のうちに消えていくはかない夢である。だから同じ夢なら、素晴らしい夢を持とうではないか。そしていつか帰らねばならない永遠の世界へ行くまで、めぐり合った人々とはなつかしさをこめて、生きている喜びを分かち合わねばなるまい。

勇気、根性、英雄という言葉も素晴らしいものだし、常にそうあらねばと思うけど、本当はもっと心の奥深い、大きな広がりのなかには、まだまだ大事なもの、順序を間違えてはいけないものがいくつかある。例えば思いやり、優しさ、いたわり、はげまし。こうして何かを感ずる、大らかな広がりを持った情緒の世界、そこから自分の命が目に見えぬものだけど、すべての生きものの生命につながっていることを知る。

日本の古いことばに、「気は優しくて力もち」というのがある。そういえば、気が、つまり情緒の世界が広がりをもつ、大らかな魂が先で、力はそれにつづくものであると教えてくれていたではないか。

三浦雄一郎


2020 marks the 50th anniversary of Yuichiro’s Everest downhill. The following is English translation of Yuichiro’s 1970 monologue.

Everest --- Life or Death

At the starting point the steep slope was fortunately covered with frozen snow. I cut out a little ledge with my ice axe to give me a foothold. It was quiet around me, but overhead furious winds howled toward the South col. I had to be wary of the sudden fierce gusts. The edges of my skis had been ground razor-sharp and my ski poles were like spear-points. I had imagined that the surface would be hard, glassy, defying my poles, but to my relief, at least around the starting point, the ice was such that I felt I could make the ski run.

The place was certainly away up.

Far below me the tent of the control center was a tiny speck.

How steep it looked; more than 35 degrees incline. Beyond the tips of my skis lay the gigantic unnamed mass of ice; there was the control center; or could I call it “ski information” center? Deputy leader Sou Anma, cameraman Kanau and the others were there too, tensed for this moment.

We had calculated that the speed would be over 180 kilometers an hour within six seconds of the start. We were 8000 meters up on the incline of nearly 40 degrees.

What if the parachute doesn’t open…?

I had said to Donchan (deputy leader Kato), “In that case, I’ll shoot around toward the South wall.” I knew it was impossible, so it was really no help.

If the parachute doesn’t open, I’ll be skidding down that 40 degrees ice-face at over 200 kilometers an hour. As I stood ready to start, the thought was no comfort. In addition, along the South wall and on the Juneva Spa side I saw many stones. We had not been able to see them from the distance. I could now see they were stones that had fallen from above. They looked like so many jutting blades. I suddenly realized I would have to navigate this deadly terrain.

What is the condition of the slope? That’s the real question. But even to think of this now was of noavail. It was this treacherous course I had elected to ski down, a challenge no Everest alpinist had ever faced, and we had only reconnoitered it by telescope from below.

As I looked down that icy face, my thought was “How steep it looks!” It had appeared as a clean wall of ice when I examined it through the telescope, but I noted that the surface around the outlet from Juneva Spa was rugged and uneven, with whirls of waving snow, dotted with stones. The mvements of the clouds indicated a whimsical wind. There was clearly nothing to boost my hopes.

But strangely I felt no pangs of fear. I was free of that feeling I had often had before take-off, the feeling of being hunted, looking for an escape, an animal at bay, a desperate feeling. There was nothing of this.

We moved about 30 meters to the left tward Lotze, so as to face the winds that came up from the South wall. Wispy clouds crept up the slope like tongues of flame. Below lay a mystic lake of clouds that semmed to stretch out to the Indian Ocean, waiting to enfold me as I plunged down. Everest stood alone.

“The wind,” I though, as I jumped into action. But there was no wind. There was nothing of that familiar rush of wind I had heard at 172 kilometers an hour in the Cervina race in Italy (Kilometerlanchard); nothing of that wind roar on Mt. Fuji as I shot down the side, the familiar sounds of the ski race. It was a soundless world. The air was too thin, and I seemed to be soaring.

Then the parachute opened.

As I gathered speed, I felt that to return alive from this adventure was almost impossible. As I had feared, it was waving and deadly rough, with countless rocks. My razor-sharp skis made not the slightest impression on the rock-like ice, and the points of my ski poles meant nothing. There was no hope of braking my speed that way.

“Can I shoot into the climbing route toward Lotze or slide onto the ice terrace near No.3 camp?” But already I was past mid-way where the rocks on both sides lie closer at Juneva Spa; I was tossed at will on the bumpy, elusive sheet of glass. There was no escape.

What to do? Even as the thought flashed I hit something and fell… How long before my senses returned? Time was flying and I could feel the ice-wall on my back; sliding, sliding. Ihad lost my ski.

There was no way of stopping. The ice defied my ice axes, so what use of my fingers? In seconds I would be over the edge into the Bergschlund, that dark, bottomless crevasse. What would death feel like? In that moment, believe me, a strange wonder intrigued me. Goodbye to all. What lies ahead?

What am I? A fugitive feeling, a great emptiness, a vast loneliness… Life was a dream, a dream… over and over the word turned.

The instinct of life called me back. I was a living thing, and I wondered if the parachute was still clutching the wind for me. I saw it, my faithful partner, like a living thing from another world, bellying in the wind. I pulled the rope.

But as I slid a rock seemed to be rushing at me; bigger and bigger. I crashed into it. All went black. Time stood still.

I opened my eyes; I was still, flat out on the slope, head up. What had stopped my downward plunge?

Was I really alive? Is this still the earth? I pounded with my hands and banged my head on the ice --- I was living again --- How precious I was to my self!

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It is really good to be alive and back here, the Everest ski run an accomplished fact. But the Everest of our dreams is still to be challenged. Everest, real, tangible, captured on film and paper, will remain among the living treasures of our cameramen and writers, but the elusive Everest of our dreams will b refined and polished in our hearts and minds, gleaming like the translucent air of the Himalayas where the true, the eternal are elemental. That vision will be treasured however we grieve at the pollution of our hearts and minds by the sullied air and impurity of this murky nether world. In life, one event merge into the next.

However great the storms that rage over the Himalayas they stand strong as the embodiment of truth, firm among the raging elements.

What is the Everest of our hearts? What was it that snatched me from the jaws of death, back to the world of man? I am a pilgrim again, to trudge the rest of my life toward the distant unknown, seeking this Everest, with this new lease of life granted me.

Life is a confrontation with one’s own self. Whence it comes and where it goes I do not know. I looked death in the face, but he failed to carry me off to our common mortal destiny, so still I must tread this human pilgrimage for the years to come.

Coming back to Japan, to Tokyo, filled me with dismay. Everything tarnished, dirty defiled, even the souls of my fellow men, vainly trying to cover up with a veneer of garish color. What a contrast to the Himalayas and the frank, full-blooded people there, with whom we spent our too-brief happy moments!

What has happened to our world? People are working hard, busy , busy, but that is all, and what comes of it? Machines increase, with their poison fumes and increasing clamor, a strange masquerade for men. What is wrong? The true, the living , is fast giving place to monsters of concrete, iron and plastic.

Man, though so insignificant, can soar high above his earthly limitations, up and up to the far-off infinite and return to earth, if heart and sprit are not lost to him.

This remote infinite is not something to grasp with one’s hands. It is intangible, elusive, invisible, to be apprehended only by the sprit. With a pure heart and an unsullied soul, man cannot lose his way in life’s pilgrimage if he follows the gleam. As we go on seeking, though the light grows dim, we believe we may someday reach it if we do not stop our quest.

Whence comes this ray of light? We do not know. But with open heart and mind we choose the real, the essence of life.

Life is fleeting, transient, gone in a flash. While it lasts let us dream our noble dreams and share the joy of living with all we touch until we return to our common destiny of infinitude.

Courage, strength, the heroic --- these are pleasing words that carry their own fragrance. They are noble qualities to be cultivated. But in the final analysis are not consideration, gentleness, compassion and encouragement the qualities essential for a broad – and open-minded man of deep insight?

With wide sensitivity, sensitive even to the unfathomable – it is in such a world as this that man is conscious that his life is part of the life of all living things.

The ancient Japanese saying, “Gentle of heart, strong of body” has already taught us, has it not, that heart, all inclusive breadth of mind, comes before strength.

Yuichiro Miura


写真撮影 小谷明 氏



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